第二章(4)
朝霧さんいわく、取材するアトラクションは好きに選んでいいらしい。
「空中ブランコ、とかどうでしょう」
「? どうして?」
僕の提案に、朝霧さんは不思議そうな顔をしている。
「朝霧さん、高いところダメなんですよね。だったら、朝霧さんに乗れないアトラクション、取材した方がいいかも、と思いまして!」
そんなわけで、待機列にまた一人。
空中ブランコはジェットコースタ―のように特別な世界観がある訳ではなく、波の模様が描かれた傘と柱に括り付けられたブランコに乗り込む方式だった。
「小鳥遊くーん! がんばってー!」
シートベルトを確認していると、柵の向こうから身を乗り出しカメラを構えている朝霧さんが叫んでいるのが見える。テンション高めなところもかわいいけど、まるで母親の授業参観のようで恥ずかしい。
ブザーが鳴る。加速を始めるブランコの遠心力に足が浮く。速度はそこまでではないのだが、当然のようにぐるぐる回るので目が回る。
これは……思ったより……! 必死に振り落とされないようにしていると、いつのまにやら地上に戻っていた。
「おつかれさま! どうだった?」
「……酔いました」
取材もへったくれもあったもんじゃない。おまけに目がぐるぐる回ってしまって、立ってられない。自分の三半規管がこんなに弱いとは思わなかった……。
「あらま。大丈夫?」
情けないったらありゃしない。近くにあったベンチに腰掛ける。
「私、水買ってくる!」
「すみません……」
『小鳥遊くんの力を貸してほしい』と言われて握手までしたのに、この体たらく。ぱたぱたと走っていく朝霧さんを見送り、あまりの情けなさに頭を垂れていると、ようやく眩暈が回復してきた。
「……ふぅ」
朝霧さんには迷惑を掛けてしまった。どこまで行ったのだろう。
懐に入れていた、園内地図を広げて眺めてみる。今僕たちがいるのは南側のエリア。空中ブランコのアトラクションを目印に売店を探してみると……うわ、結構遠いな。
ますます悪いことをした、という気持ちに苛まれながら、ぼんやりしていると。
「ぐすっ……ぐすっ……」
どこからか……泣き声だろうか。小さな声がする。
その方向を向くと、手のひらで目を押さえながら、泣き声を漏らしている少年の姿が見えた。
どうしたのだろう。彼の足取りは重く、楽しい遊園地の雰囲気の中で、そこだけなんだかどんよりと曇っているように見える。
そして、僕はその恰好に見覚えがあった。ジェットコースターを降りたときに、僕の前を走っていた少年がちょうどこんな格好をしていたような。
「……」
最近のご時世、知らない子供に声を掛けるのもリスキーではある。だとしても、泣いている子供を見捨てていい理由には……ならないよな。
「どうした、はぐれたか?」
声を掛けられ、びくっ! と体を震わせた少年は、目を押さえていた腕を離して僕を見る。その目は、真っ赤に染まっていた。
「……大丈夫か?」
「……うん」
気丈に首を縦に振ってみせるが、その間も涙はしきりに垂れてアスファルトを濡らしている。彼は精悍な顔付きをしており、なにかスポーツでもやっているのかな、とふと思った。
「はぐれたのか」
もう一度同じ問いかけを彼にしてみる。子供が遊園地で泣いている、とあればこれくらいの理由しか思い浮かばない。だけど彼は、首を横に振った。
「……母さんなんか、嫌いだ」
「……?」
そういうと、またぐすぐすと泣き出してしまう。
えっと、こういう時にはどうしたら良いのだろう。彼に掛ける言葉が思い浮かばず、ただおろおろしていると。
「お待たせ! 水買ってきた……どうしたの?」
向こう側から駆け足で、朝霧さんがやってくるのが見えた。
彼が涙交じりに僕らに話した内容は、こうだ。
彼の名前は一之宮翼(いちのみやつばさ)。十歳。今まで母親と父親の三人家族で暮らしていたが、最近十も歳の離れた弟が出来たらしい。
「……めでたいじゃないか」
「めでたくないよ。ずっと弟に構いっぱなしなんだ、母さん。今日もさ。せっかく母さんといろんなアトラクションに乗れると思ったのに、巽(たつみ)に構いっきりで全然オレのこと構ってくれないんだもん」
巽、というのが彼の弟の名前らしい。なるほど、まだ生まれたての子供がいるのであればアトラクションに乗るなんて無理だろう。だからジェットコースターも一人で乗っていたわけだ。
「前はさ。母さんと一緒にジェットコースターに乗ったり、空中ブランコに乗ったりして楽しかったのに。今日は巽のことばっかり。『一人で遊んできなさい』とか言われて、さ」
翼は不貞腐れたように、ベンチから降りて足元の石ころを蹴っ飛ばす。石ころは 点々と転がっていくと、植え込みに姿を消した。
「せめて観覧車に乗ろうよ、って言ったんだけど。巽が高いところがダメ、一人で乗って来い……そういうから、オレ」
「母親のところから飛び出してきちゃったわけか」
翼はこくりと頷く。
「お母さん、心配してるぞ」
「心配なんかしてるもんか。巽にずっと構いっぱなしでさ。一人でアトラクションに乗ってこいとかいうんだから、別になんも思っちゃいないよ」
泣き止んだかと思えばスネている。
とどのつまり、今まで親から独占できていた愛情を、弟にとられてしまったようで寂しく思った……ということか。
僕は一人っ子だから、彼の気持ちはわからないけれど。でも十年ずっと母親や父親と暮らしてきて、突然弟ができて、それに親を取られたような気がして……という心情は、なんとなく理解できた。
「……どうします?」
「とりあえず、迷子センターかなぁ。親御さん、探していると思うし」
「やだ!」
朝霧さんの言葉に割り込むように、翼がそう叫ぶ。
「どうせ母さんは心配してないよ。巽さえいればいいんだ」
その言葉に、朝霧さんと顔を見合わせる。
そうじゃないよ。お母さんは君のことを心配しているよ。今は弟が小さいからかかりっきりだけど、君への愛情が減ったわけじゃないよ。
なんて。言うのは簡単だが、そんなことを言ったところで、翼への慰めになんかなったもんじゃないのは僕でもわかる。でも、どうしたらいいのか。
「ねえ、翼くん」
朝霧さんにはなにかいい言葉が浮かんだのだろうか。翼に話しかけた朝霧さんは、彼に手を差し出してこう言った。
「お母さんなんか忘れてさ! 遊ぼうぜ!!」
「そうだそうだ!」
なるほど、それは素晴らしいアイディアだ。翼は母親を忘れて遊びまくり、嫌なことからはさよならグッバイ! それがいい!
「……それが、いい?」
いや、朝霧さん、それは……。
「お! お姉さんわかってるね! 遊ぼうぜ!!」
いやいや、翼も乗るなよ! そうは思うのだけれど、頭が混乱して言葉が出ない。そうこうしているうちに朝霧さんはまるで無邪気な小学生のような笑顔で、
「よっしゃ! 小鳥遊くん! 後は任せた!」
「後は任せた!?」
「ほんじゃね! 翼くん、とりあえず観覧車行くか!」
呆気に取られて何も言えない僕の目の前を、手を繋いだ朝霧さんと翼が走っていく。
「ちょっと、朝霧さん! 朝霧さーん!!」
……あっという間に見えなくなってしまった。
「……参ったな」
朝霧さんはなにを考えているのだろう。正直なところ、一歩間違えば誘拐犯である。いや、もう誘拐しているようなものなのだが。
どうしたものかととりあえずベンチに座り直す。なるほど、翼が母親を独占されて寂しくなる気持ちの欠片が理解できた。僕の場合は母親ではなく上司が独占されてしまったわけだが。
そんなことを考えていると。
「……ん」
スマホが鳴る。メッセージの差出人は……朝霧さん。
『小鳥遊くん。翼くんのお母さん、たぶん迷子センターに行くと思う。事情を説明してもらっていいかしら。任せた!』
……綱渡りにも程がある。僕が母親を説得させられなかったらどうするつもりなのだろう。まあ、でも。
「任せてもらった仕事は……果たさないとな」
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