第二章(3)

 外に出ると、朝霧さんは入り口近くのベンチに腰掛けてノートパソコンを開いていた。遠くからでもぱしぱしキーボードを叩く音が聞こえて、デキる女だ……! と思うと同時に、なんだかその光景が楽しげな遊園地に浮いて見えておかしい。


「お疲れ様です」


 近寄って声を掛けると、僕の顔を見てにやり、と朝霧さんは不敵な笑み。


「?」


「それではこちらをご覧ください」


 朝霧さんはおもむろにスマホを取り出すと、画面を僕に見せる。そこには、ほぼ直角に落ちるジェットコースターの映像が映っていた。


『うわーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!』


 落下するコースターから様々な悲鳴が聞こえるが、ひときわ低い悲鳴が空を切る。


『あははははははは!!!!!』


 その悲鳴に爆笑し、激しく手ぶれする画面。それはつまり。


「朝霧さん!!!!!!!」


「いや、ごめんごめん。あんまりにも良い悲鳴だったから、つい」


 また爆笑を始めた朝霧さんに僕は憮然としてしまう。つまり、彼女はジェットコースターで悲鳴を上げる僕を見て笑っていたらしい。

 ……だから、悲鳴を上げるのは嫌だったんだ。


「まあまあ、機嫌直して。少し早いけどお昼ご飯にしようか。私がおごるから、さ」


 背中をポン、と叩かれる。歩き始めた朝霧さんの足取りが明らかに軽快だったのが、またなんとも腹立たしかった。

 ……まあ、笑顔がかわいかったから、いいけど。



 ポートランドの園内には、レストランが四か所ある。僕たちが足を運んだレストランは海に面している客席がウリで、通された席からは眩しく光る青い海面がよく見えた。


「お待たせしました。ハンバーガーでございます」


「お、来た来た」


 テーブルに置かれたのは、とても巨大なハンバーガー。成人男性の顔の大きさほどもありそうなバンズの中には、瑞々しいレタスとトマト、そしてこんがり焼き目のついた大きなハンバーグが二つも乗せられている。その上には溶けたチーズが掛かっており、いかにも美味しそうだ。


 朝霧さんは首元に掛けていた小さなカメラで写真を収めている。記事と一緒にアップするのだろう。……待った方がいいのかな。


「おや、写真を待たずに食べていいよ」


「いや、でも……」


「気にしないで。料理が冷めるほうがお店に失礼だしね」


「じゃあ、遠慮なく」


 正直空腹が限界だったので、助かる。ジェットコースターで叫びすぎたせいか、思いのほかお腹が空いていたみたいだ。大きすぎて手づかみは無理なので、フォークとナイフで頂く。


「……うん、美味しいです!」


 小さく切り分けたハンバーガーを口の中に入れると、まず嚙み締めた肉汁が口の中にあふれだす。それを更に濃厚に引き立てるチーズと、バーベキューソース。それを堪能した後に、爽やかなレタスとトマトの果汁が後味をさっぱりとさせる。

 そんな僕の様子を、写真を撮り終わった朝霧さんがにこにこと見ている。


「……なんか、変な顔してました?」


「ううん、美味しそうに食べるな、って」


「……あんまり見ないでください」


「それは失礼。うん、おいし。さすがポートランドのレストランで一番の人気メニューね」


 しばらく互いにハンバーガーを頬張ったのち、この後の方針について話し合う。


「今回は、ポートランドの他に三つ、神辺の行楽地に足を運んで特集を組みます。一つのスポットに対してだいたい四つくらいの話題をピックアップするつもりだから、ポートランドはジェットコースターとレストラン、もう二つほど取材を行って終了、って感じかしら」


「了解です」


「それで、さっきのジェットコースターと、あと一つくらいは小鳥遊くんに記事をお願いするつもり。そんな感じで、午後も頑張りましょ?」


「はい!」


 さっそく記事を書かせてもらえるのか。気合を入れなければ。


「それにしても、入社翌日にさっそく取材に連れて行ってもらえるとは思わなかったです」

「ああ……」


 実はね、と食後のコーヒーを口に運びながら、朝霧さんは少し考え込んだような顔で、


「本当なら、入ってしばらくは基本的な仕事を覚えて欲しいところなんだけどね。企画書を書く練習をしたり、記事の作り方を覚えてもらったり、いろいろお仕事はあるものだから。でもね、小鳥遊くんにはそうしなかった理由があるの」


「理由、ですか」


「そ。つまらない昔話になるかもだけど、付き合ってくれるかしら」


 コーヒーのお供くらいにはなるかも。そういって、朝霧さんは話し始めた。



「私にも、入社した時には先輩がいてね。その先輩はとにかく地味な仕事ばかり私に覚えさせて、取材なんか夏まで連れてってもらえなかったんだ。あの時は本当につらかったな、私がやりたいのはこんな仕事じゃない! と思って、仕事そのものを諦めかけたのを覚えてる」


「先輩、厳しかったんですか?」


「そうね。厳しかった」


 どこかそっけなく、朝霧さんは答える。だけどその表情は、複雑な思いを抱えていそうな……曇った顔をしていた。


「細かい仕事をひたすら叩きこまれて、やっと取材に連れて行ってもらえたと思ったら『私はここで休んでいるから、取材してこい』って今度は突き放されたし。それでもなんとか頑張って、先輩についていこうとしたの、覚えてるな。それだけに、初めて原稿にOKを貰えたときの嬉しさも、忘れられないんだけど」


「……厳しいですね」


「でしょ? 一番辛かったのは、先輩が病み上がりの時、溜まってた仕事がたくさんあったの。それで出来るだけ先輩の力になれるように頑張ったんだけど、書き上げた原稿を……『下手くそ』って怒られて、捨てられちゃったんだ」


「捨てられた!?」


 思わず大きな声が出てしまう。周囲に他のお客さんがいなくて助かった。


「それは、酷すぎますね」


「でしょう。ショックだったな。おまけに気怠そうにして、捨てた理由も教えてくれなかったし。それでも、頑張って書き直した。私は先輩のことを慕ってたんだけど、先輩は私のこと、きっと嫌いだったんだろうな、って思ってる」


 沈鬱な表情に、なにもいう事ができない。


「結局先輩はそれからいなくなってしまったんだけど、今度は記事を書ける人がいなくなっちゃってね。慌てて人を採用したんだけど、一週間で辞められちゃった」


「一週間、ですか」


「うん。退職の時の言葉は『思っていたのと違いました』だったの、忘れられない。

私も初めての部下だったし、教え方がわからなかったから、私が最初に教わったことをそのままその人に教えちゃったの。もちろん先輩より優しく教えたつもりだったけど、そしたらそういって辞められちゃってさ。

そうだよね、私が辛かったんだから、同じようなことをされたら辛くなっちゃうって、初めてできた後輩でいっぱいいっぱいになっちゃってて、忘れてたんだよね。その人には悪いことをしたな、って今でも覚えてる」


 苦い顔。一つ、朝霧さんは呼吸を入れる。


「それでね。考えたんだ。私たちは旅行メディアでしょう? 旅行メディアの本分は、見てもらう人に楽しんでもらうこと。だったら私たちが楽しくないと、嘘になっちゃうって。だから、仕事だとしても、せっかくだから楽しんでもらいたい。面接のときにも言ったけど、私はそういう気持ちを、忘れないようにしてる」


「その言葉、すごくハッとしたのを覚えてます」


「ほんと? そうだったら嬉しいな。まあそんなわけで、小鳥遊くんには楽しんでもらいたいって思って。そのためにはまずは取材、そして記事を書いた方が楽しいじゃない? だから、今日ここに来たの。それが入社二日目に取材を選んだ理由」


「そう、だったんですね」


 すごく気を使われていたんだな。その気配りに嬉しさと、少しの申し訳なさを込めて、僕は頭を下げた。


「……ありがとうございます」


「ううん。頭なんか下げる必要はないよ」


「でも」


 すっ、と右手が差し出される。


「もし、少しでも『朝霧さんいい人だなー! 最高だなー! 理想の上司だなー!』なんて思ってくれたら、あ、いやこれ自分で言うのめっちゃ恥ずかしいな……」


 一人で並べ立てて一人で照れている朝霧さん。うん、そういうところもかわいい。


「げふん。まあ、頭を下げるくらいなら手を取ってよ。小鳥遊くんの、力を貸してほしい」


「……わかりました」


 くひひ、と笑う朝霧さんの手を掴む。

 面接のときと同じ握手、だけどそのときより固い握手。


「面接の時、『明日を探す』って言葉、好きって言ってくれてありがとう。これからきっと、生きていく上で辛いこと、たくさんあるかもしれない。だけど忘れないで。

『明日を探すことを、諦めない』って」


「明日を探すことを、諦めない……」


 朝霧さんは力強く頷く。


「うん。これは私がいつか、めちゃくちゃ辛かった時に先輩にいった言葉。私は諦めなかったからこの会社に居られたし、小鳥遊くんと出会うこともできた。それが本当に嬉しいんだ。頑張ろうね」


「……はい!」


「それじゃ、面白くもない昔話はここまで。また楽しいこと、探しに行きましょうか」


 本当に奢ってくれるらしく、「あ、お会計お願いします」と近くを通った店員さんに声を掛け、朝霧さんはレジへ歩いて行った。


 ……明日を探すことを諦めない、か。


 朝霧さんの背中を見ながら、心の中で繰り返す。

 自分の中に、刻み込むように。

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