終わる世界のミッドポイント⑧――青
ミィと白鷺と別れ、やけに腰の低い中年男に案内されて着いたのは、三方の壁が崩れ落ちてやたらと見晴らしのいい浴室だった。コミュニティの端も端で随分と歩かされたし、浴槽も縁が大きく欠けていてぬるま湯が半分しか入っていない。
きっと女用の風呂はこうじゃないはずだ。こんなとこでも女尊男卑か。そう思いながら入浴を済ませ、コミュニティの中心部にある野外食堂に向かうと、ミィたちはまだ戻ってきていなかった。いつもはカラスの水浴びのミィも、白鷺さんと一緒の今日は時間がかかるだろう。
覚悟を決めて待つこと幾星霜。途中何度も腕時計を一瞥することになった。水没したから当然だが、針はとまってしまっている。それを思い出すたびに、ミィのと纏めてまた調達しねえとなーなどとぼんやり考えた。
やがて腕時計も空腹もすべてがどうでもよくなるくらい待ちくたびれた頃、ようやくミィが戻ってきた。
「お待たせー、蒼太!」
得意げに言って、目の前でクルリと回って見せる。文句も引っこんでしまうくらい、ミィは綺麗になっていた。
まず目に留まるのは白い肌に白い髪。見慣れたオレでもちょっとびっくりするほどの透き通るような白さをしている。
服も真っ白だ。オレと同じくここの連中に借りたんだろうけど、今まで着ていたワンピースとの違いがほとんど判らない。オレが今着てるのはおっさんが着るようなチノパンとセーターにブルゾンなのに、よくあんなに似たワンピースが置いてあったもんだ。
眼帯も真っ白な新品に替わっている。髪もきちんと整えられ、まっすぐな櫛目が入っていた。今まで癖毛だと思っていたのは、単にもつれていたかららしい。
和柄のヘアゴムもなんとか洗ってあるらしく、ある程度汚れが落ちていた。しかし組紐のチョーカーは元のままで、ヘアゴムの位置もおかしい。根元をくくったゴムは髪と同じ白で、オレがやったヘアゴムは毛先のほうを束ねている。
「それ、先生に洗ってもらったのか?」
ヘアゴムから下の髪を早速指先でクルクル弄っているミィに訊くと、「うん! 結ぶのも先生がしてくれた!」と元気な返事。
最近の流行――はさすがにないから、合理主義一点で細い猫っ毛を纏めるためにあの位置に結んだか、ヘアゴムの重みで自然に落ちてきてしまったかのどちらかだろう。根元のゴムは新品みたいだし、その内どこかで落としそうだからこのままでいいか。失くしたら、あんなボロじゃなくて今度こそちゃんとしたものをつけさせよう。
腕組みをして、もう一度全体を眺める。
「まあ、そこそこ見られるようになったんじゃねえか」
「えへへ~、頑張った!」
ミィがまたしても踊るようにその場で回った。その後ろで白鷺さんがこちらに歩いてくる。思わず目を見張り、近づいてくるにつれ肩が強張った。
化粧っ気がないのはこれまでと同じだ。着ているのも、男物のシンプルなトレーナーに地味なスラックス。しかしトレーナーは肩が落ちるほど大きいのに胸元だけははち切れそうで、ズボンもベルトで思いっきり締めているのが皺の寄り具合からはっきり判る。腰から太腿にかけてのまろやかな丸みも男ではありえないラインだ。
男物を着ることで、女にしては背の高い彼女の華奢さと女性性が逆に明確に浮き上がっていた。
「さっきの取り消し。お前には色気が足りん」
少し早くなる鼓動をごまかすようにミィに声をかけると、「イロケ? どうやったら足りる?」と首を捻る。
「お前はまず、細すぎるんだよ。食わず嫌いしねえでもっと食え」
「私としては、ミィくらいフラットな身体のほうがよかったんだがな。実験の邪魔になる」
側まで来た白鷺さんが話に入ってきた。ミィが拗ねたように口の中で呟く。
「先生、今ミィのこと馬鹿にしたでしょ。なんとなく判るよ」
「おれはミィちゃんみたいな子も好きだけどなー。もちろん先生みたいな女性も好きだけど」
当然今のはオレのセリフじゃない。緑川の声だ。ナチュラルなセクハラ発言に振り返ると、緑川がにこやかに笑いながら皿を運んできていた。
「ハッピバースデートゥユー、ハッピバースデートゥユー」
皿の上に載っているのは生クリームのケーキに見える。上にピンク色に灯った小さなサイリウムが刺さっている。茫然としている間に、白鷺も周りにいた連中も緑川に続いて歌い出した。歌い終わると、今度は揃って手を叩く。
「え? 何? なんかのギシキ?」
キョトンとしていたミィが打ち鳴らされる拍手の音にビビって、左右を見回す。その横でオレは喉の奥から声を絞り出した。
「……なんで判ったんですか」
白鷺が地面に敷かれたビニールシートの上に座る。
「病院で私に今は七月かと聞き返したあと、自分の年齢を言い直していただろ。七月に入ってすぐが誕生日なのかと思ってな」
「え、蒼太誕生日なの!? 誕生日って生まれた日だよね? すごーい! 蒼太、生まれてくれてありがとー!」
「何もめでたくねえよ!」
思わずミィに八つ当たりして、どっかとシートの端に腰を下ろした。
数人で輪になり、真っ黒な夜空の下、夕食が始まった。
当然のようにオレの前に置かれたケーキ皿にげんなりするが、緑川がさっさと去っていったのがせめてもの幸運だろう。この場に人が少ないのも、薬捜索の準備に大半が駆り出されているかららしい。輪を囲んでいるのはオレとミィ、白鷺の他には、二人の中年女とじいさん、さっきの変態ひよこ男がいるだけだ。
「あの……今日の食事ナッツとか、オリーブオイル……」
トマトソースらしいパスタが入った皿を持ち上げて、ひよこが隣の中年女――鍋で煮炊きしていたヤツだ――におずおずと訊いている。
「ああ、大丈夫よ。聞いた食材はまったく入れてないから安心して。それにしても案外食べられないものが多いのねえ」
豪快に笑う中年女に、「あ、そのっ、アレルギーでして、僕……すいません……」とタジタジして小さくなっている。こんなときまで因果な性分だ。
しかし同情してばかりもいられない。渋々フォークを手に取り、表面にかかった白いクリーム状のものを掻き分けてみる。どうやらケーキの土台は非常食の缶詰パンのようだ。
「腹壊さねえだろうな……」
呟くと、「大丈夫」と返事が戻ってきた。
「粉末のホイップクリームだから。牛乳があればよかったんだけどねえ。水で作ったからコクが足りないの、ごめんなさいね」
顔を上げると、ひよこと話していた中年女が申し訳なさそうにこちらを――いや、全員がオレに注目している。特にミィは赤い目を輝かせて興味津々だ。
「やるよ、毒見しろ」
取り皿に半分分けてやったら、「美味しい美味しい!」と口の周りをベタベタにし出した。今までチョコレートや飴玉なんかの甘いものは食おうとしなかったのに、生クリームはコイツのお眼鏡にかなったらしい。
渋々一口食べてみた。コクがないとか言ってたけど、普通に生クリームだ。久しぶりに食べたからか、濃厚なミルクの甘味を感じる。
ケーキもどきを食っているオレとミィに、にこやかな眼差しが向けられている。チラリと窺ってみると、みんなメシを食う手をとめてオレたちを見ていた。
こんなに崩壊の激しい町で、生クリームなんてめったに手に入るもんじゃねえだろ。大人の余裕ってヤツか。揃いも揃って偽善者ぶりやがって。くそ、気に食わねえ。
「やる。オレはもういい。甘いもの苦手なんだ」
全員に聞こえるように言って、ミィにすべて押しつけた。ミィは遠慮するどころか、早速オレの皿の上を片付けにかかっている。
オレはオレで別の料理を食べ始めるも、どれもこれもこの状況では十分すぎるほどのご馳走だ。オレ一人だけに対するものではないからまだ幾分マシだが、いきなり押しかけて一方的に世話になるばかりなのに、ここまでされて居心地がいいワケがない。見返りにコミュニティに取りこんで、労働力としてこき使う算段なのかもしれない。
――コイツはよくこんなに図々しくなれるよな、人見知りのくせに。
皿に顔を突っこまんばかりのミィに視線を向けると、鈴の音が聞こえないことに気が付いた。
「どうした、鈴」
「さあ?」
それだけ言ってオレの話を聞き流し、ケーキもどきに夢中になっている。大事なものだったんじゃねえのかよ、それ。
「一応鈴はついてるんだな。網に捕まったときに引っかかって壊れたのか――あれ? でもここまで歩いてる間に鳴ってたような……」
「鳴ってなかったぞ」
オレの独り言に白鷺が応える。
「同じ音を聞き続けていると音が耳に残るからな。それで聞いたような気がするんじゃないか」
「そうですか。じゃあやっぱ魚になったときだな。ほんと鈍くせえんだから」
オレの皮肉もなんのその。ミィにはケーキもどきしか見えていないようだった。
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