終わる世界の『承』⑦――青
外に出ると今日も雨だった。ミィのレインコートのフードを目深に被せ直してやり、移動を開始する。
川に突き当たった。相変わらず茶色い濁流が鉄塔へ向かってしぶきを上げている。
「すごい水ー。ピカピカした細長い子たち、大丈夫かなあ?」
「あんま近寄るなよ。溺れるぞ」
川に沿って進む。元ドラッグストアを通過し、元スーパー跡地までやってきた。やはりめぼしいものは見つからなかったが、ここから川に背を向けて進めば和菓子屋に着くはずだ。
和菓子屋はすぐに見つかった。そのときになって昨夜作成した矢印付き方位磁石を試し忘れていたことに気付いたが、雨の中ミィを連れての探索は危険が伴うし、川からここまでは目と鼻の先だから迷いようもない。
方位磁石はまたの機会にして、とりあえず店の中に入った。調理場に残っていた米粉やもち米、小豆をリュックに詰められるだけ詰めこみ店を出る。
「誰か……!」
その途端、遠くで人の声がした。近づいてくるにつれ、瓦礫の上をよろめきながら懸命に走る女の姿がはっきりしてくる。
「人! よかった! 助けて、ゆーくんが……!」
有無を言わさずついていかされた先には、女と同じ二十代半ばくらいの優男が蹲っていた。女が瓦礫の隙間を指差して、「薬を飲もうとしたら、そこに落としてしまって!」
懐中電灯で照らしてみると、確かにアルミシートの反射らしい光がチラリと見えた。
「わたしが支えてます。その間にお願いします!」
支えるも何も、この大きな瓦礫をその細腕で持ち上げられるワケがない。つまり勝手にオレを頭数に入れているということだ。清楚な感じの女だが、こういうヤツほど図々しくて困る。言動の端々に滲む、『か弱いわたしは助けられて当然でしょ』。ここでオレがちょっとでも難色を示そうものなら、完全に人非人扱いだ。
「ミィ。オレとこの人で持ち上げてるから、そこの薬……今光った四角いヤツをとってこい」
仕方ないから、瓦礫に手をかけミィに指示を出した。オレと女が踏ん張っている間に、小柄なミィはスルスルと隙間に入っていってアルミシートをとってくる。
「すごいわ! ありがとう!」
女がミィから薬をひったくり、男に差し出した。
「ゆーくん、薬よ……!」
女の声に気付いた男が顔を上げてアルミシートを受け取る。震える手が女の手に重なりそうになって、見ているこっちが冷や冷やした。受け取ってからもなかなか薬が取り出せず、いたずらに束になったアルミシートを揉みしだく。
なんとか一粒の錠剤が男の手の平に転がり落ちた。落とさないように顔を上向け、飲み下そうとする。
「飲んじゃ駄目! 死んじゃう!」
突然上がった悲痛な叫びに肩が跳ね上がった。男がしっかり飲みこんだのを確認してから、ため息と共に肩の力を抜く。
「煩いぞ、ミィ。あれは死なねえために飲むんだ。ほら、見てみろ」
脇腹を押さえていた男のこぶしが緩み、眉間に寄った皺が薄くなっていく。食いしばられていた口元から安堵の吐息が吐き出された。
「ほんとだ……。これっていいものだったんだ。あんなに苦いのに」
男の様子を心配げに見守っていたミィが、地面に落ちていたパッケージを拾い上げた。さっき薬を取り出そうとして、纏めていた輪ゴムから飛び出したもののひとつだ。穴が開いた表面を指先で弄っているミィの姿で、飲むのを止めようとした理由に思い当たる。実験施設で飲まされた薬に、酷い目に遭わされてきたのだろう。
かと思うと、ミィがハッとしたようにシートから顔を上げた。
「これもうないよ! 死なないために飲むってことは、なくなったらヤバいんじゃない!?」
最近オレから覚えた言葉で危惧を口にする。ミィからシートを取り上げてみると、確かに薬は残っていなかった。表面に書かれているのは薬の名称だろうが、見慣れない横文字で一見では覚えられそうにない。他にばら撒かれたままになっているシートを拾ってみるも、ことごとく空っぽだ。
男も残量を把握しているのだろう。手にしていたL字型のアルミシートだけをそそくさと大切そうに上着のポケットにしまうと、フラップのボタンを留めた。見えた範囲ではそのシートも穴だらけだった。残りはごくわずかのようだ。
「それだけなんですか、薬。……って、そりゃそうですよね。あの状況で人探しに行くくらいだから。何ボケてんだろ、オレ」
ボソボソと言いながら、返す機会を失って手にしていたアルミシートをポケットに押しこむ。オレの言葉に女が顔を曇らせた。
「薬を探してここまで来たんだけど……」
「っていうことは、その、見つからなかったんですか?」
女が先を続けなかったので、仕方なしに促してやる。これだから女は。
「……いえ。病院に行くための橋が落ちていて、探しにいけなかったの」
すっかり落ち着いた様子で女の話を聞いていた男が一瞬目を見開いた。何か言い出すのかと思ったら、何も言わない。肩透かしを食らいながら、改めて疑問を口にする。
「病院って、川岸に見えてるあの、大きな建物ですか?」
「そうよ。この辺りで一番大きな病院だから探しにきて……」
結局女がこれまでのことをすべて話してしまった。男はその間だんまりだ。亭主関白とかではなく、完全に尻に敷かれている。やっぱり清楚ぶってる女は我が強い。
自分たちの名前まで省略するほどかいつまみまくった女の説明によると、二人は元幼馴染同士の新婚夫妻らしい。男は昔から身体が弱く、この異変の数か月前に女から臓器移植を受けたところだったようだ。
話を終えた女が頬に手をあて、逡巡ののち口を開いた。
「それで、すごく言いにくいんだけど……」
「駄目だ!」
いきなり男が声を上げる。
「でも……」
「危険すぎる。それなら今から別の街に行くほうがいい」
女が口を開きかけた。男は遮るように、「いや、そこはなんとかする。何より君を失ってしまったら、僕は生きる意味がなくなる」
「ゆーくん……」
「ああ、僕も同じ気持ちだよ……」
ワケの判らないやりとりを繰り広げた上、完全に二人の世界に入ってしまっている。降りしきる雨もアウトオブ眼中だ。
呆気にとられていると、やっとこちらに気付いた女がごまかすように苦笑した。
「ごめんなさい、驚かせちゃったかしら。今のはね……」
女の言葉を引き継ぐように、また男が口を挟んでくる。
「僕は彼女の考えていることが判るんだ。彼女が君に病院への同行をお願いしようとしてたから、そんな危険な真似をするより他の街に探しにいったほうがいいって」
「隕石が落ちて少ししてかしらね。あなたが覚醒したのは」
「危険な状況だと第六感が目覚めるのかもね。そうそう、それ」
男が相槌を打ち、それからほとんど声を合わせて、
「目の見えない人が感覚的に空間を認識できるようになるみたいに」
「目が見えなくなった人の空間認識能力に似てるよね」
とんだ茶番だ。この二人は自分たちを特別な存在だとでも考えているようだが、判ったような気になっているだけというのが実際のところだろう。確かにこの危機的な状況で神経が張り詰め、相手の考えを先読みする能力は増したのかもしれない。しかしそれは今いきなり目覚めたものではなく、これまでの長い付き合いの中で培ってきたもの。女の性格を知っていれば、何を考えているかは予想がつくはずだ。
いや、それすらも幻想かもしれない。婚約者のために川を泳いででも薬を取りにいこうとする。それをとめられたら、間に合わなくなるなどの反論を試みる。そんな思考の流れは反射的な理想論のようなものだ。女がそういったことをチラリとでも考えていれば、夫の口から言語化された瞬間、自分がまさにそうしようとしていたと錯覚してしまうだろう。実際には本気で考えていたんじゃなくても。
何はともあれ、状況的にこの二人は詰んでいる。男は格好つけてなんとかするとか言ってたが、別の街をこれから探していたら絶対間に合わない。そもそも、この町の病院にも他の病院にも目当ての薬があるとは限らない。
「今から他を探すのって難しいよね? この町の病院には薬はないの?」
考えていたら、近いことをミィが訊いてきた。コイツも少しは論理的な思考ができるようになってきたみたいだ。
「どうだろうな。結構大きな病院みたいだけど」
「じゃあありそうだよね。うん、ミィたちで探しにいってきてあげようよ!」
いきなりとんでもないことを言い出した。慌てて二人に視線を向けると、またしても目を潤ませながら互いを見つめ合っている。悲劇に酔っているだけでまさかわざと無視したワケではないのだろうが、少し感じが悪い。
とはいえ、ミィの提案が聞かれなかったのはラッキーなのだろう。これ以上ミィが余計なことを言い出さない内に、さっさとオレから声をかけることにする。
「あの、すいません。あそこに見える鉄塔の辺りに、生き残った人たちのコミュニティがあるらしいんです。オレらよりよっぽど頼りになると思いますから、行ってみたらどうでしょうか」
今度は二人ともがすぐに反応した。同時にオレに顔を向け、「え、そうなの?」「よかった。なんとかなりそうね!」と喜色をあらわにする。
「行ってみるよ。ありがとう」
「本当に助かったわ。あなたたちも元気でね」
「あ、はい。その、そっち……らさんも、くれぐれも気を付けて」
あれよあれよと話は進み、男たちはあっさり鉄塔に向かって去っていった。あまりにも反応が現金すぎて、やはりさっきのミィの発言は頼りないからとわざと無視したように思える。ま、もう関係ないから別にどうでもいいんだけど。
「オレたちも行くぞ、ミィ」
ふたつの背中から視線を引きはがし、方位磁石を取り出して南に向かって歩き出す。背後でミィの「待ってよー」という声が聞こえる。
あの二人じゃ鉄塔まで辿り着けるかも怪しい。だけどオレたちに背を向けたのはあの二人のほうだ。付き添ったら昨日の嫌味な男にまた会っちまうかもしれない。そうなると、今度こそ親切心振りかざして強制的にコミュニティにとりこまれかねない。そんなのご免だ。折角自分の力で好き勝手に生きられるようになったのに、またくだらない年功序列と息苦しいルールやしがらみに縛られるなんて。
「――た、蒼太!」
突然耳元で喚かれて身を竦ませる。接触寸前かと思いきや、案外離れたところでへたりこんでいたミィが、心配そうな顔でオレを見つめていた。
「ほんとに助けにいかなくていいの?」
「いいの。てかお前、人の心配より自分の心配しろよ。また転びやがって」
渋々引き返すと、剥き出しの白い膝は一応擦りきれてはいなかった。なのにミィはしゃがんだまま、潤んだ瞳でオレを見上げてくる。
「だって蒼太、本当は助けてあげたいんでしょ?」
「はあ? オレは別に、」
「テットーまで行ってちゃ間に合わないでしょ? 薬探してきてあげようよ。大丈夫、ミィもついていってあげるから」
『ついていってあげる』ってどこまで上から目線なんだよ。お前なんか足手まといでしかねえよ。第一どうやって川を渡るんだよ。
頭の中で散々文句を言うも、縋りつくように見つめてくるミィの真剣な眼差しに言葉は声にならない。女の目には危険な魔力が宿っている。それがルビーみたいな真っ赤な瞳なら、尚更。
こういうとき、触れないというのは実に不便だ。溶ける恐れがないなら、問答無用で引きずっていってやるのに。
「つっても、薬の名前も判らねえのに、どうやって探……」
言いながらポケットに手をつっこむと、薄い板の感触がした。すぐさまそれが、さっき自分で押しこんだ薬の空パッケージだと気付いてしまう。
「……くそっ、わがまま娘め。ただし、川を見にいく、それだけだからな」
唸るように言うと同時に、白猫はぴょこんと軽やかに立ち上がった。
「うん!」
もしかして、しゃがんでたのもこけたふりだったんじゃないだろうな……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます