紙片の眼鏡
片山あこ
紙辺の眼鏡
夜更けの古書店で、私は“詞(ことば)を削ぐ男”――鞄職人上がりの校正屋・篝火(かがりび)と出会った。
彼は盲いた片眼の代わりに、厚紙を切り抜いて作った即席のメガネをかけている。透けるはずのない紙越しに文字を読み取り、不要な語をそぎ落としては原稿に赤線を引くのだという。
「難しい言葉で飾る奴ほど、世界を粗いまま見ている」
篝火は、私の差し出した原稿を一瞥し、紫煙の奥で嗤った。
――それは哲学誌に載せる小論で、私は学術用語を敷き詰め、句読点まで硬化させていた。
「賢い者が専門語を使うのは、闇鍋を一匙ずつ具材ごとに分けて示すためだ。細かく切り分ければ、どうしても名札が増える。だが君は鍋の蓋も開けぬまま、難しい札だけ真似して貼りつけてる。中身が見えないから、すぐバレるさ」
そう言うと、篝火は赤鉛筆で「概念構造」「パラダイム」「メタ認識」といった言葉に斜線を引き、脇に平仮名だけで同じ意味を書き添えた。
不思議なことに――難しい語を日常語に置き換えても、行は崩れず論旨も揺らがなかった。むしろ光が差すように読みやすい。
その瞬間、私は悟った。
見えない片眼で彼が捉えていたのは「語」ではなく「輪郭」だったのだ。紙片のメガネはただの戯れ。真に透視していたのは、文の奥に潜む思考の粒度。
篝火は削り屑まみれの机に私の原稿を置き、静かに言った。
「ことばは拡大鏡にもなるし、霞幕にもなる。よく見える側で使え」
私は頷き、夜更けの路地へ出た。街灯の光が紙片のメガネを透かし、風に揺れていた――まるで、世界がひとまわり細やかに切り出されたかのように。
紙片の眼鏡 片山あこ @katayama_ako
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