第一章(2)

「見にくくないですか? 大丈夫ですか?」


 朝霧さんに渡された冊子を読んでいると、朝霧さんに声を掛けられる。なんだか香ばしい匂いがするな、と思ったら、彼女の手にはコーヒーのカップが二つ握られていた。

 しおりを読んで待っていてください、と言ったっきりどこに行ったのかな、と思ったらコーヒーを淹れてくれていたらしい。先輩にそんなことをさせてはいけない、と慌てて立ち上がる。


「あ、そんな。僕が注ぎに行ったのに」


「ああ、コーヒー? 私が飲みたかっただけだから大丈夫」


 本当かな。なんだか申し訳ない気分になってくる。


「それより、しおりには目を通せた?」


「ええ。ありがとうございます」


「見にくかったらごめんね。理解できそう?」


「見にくいなんてとんでもない。すごいですねこれ、朝霧さんが書いたんですか?」


 冊子はびっしりと文字で埋め尽くされていて、その中でも特に大事なことには『ここ重要!』『わからなかったら聞いてね!』など、蛍光ペンで注釈が記されている。

 おまけにページのあちこちにはネコやひつじ、犬など、かわいいイラストがたくさん散りばめられていて、なんだかすごく……ほっこりした。たぶん、朝霧さんの手書きだろう。


「うん。せっかく新しい人が入社してきてくれたんだもん。丁寧にもてなさないと、ね」


「もてなす、ですか」


 仕事場で聞くには少し不思議な単語だ。朝霧さんはくひひ、と笑う。


「そうそう。せっかく小鳥遊くんが入社してくれたんだから、きちんと育ててあげたいから」


「その気持ちに答えられるよう、頑張ります」


 朝霧さんの優しさに、頭を下げる。いいのいいの、と笑って、朝霧さんはいった。


「それじゃ、読み合わせ、始めようか!」


「東西旅行は、設立から五年を迎えたWEBメディアの運営会社です。社員の数は小鳥遊さんも含めて合計四人。浦島編集長の下、取材を行うライターが私と小鳥遊くん。WEBページの作成を手掛けるエンジニアが一人」


「……少ないですね」


 しおりと朝霧さんの言葉に聞き入っていると、集中していたせいか思わず思っていたことが口から出てしまう。慌てて口を塞いだが、朝霧さんはくすくす笑っていた。


「素直な感想ありがと。まあ、確かにギリギリの人数かもしれないけれど、少数精鋭だと思ってくれればいいよ」


「……僕、そんな精鋭じゃないんですけど、大丈夫ですか?」


 思わず口をついて出た不安に、朝霧さんはくすりと笑った。


「小鳥遊くん、自己評価低いタイプ?」


「あー……いや。すみません」


「謝らなくても大丈夫だけどさ。浦島編集長も小鳥遊くんと同じ大学……名阪芸術大学の文芸学部の出身なの。『あそこの文芸学部を卒業できるならライターとしての資質は十分なのね』なんて言ってたわ」


「そうだったんですか」


 知らないところでずいぶん能力を買われていたらしい。確かにライター職なのに、文章テストも無かったもんな。


「もちろん記事の書き方は私が教えるし、安心して。エンジニアは夜凪怜(よるなぎれい)ちゃんっていうんだけど、昼から出社してくると思うわ。また紹介するわね」


「あ、そうだ」


 朝霧さんの言葉に、朝訊けなかった質問を思い出す。


「もしかして、この編集部って編集長を除けば……男は僕だけですか」


「ま、そうなるね」


 うえ、と内心呟く。

 思えば幼稚園のころから、女の子とは縁のない人生だった。学生時代、つるんでいたのは男ばかり。中学生になってライトノベルや漫画、アニメにハマりオタク一直線。ついぞ大学卒業までに彼女などできたこともなく、そんな僕が女性多めの職場に勤めることになるなんて。

 ……大丈夫かな。そんな不安が顔に出ていたのかもしれない。朝霧さんはからからと笑う。


「安心して。怜ちゃん……夜凪さんもいい人だから」


「はあ……」

 この場合、いい人かどうかはさておいて、女性ばかりの職場であることが不安なのだけれど……まあ、言っても仕方ない、か。


「で」


 咳払いする朝霧さんに、話が本筋に戻ったのを感じる。


「今日から小鳥遊くんには、見習いライターとしてさっそく活動してもらいます。でも、最初の一年は特別。基本的には私に付いてもらって、取材のイロハを勉強してもらいます」


「同行、ですか?」


「そう。今日から一年間、小鳥遊くんは私の取材の相棒になってもらいます」


 いきなり取材といわれても不安だったので、素直にありがたい。

 それにしても業界の相場がわからないけれど、一年間も研修期間を用意してもらえるとは。それだけ期待されているのだろうか。……頑張らなければ。


「分かりました。よろしくお願いします」


「うん。それじゃ早速、明日、私と出かけましょうか」


「どこに行くんですか?」


「お、よくぞ聞いてくれました!」


 ふふーん! と朝霧さんはなぜか鼻息を荒くしながら、どこからか取り出した冊子を僕に見せる。そこには。


『春の行楽シーズン! 絶叫マシーンで彩るデート特集!』


 そう、表紙に大きく書かれていた。

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