第一章(3)

「ごめん! ちょっと追加で取材にいかなきゃいけないところがあるから、その間に入社書類を書いておいてもらっていいかしら?」


 一時間ほどでしおりの読み合わせを終えた朝霧さんは、どこかから掛かってきた電話を受けたかと思うとそういって僕に書くべき書類の指示を出した後、「すぐ戻るから!」と編集部を出ていってしまった。

 忙しそうだ。いや、忙しいんだろうな。一人で編集部に取り残されると、急に寂しくなってくる。支給されたノートパソコンの電源を入れながら、僕はふぅ、とため息を吐いた。


「明日から、いきなり取材か」

 しかも遊園地とは。女性と遊園地なんて行ったことがない。

 どんなアトラクションを取材するのだろう。遊園地っていうからにはお化け屋敷とかもあるのだろう。お化け屋敷の取材って想像もつかないな。びっくりした朝霧さんに「きゃーっ!」とか言われて抱き着かれたりとかしちゃうのかな。


「……なにを考えているんだ、僕は」


 一人でぼーっとしていると妄想だけが突っ走っていく。頭を振って冷静さを取り戻そうとしていると、


「おや」


 入口から聞こえたそんな声に、現実に引き戻された。


「……あっ、こんにちは」


「こんにちは」


 黒いパーカーに、青のジーパン。黒縁の大きな眼鏡を掛けた小柄な女性は、僕に軽く会釈すると、僕の向かい側の席に座った。

 それでようやく気付いたのだけれど、その席には机のサイズに不釣り合いなほどの大きなデスクトップパソコンと、モニターが三枚並んでいる。こんな目立つものに気付かなかったくらい、僕は自分の世界に入り込んでしまったらしい。

 いや、というか、先輩に「こんにちは」はないよな。


「あ、あの」


 慌てて挨拶をしようとするが、向かい合う机の間にモニターがあるせいで、うまく相手の顔が見えない。ぐるりと席を回って、僕は彼女に頭を下げた。


「あの、今日からお世話になります、小鳥遊雲雀と申します。よろしくお願いします」


「夜凪怜。よろしく」


 彼女は小さな声で僕に見向きもせずにそういうと、軽く頭を下げた。続く言葉は、特に無し。なんだかクール……というか、不愛想な人のように見える。


 ……不安だ。厳しくされたらどうしよう。


「あの、迷惑とかかけるかもしれないですけど、よろしくお願いします」


「新人は迷惑をかけてナンボよ。そんなこと気にしないで、朝霧のいうことをちゃんと聞くことね」


 帰ってきた言葉は優しいものだった。よかった、と胸を撫でおろす。


 そんな僕の目の前で、夜凪さんは小さく「やるか」と呟くと、


「!?」


 猛烈な勢いで、キーボードを叩き始めた。早い。タイピングする指の速度に、目が追い付かない。ものすごい勢いで跳ねまわる指、まるで一打一打がハンマーを叩くような打鍵音。一見乱雑に見えるが、その指の動きは、なにかの芸を見るように美しかった。


「……よし」


 ドスン! とエンターキーを押す音が重々しく響いて、なにが『よし』だったのか僕には分からなかったけれど、とりあえずなにかが終わったらしい。


「次は、編集長の記事のレイアウトか。……どしたの。朝霧に、なにかやっておけ、と言われたんじゃないの」


「あ、はい」


 自分では気が付かなかったが、見惚れてしまったらしい。仕事の邪魔をしました、と夜凪さんの元を離れようとした、そのとき。


 モニターの下に、黒いプラモデルが置いてあるのが見えた。


「あ。それ、『魔神咆哮ギアブレイド』の、アストラルブラストですか?」


 その瞬間。


 今までの五分間、なにを話しても僕のほうを向いてくれなかった夜凪さんの首がぐるりと回り、僕の目をギッ! と見た。


「あ、あの……」

 そのあまりの迫力に、僕は言葉を失ってしまう。

 なにか悪いことを言っただろうか、あ、オタクがバレたくなかったとかかな……。  そんなことを考える僕の肩を、立ち上がった夜凪さんにぐっと掴まれる。


「貴方、アストラルブラストがわかるの」


「あ、わかりますよ……。『ギアブレイド』のラスト、主人公の片桐立夏(かたぎりりっっか)が最初に乗ってたアームドギア、ギアブラストを、最終決戦で破壊されて 使えなくなってしまったギアブレイドの代わりにリペアして戦った機体ですよね」


 僕の言葉に夜凪さんは、押し黙って肩をぷるぷると震わせている。


「……あの」


「あなた、わかってるじゃない!!!!!!!!」


 怒らせてしまったか。そう思った僕にとんでもなく顔を近づけた夜凪さんは、怯む僕に一切構わず、今までとまるで違う声量でまくしたてる。


「最高視聴率低すぎて計測不能! 伝説のカルトアニメ『魔神咆哮ギアブレイド』! 作画悪い! でもシナリオは最高! 熱くて燃えるストーリーが作画で全部だいなし! だけどハマる人はハマる! そんなギアブレイドを最後まで付き合った人間しかわからないこの『アストラルブラスト』を知っているなんて……あなた、なかなかやるわね」


「あ、どうも……」


「なかなかやるわね。今度じっくり話し合いましょう。夜通し」


「夜通し……」


 確かに『魔神咆哮ギアブレイド』は極めてマニアックなアニメであることは間違いない。面白いのは夜凪さんのいう通り、アニメに人気がなかったのに、プラモデルが発売されていたこと。

 アームドギア、というのが主人公たちの操るロボットの名称なのだけど、アニメの人気が出なかった以上、当然買う人間も少なかったと聞く。それがモニターの下に飾ってあるものだから、僕は思わず声を掛けてしまったのだ。

 うん、いい人そうだ。僕は目をキラキラさせて僕を見つめる夜凪さんに、先ほどまでの印象を改める。誰になんと言われても、ギアブレイドは面白いもんな。

子供のような表情で僕にアツく語る夜凪さんと話を合わせながら、ほのぼのしていると。


「戻りました! ごめんね……って、小鳥遊くん!?」


 扉が開く音がして、朝霧さんが帰ってくる。おかえりなさい、と返そうとしたら、朝霧さんの顔は驚愕で歪んでいた。

 思いっきり慌てたような彼女の声に、白紙の書類を思い出す。しまった。書類、全然できてない。


「良くないですよ、そんな……そんな!」


「あ、すみません、仕事をサボって話してたわけじゃないんです。ごめんなさい」


「あ、あの! オフィスラブはけっこうですけど! 初日から怜ちゃんに手を出すのは、どうかと思います!」


「ん?」


 書類作業をほったらかして喋っていたことは良くなかったよな……と内心反省していたのだが、話の風向きがおかしい。今自分はどう見られているのか。夜凪さんに顔を近づけられてアニメの話をしているだけだというのに。


「……わあ!!!」

 

 朝霧さんの言いたいことが、その時ようやくわかった。顔を近づけて僕に話しかける夜凪さんから慌てて体を離す。そうだ、この姿勢は……そう見える!


「違います! 朝霧さん!」


「なにが違うのよ、あなた」


「は!?」


「今、深いところで繋がりあおうとしていたじゃない」


「深いところで繋がりあい!?」


「そう。今ディープなところで盛り上がってたの。邪魔しないでくれるかしら」


「ディープなところで!?」


 待て待て待て待て。朝霧さんの顔がどんどん赤くなっていく。ほとんど悲鳴に近い声を上げて部屋を出ていこうとするのを、僕は慌てて止めた。


「朝霧さん! あの、そんなことはないので!」


「そんなことってどんなことですか!?」


「朝霧。勘違いしないで。私たちは今魂で繋がり合おうとしていたの」


「繋がり合う!?」


「夜凪さん、待って待って」


 どうしてそうややこしい事を言うのか。そしてどんどん顔を赤らめる朝霧さんはなんなのか。憮然として朝霧さんに言葉を続けようとする夜凪さんを制し、朝霧さんに状況を説明する。


 誤解が解けるまでに、しっかり五分の時間を要した。

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