第2話 竜騎士様

 大広間に着くと、そこには既にずらりと生徒が並んでいた。天井からは三種類の垂れ幕が下げられ、奥の壁には一角獣の紋章を刺繍した旗が掲げられている。魔法の力だろうか、支えもないのにぷかぷかと浮かぶランプが刺繍をキラキラ輝かせている。

 エージュ先生は「右端の列に並ぶように」とだけ言うと振り返りもせず教職員の列に向かっていってしまった。クインはそっとスーツケースを持ち上げ、なるべく音を立てないように大広間に足を踏み入れる。


 言われた通り右端の列に近づいていくと、一番後ろに立つふわふわした茶髪の少女が大きく目を見開いた。クインが隣に並ぶのを待って、少女はひそひそと囁く。


「あなた、もしかして着いたばっかり? 間に合ってよかったわね」

「うん。時間ギリギリでびっくりしちゃった」


 クインも少女に囁き返し、笑みを浮かべる。少女は口元に手を当ててくすくすと上品に笑った。


「不思議。まだ顔を見ただけなのに……なんだか私、あなたととっても仲良くなれそうな気がするわ」

「わ、嬉しい! 私も――」


 お友達になりたい。少女のほうに身を乗り出し、弾んだ声でそう言いかけたその時。

 澄んだ鐘の音がクインの言葉を遮った。ざわめきが徐々に静まり、広間を満たす空気がゆっくりと研ぎ澄まされていく。


 少女がほとんど声にならない声で「始まるわ」と囁き、正面に顔を向けた。それに倣って正面を向いたクインの目に、豊かな金髪を垂らした白い服の女性が飛び込んでくる。


(校長のフェイ先生だ……!)


 壇上に立つフェイは、クインに見せたのと同じ女神像のような微笑みを浮かべてゆっくりと大広間を見回す。ウェーブのかかった金髪が明かりを受けて水面のようにきらめいた。

 しんと静まり返った大広間に、しっとりした柔らかな声が響く。


「こうしてまたみなさんのお顔を見ることができ、心から嬉しく思います。在校生のみなさん、おかえりなさい。そして新入生のみなさん、魔法学園ピクシスへのご入学おめでとうございます」


 その言葉を合図に、在校生の列から光の粒や白い鳥の群れが舞った。思わず上げたクインの声は新入生たちの歓声と拍手に飲み込まれる。頭上を旋回する鳥たちを目で追いながら、クインも夢中になって手を叩いた。


 やがて、光と鳥が消えるとフェイ先生は再び口を開き、学園や寮について簡単に話していく。優しい声を聞いているうちに、クインの瞼はだんだんと重くなっていった。



「――では、最後に担任の先生をご紹介します」


 そんな言葉が耳に入り、クインはハッと目を開ける。先生の声はちゃんと聞こえていた、けれど内容をあまり覚えていない。そっと目だけを動かして周りを見てみると、新入生たちは硬い表情でじっと壇上を見守っていた。


(よかった、寝てたのは気づかれてないみたい)


 ほっと息を吐きながら、クインも周りの子たちと同じように壇上を見つめる。すぐにオレンジ色の巻き毛を揺らした女性が上がってきてフェイ先生に並んだ。


「α組、メリシア先生」


 女性がぺこりと一礼すると、少し離れた列から歓声が上がる。ざわめきに紛れて「可愛い」「ラッキー」という声も聞こえてきた。

 ここは何組?と訊く間もなく、続いて丸眼鏡をかけた小柄な男性が壇上に姿を現す。


「β組、カリオ先生」


 歓声はさっきより近く、けれど同じ列の子たちからではない。クインは胸の鼓動が大きくなっていくのを感じながらそわそわと身体を揺らした。声の位置から考えて、おそらく次に紹介されるのがクインたちの担任になる先生だ。


 空気のざわつきが高まっていく。生徒たちが食い入るように壇上を見つめる。そして――そこに灰色のコートをまとった男性が現れた瞬間、大広間にどよめきが走った。


「γ組、エージュ先生」


 フェイ先生が告げた瞬間、どこからか悲鳴が上がる。広がっていくざわつきの中に「そんなぁ」「ツイてない」といった声が混ざる。

 クインが思わず横を見ると、ふわふわした茶髪の少女は困ったように眉を下げて囁いた。


「姉から聞いたんだけど、とっても厳しいんですって」

「あ、そういうこと」


 こちらを振り返りもせず歩いていく後ろ姿を思い出して、クインは一人納得する。壇上に立つエージュ先生は、生徒たちの反応など気にもとめずお手本のような所作で一礼するとカリオ先生の隣に控えた。そうして並ぶとエージュ先生は頭ひとつ分近く背が高く、にじみ出る威圧感にクインの口から乾いた笑いが漏れる。


 けれど、ふと頭をよぎるのはこちらが転んだ後とはいえ歩みを遅めてくれた先生の姿で。


(確かにちょっと怖いけど、嫌な人ではなかった。それに……これからお世話になるのにこのままで良いわけない!)


 絶対に目立ってしまう。クラスから浮いてしまう。それでもこのままではいられない。

 クインが意を決して、せめて拍手をしようと両手を持ち上げたその時。


 ぶわり、と。天井付近の空気をかき回されたように突風が吹いた。


「伏せて! フェイクグリフォンよ!」


 誰かのよく通る声が鋭く叫ぶ。その言葉の意味は分からなかったけれど、何か危険なモノが現れたことだけはクインにも理解できた。周りに合わせて身体を小さく丸めながら、クインはそっと天井を見上げる。


 茶色の羽。鋭い鉤爪と獣の後ろ足。獲物を品定めするようにこちらを見下ろす金色の目。それは見たこともない怪物の姿だった。頭上を支配するそいつは開いたくちばしから品性の欠片もないがなり声を上げ――


 ――飛んできた閃光に撃ち抜かれ、間の抜けた悲鳴を漏らした。


「竜騎士様だわ!」


 再び誰かが叫ぶ。大広間にざわめきが走る。けれど、その声の色は先程と明らかに異なっていた。

 徐々に温まっていく空気の中、生徒たちの視線の先では瑠璃色の髪をきらめかせた仮面の男性が細身の剣を振るっている。剣からは閃光が飛び出し、撃ち抜かれた怪物は悲しげな声を上げながらどこかへ飛び去っていった。


「ねぇ、あの人は……」

 歓声の中、クインはそっと隣の少女に問いかける。少女はパチパチと瞬いてからすぐにっこりと笑みを浮かべて答えた。


「竜騎士様よ。この学園を警備している騎士様たちのリーダーなの」

「そう、なんだ……。ありがとう、教えてくれて」


 少女にお礼を伝えながらも、クインは自分の笑顔がこわばるのを感じていた。

 礼には及ばない、と告げた声が頭の奥によみがえる。


(……本当に、ただ仕事だったのね)


 分かっていたことなのに胸が痛い。剣を収めて歩み去る背中からクインはそっと目を逸らした。

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