終わる世界の『続』⑤――青


 なかなか眠れず、やっと眠れたと思ったら猛烈な寒さで目が覚めた。薄暗さに一瞬夜明け前かと思うも、カーテンの隙間から白いものが激しく動いているのを見て、慌てて飛び起きる。窓の向こうは猛吹雪だった。薄暗さと降りすさぶ横殴りの雪のため、ほとんど状況は判らない。部屋から懐中電灯で外を照らせば、白い雪は途端にキラキラと虹色に光り輝いた。

 ミィはまだ猫のように布団で丸くなっている。小さなその山を見つめたまま、オレは高速で頭を回転させる。

 ついに恐れていた事態が発生してしまった。雪が降るとしても、まさかいきなり猛吹雪になるとは思わなかった。このままではこの家に閉じこめられてしまいかねない。街に行っても暖房器具が使えない以上寒さが和らぐワケじゃないが、ここに留まっていれば食料が尽きた時点……いや、その前に崩れかけの屋根が雪の重みに耐えられなくなるだろう。とはいえ、今家を出るのも死ににいくようなもの。ひとまず荷造りだけは済ませておいて、いつでも出発できる準備を整えておかなければ。

「……もぉあさ……?」

 部屋を出ようとしたら、後ろから声をかけられた。布団から顔だけ出したミィはやたらと眠そうで、擦っている目も開いていない。

「そうだけど、別に寝てていいぞ」

「そーする。きのーなんかいも目ーさめちゃってぇ……」

 間延びした声で言うと同時に、ぽすんと布団に突っ伏してしまった。ミィにとっても長い夜だったみたいだ。何度も起きていたとは知らなかったが、あれだけ寒ければ眠りも浅かっただろう。手伝ってもらっても正直邪魔にしかならないので、寝ていてくれたほうがありがたい。

 まずは移動手段だ。ガソリンの携行缶は十分にある。三和土に引きいれてガソリンを抜いておいたバイクに給油し、エンジンをかける。冷えているためなかなかかからなかったが、車体の点検をしている内にかかるようになった。

 一旦エンジンを切り、玄関の引き戸を開く。途端に味わったことのない冷気が一気に吹きこんできた。怯みつつも段差になった白い地面に足を踏み出すと、ザクッという音と共に数センチほど沈みこむ。オレは東京育ちで雪には馴染みがないものの、以前両親と行ったスキー旅行の雪の感触とは違う気がする。玄関との境にある雪の層は二十センチは越えているのに、ほとんど沈みこまない。踏んだ感覚も雪というより湿った砂利混じりの土という感じで、摩擦抵抗が強そうだ。硬化した紫心菌の影響なのかもしれない。

 これなら多少雪が降っていてもバイクを走らせられそうだ。勢いを得て、逃げこむように納屋の中に入った。今回の探し物は以前確認したときは見当たらなかった。しかし車庫はあった。この辺りは平常時も豪雪地帯だったろうし、ここの住人はなんでも捨てずに取り置くタイプのようだから、必ず残っているに違いない。

 予想した通り、奥から四本の古いタイヤチェーンが出てきた。恐らく車用のチェーンで若干錆びてはいるものの、改良すれば問題ない。多少チェーンの性能が落ちようが、サイドカー付きなら安定感も高くて車より安全なはずだ。

 タイヤチェーンとペンチさえ見つけたら、もう納屋には用はない。ここにいる間の燃料には炭を使っていた。アルコールストーブの燃料は丸々残っているし、使えそうなものはすでに母屋に運びこんである。

 母屋の玄関まで戻り、かじかむ指先に苦労しつつもペンチでチェーンの鎖を解く。タイヤの寸法に合わせながら繋ぎ直し、バイク用の二本とサイドカー用の小さな三本に分けて巻きつけた。

 移動手段の準備が整ったら、次は荷物の整理だ。できればあるだけ載せていきたいが、あまり重量が増えてしまうと危険だ。食料と燃料、防寒具の他は必要最低限だけをバイクにくくりつけ、サイドカーにも積みこんでいく。

 ミィの寝ている布団以外の荷物を積み終わると、部屋の隅の鉄壺と籠が視界に入った。余計なものではあるが、約束は約束だ。文字の練習を続けるためのノートをミィの鞄にしまいこみ、壺を持ち上げて横に置く。窓を振り返ると、雪は小降りになっていた。

「起きてくれ、ミィ。出発だ。町に着いたらコイツを読んであげるからな」

 ほぼほぼ乾いた絵本を見せると、布団から顔を覗かせたミィは寝ぼけ眼を嬉しそうに細くした。

 ミィの鞄に絵本をしまいこんで斜め掛けにし、いざバイクのシートに腰を下ろす。隣のサイドカーに乗ったミィは、サバイバルシートと二枚の毛布で完全防寒態勢だ。銀紙毛布から出ている片目がとろんとしていて、今にも目蓋が落っこちそうになっている。

「寒いし、着くまで毛布に埋もれて寝といていいぞ」

 吹き出しながら言ったら、大人しく毛布の中に潜っていった。銀紙でラッピングされた毛布の山になるのを見届けてから、ゆっくりとバイクを発進させる。

 進むのは、家の側を通っていた未舗装の道。今は雪に覆われて見えなくなっているが、一度通った道だからある程度方向は判る。途中に車庫の目印もあるし、方位磁石を見ながら進めば、問題なく広い道路まで出られるだろう。

 日中でも薄暗い乱層雲の下、車庫を見落とさないように慎重にバイクを走らせる。フルフェイスのヘルメットはミラーシールドで視界が悪くなるため、重量軽減も兼ねて置いてきた。帽子とマフラー、耳当ての貧弱な装備では顔が凍りそうに寒いが、そんなにスピードは出さないから風で涙がとまらなくなることはない。

 しばらくすると車庫を見つけ、更に進むとひらけた場所に出た。雪に埋もれて見えないがちゃんと目標の道路に出たようで、穴の開いた標識に『――町まで六十五キロ直進』と書いてある。方位磁石のマークも描かれていて、矢印は北東を示していた。下見のときにはなかった標識だ。結局ほとんど方位磁石を見なかったため少しずれた位置に出てきたようだが、好都合だった。改めて方位磁石を確認すると、西南西の方角に凍った川面が見える。ハンドルの向きを変え、北東に向かって進み始めた。

 町というからにはそれなりに建物が密集した地域なのだろう。緑川たち薬捜索隊が向かおうとしていたのもそこなのかもしれない。あれからひと月も経ったから彼らもその町に移っているかもしれないが、鉢合わせする確率だけで考えれば、鉄塔の町でも今から向かう町でもはたまた全然別の町でも同じことだ。六十五キロならゆっくり走っても四時間ほどで到着するし、いつ雪が激しくなるかも判らない。実質選択肢はひとつだけだった。

 ヘッドライトに照らされてキラキラと虹色に光る雪原をひたすら進む。いかにも滑りそうな見た目なのにタイヤはスリップする気配もなく、むしろ雪に埋もれて瓦礫を踏む心配がなくなったため快適極まりない。

「これなら楽勝だな」

 最初はどうなるかと思ったが活路が開けてきて、笑いながら少しスピードを上げた。ふと隣を見ると、ミィがサイドカーから身を乗り出している。

「おい、何やってんだよ!」

 咄嗟に咎めると、ミィはのんびりと座り直しながら、身体の周りの毛布とサバイバルシートをけだるげに手で押し返す。

「もぐってねてたらあつくなってきちゃってー。ゆき、きれーだねえ」

「呑気なもんだな。こっちは寒さに凍えながら運転してるってのに」

 エンジン音に紛れて聞こえてきた寝ぼけ声に、やれやれとため息をつく。スピードを上げたといっても時速二十キロ程度だから、会話に支障はないようだ。

 それならと、ヘッドライトをハイビームにして前方を指差した。

「ほら、ミィ。見えるか? 星ってあんな感じだ」

 舞い散る雪がライトを反射して虹色に輝く。ミィは赤い手袋を嵌めた両手で目を擦ると、寝ぼけ声で呟いた。

「きれー……。ほんもののほしも、はやくみれたらいいねえ」

「そうだな」

 この状況だと、オレも心底そう思うよ。


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