花天月地【第30話 晩秋】

七海ポルカ

第1話



 修練場で兵達の模擬戦を見ていた賈詡かくは、ふと向こうから歩いてくるその姿に気づき、会釈した。

 立ち上がろうとした賈詡を司馬懿しばいがそのままでいい、と仕草で伝えてくる。


「これは司馬懿殿。殿下をお迎えした今朝ぶりですがどうされました」


徐庶じょしょに部隊編成を任せると聞いた」

「なにか」

「私の副官を側に置いて学ばせてもよいか。無論、口などは出させぬ」

 賈詡は何を言われるのかなという顔をしていたのだが、瞬きをしたあと軽く笑った。


「どうぞどうぞ。今さっき楽進がくしん将軍の部隊と外に演習に向かいましたのでご自由に」


「ここはいい」


 連れて来た副官に声を掛けると、彼は司馬懿と賈詡にそれぞれ深く一礼し、駆け出していった。


 賈詡は立ち上がると、手を掲げた。

 兵達が入れ替わるように動き始める。


「失礼ながら、司馬懿殿が後進教育にこうも熱心な方だとは思いませんでしたね」


 視界の中で、陸議りくぎがそこにいた馬を借り受けて、すぐに走り出し城門から出て行った。

 司馬懿は腕を組み、それを見送っている。


「……あれが例外だ」


「なるほど。随分と陸伯言りくはくげんを買ってらっしゃる。貴方は実力主義かと思っていたんだが……違いましたか?」

「いや。あっている」

「彼はまだ若く魏軍において何の実績もない。それでもあの子が役に立つと貴方には確信があるようだ。

 確かに利発なたちで、教えることを面白いように吸収する子ですが、優秀な子なら魏軍にもたくさんおりますよ。一体あの子の何がそんなに貴方のお気に召しているのか、ぜひお聞きしたい」


「語る必要はあるまい。陸議は涼州りょうしゅう遠征に連れて行く。あれが使えるかどうかはお前の目で確かめることになるだろうよ」


「なるほど……」


「お前こそ私の副官に気を引かれている場合か? 賈詡。

 副官として郭嘉かくかを連れて行くと聞いた。

 軍師としての矜持と警戒心がないのか」


 その言葉を待っていました、というように賈詡は笑っている。


「いいや。人並みにはありますよ。

 だがの代替わりが控えて、私は貴方や曹丕そうひ殿下に使える軍師だと示さなくてはならない立場。

 何故ならお二人とも、曹操そうそう殿の代での貢献なんて全く考慮して下さらんからね。

 つまり、私にとって大事なのは今回の涼州遠征を大成功で遂行することなんですよ。

 そのためになら矜持だのなんだの、構ってられない。

 あの男は来いなどと言っても絶対来ない男ですが、今回は郭嘉自身が涼州遠征に興味を持ち、出陣したがってる。あの矜持の塊の郭嘉殿が私の副官で全然構わないなんて言ってるのは非常に珍しい。この珍しい手を利用しないなんて無駄は出来ませんよ」


「郭嘉が自分で出陣を望んだ?」


 ふと、司馬懿が考えるような仕草を見た。


「ええ。病み上がりの復帰ですからね。副官のような立場の方が今回は本人もやりやすいのでしょう」


「今回の涼州遠征は私の意図で早まらせた。いわば、偶発的なものだ。

 何をそんなにあいつが興味を持つ?」


「天才の考えることを私に聞かれても困りますよ」


「ふん、殊勝なことを言っていれば私の気が済むなどと思うなよ」

「はっは! それじゃ俺も言わせてもらいますがね。

 どうして今回徐元直じょげんちょく長安ちょうあんから呼び寄せたんです?

 聞けば彼は貴方と面識すらなかったとか。

 本人も自分が何故呼ばれたのか分からず戸惑っていましたよ」


「何故戸惑う必要がある。お前なら飛び上がってやって来るだろう」


「まあそうですな。曹丕そうひ殿下がお呼びとあれば、正直小躍りしてやって来ますな。

 彼はどうも控え目な質なようで」


「その忌々しい性質もこの涼州遠征でお前が叩き直せ」


「おっと……。いきなり大層な任務が増えた気が……」


「お前も郭嘉かくかも曹操に仕えた軍師だ。

 それだけで忌み嫌うほど殿下は愚かではないが、曹操に仕えていなかった軍師も出来れば欲しい。徐庶じょしょを使う理由は他にはない。しかし使えぬ者ならばそんなことに拘る気はない。ただ、そういうことだ。余計なことを詮索するな」


「なるほど。要するに新品を探しておられるというわけですな。

 分かりました。陸議殿も、徐元直も、詮索はやめにしましょう。

 呉と蜀の江陵こうりょうの様子を荀彧じゅんいくが知りたがっていたと、荀攸じゅんゆうから文が――【剄門山けいもんさん】の戦いについて、郭嘉も興味を持っていた」


「それについては私の方で間諜を送り込んでおく。お前は涼州に専念しろ」


「ではそうしましょう」


 あっさりと賈詡かくが言った。

 何事にも拘らないこの性格で、この男は世を渡ってきた。

 だが同時に、これがあるゆえに曹操に重用された軍師だが、曹丕の許で働くにも賈詡は躊躇いは見せないだろうと確信がある。


(こいつほど単純に脳を切り替えられたら、涼州遠征などはこいつらに任せて、陸遜りくそんは直接蜀にぶつけるのだがな)


 自分を全く恐れないかと思えば、

 あんな己の才を投げ捨てているような男が怖いという。


 あれほどの戦の才があり、このまま許都にいても未来などないことを分かっているくせに、涼州には行きたくないと突然子供のように泣いて訴えてきた。


 昨夜、最初司馬懿しばいは陸議が何を「怖い」と言っているのか、当初は本当に分からなかった。

 なんのことだと聞いても答えなかったので、裸に剥いて攻め立ててやったが、それでもよく分からなかったが、どうやら徐庶のことらしいと辛うじて分かった程度だ。 

 何がどう怖いのかも、結局口を割らなかった。


 徐庶が涼州遠征に行くならば自分は別の戦線に行きたい、他ならどこでも構わないと泣きながら訴えて来たが、冷静な陸議があんなにも気を乱しているのが非常に興味深く、また面白かったので「お前は涼州遠征だ」と聞き入れてはやらなかった。


 そして陸議があまりに徐庶を警戒しているので、側に置けばもっと面白いものが見れるかもしれないと読んだ司馬懿は、涼州遠征の準備段階から陸議を徐元直じょげんちょくの側に置いて、様子を見てみることにしたのである。


 すっかり今朝は心を閉ざした様子で、賈詡の側に徐庶がいるからその補佐をして来いと言うと、司馬懿はこの件では譲歩はしないと理解したらしく、特に反抗もせず静かに小さく頷いて出て来た。



(まったく、手を焼かせる奴だ)



 司馬懿が小さく笑んだことに賈詡が気づき、怪訝な顔を浮かべた。



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