終わる世界のミッドポイント⑨――青
夕食のあと、白鷺が溺れた男の様子を見にいくと言うので、ついていくことにした。ミィはもちろん、白鷺についていくオレのあとをついてくる。
ドア代わりに垂れ下がっている毛布を捲って部屋の中に入ると、そこにはすでに緑川がいた。ベッドの男からこちらへと硬い表情を向ける。
「宮田さんから無線で連絡がありました。目的地までの軽油の確保は難しそうです。とりあえず、夜が明ける前に見つけた分の軽油を入れたボートでここまで来てもらいます。ガソリンは少し備蓄があるので、ボートにバイクを積みこんで……出発は夜明け頃でしょうか」
緑川の発言に白鷺も眉を曇らせる。
「そうか。君たちが戻ってくるまで発作が起こらねばいいが」
「間隔には幅がありそうですからね……」
緑川がポケットから取り出したのは特徴的なL字型のアルミシートだった。見覚えのあるそれはすべてに穴が開いていた。
薬がないとなると、白鷺さんは捜索隊が戻るまで残って男を看ると言い出しかねない。この人がついていたところで大したことはできないのだが、医療馬鹿の彼女にそれを指摘するのは酷だろう。
とはいえ、このままだとオレもなし崩しでこの集団の一員にされてしまいそうだ。別に白鷺を切り捨ててさっさと出ていってもいいのだが、……いや、やはり医療の知識とスキルはこのサバイバル生活では重要だ。ツレが増えるのは煩わしいが、彼女は大人にしては話が判るし、ミィの相手を任せられるのも大きい。
そうだ、いざとなれば白鷺にミィを押しつけてとんずらすることもできる。やはりできればあの人は連れていきたい――。
「……か」
思案の隙間に小さな掠れ声が挟まった。よく見れば、ベッドに横になった男の目が開いており、ボソボソと何かを呟いている。耳を澄ますと、「ももこ」と言い続けているようだった。白鷺と緑川が反応しないので、意識はすでに戻っていたのだろう。
「落ち着いたようだし、改めて診察してみよう」
オレの推測を裏付けるようなことを言って、白鷺さんがペンシルタイプの懐中電灯を取り出す。男の目にライトを当てるなど、一通りできる範囲の診察を済ませると首を横に振った。
「やはり心が離れてしまっているようだ。私は精神科医ではないから、あまり助けになれないだろう」
淡々とした態度と口調だが、彼女が堪えていることがなんとなく判った。この人が医療に対して極端に熱心なのは、圧しかかってくる罪の意識から逃れ、揺らぎそうになる医師としてのアイデンティティを立て直そうとしてのことなのかもしれない。
「蒼太」冷静なまま、白鷺さんが言う。「この男性は妻の女性と共に薬を探していたんだよな?」
「はい」
「その女性がいなくなっているし、彼は活性化した紫心菌――恐らく生物細胞を付着させていた。女性が事故に遭うなりした結果だろう。彼自身が溶け落ちていないということは、冷えたあとの女性の亡骸に触れて、彼自身の体温で再活性したということだ。雨が降っていてよかった。活性化した側から冷やされてを繰り返していたようだから」
白鷺さんの推測は整合性が取れている。しかしオレは別の考えに囚われていた。
この男はオレたちと別れた地点のわずか一キロ先にいた。オレとミィに鉄塔までの同行を頼んでもおかしくないあの状況で、あっさり別れた。今から思うと、そうなるように誘導されていた気もする。心が読めるなんてごまかして、自分たちの名前さえ明かさず二人で口裏を合わせ、まるでオレとミィが邪魔だったみたいに。
都合よくゴムボートが川辺にあったこと、そのボートはどうやら使用後だったこと、病院の患者たちがあの薬だけ持っていなかったこと……。夫婦はすでに病院探索を終えたあとで、あのときオレたちの前で飲んだ薬は病院で回収した最後の一錠だったんじゃないか? なくなったら心中するつもりで最後の時間を過ごし、そこに現れたのがオレとミィだったとしたら――。
邪魔者を遠ざけたあと、彼らは当初の計画を遂行したはずだ。川に身を投げるなんて方法ではなく、最後だからこそできるやり方で。白鷺さんの言う通り、男に付着していた活性状態のスライムは彼の妻のものだ。しかしそれは亡骸ではなかった。男のほうが溶け落ちなかっただけ。溶け合うつもりで最後の抱擁を交わして、自分だけが生き残ったら――そりゃあんな暴挙にも出るし、今のこの状態にだってなるだろう。
そこまで一気に考えて、ふと我に返った。我ながら視野の狭い荒唐無稽な妄想だ。紫心菌の激化が起こらないなら、それこそパニック映画の主人公そのものだが、男が選ばれたヒーローではないことは白鷺さんとの接触で確定している。接触した脛の被害は、むしろ男のほうが大きかったぐらいだ。
当たり前の帰着だが、やはり白鷺さんの推測が正しいのだろう。根も葉もない妄想をわざわざ披露して、鼻で笑われる必要などない。
それに……この推測を口にすることは、一人生き残ってしまった男を更に貶めるような気もした。たとえ彼の耳に周りの声はもう届かなくても。
「名前……『ゆー』のあと、何だったんだろ」
目の焦点が合っていない男を見ながらポツリと呟くと、白鷺さんが振り返った。
「君たちはもう寝なさい。私はもう少し彼を看ておく」
「……はい」
それ以上何も言うことが見当たらなくて、ミィと部屋をあとにした。
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