終わる世界の『承』⑥――青


 男と犬が去ったあと、調理場を覗いたらいくつかの材料が残っていた。床にばら撒かれた米粉やもち米、小豆の一部を背中のリュックに移す。食うためには調理が必要だし、水も大量に使うからあまり持っていっても邪魔になるだけだ。

 しかしそれから数時間探索を続けたものの、結局他に食料は見つからなかった。まだまだ食料は足りないが、薄暗くなってきたためこれ以上の探索は不可能だ。

 方位磁石を確認しながら、来た方角へ戻る。

「あれ?」

 しかし本屋が見つからないまま町を出てしまった。鉄塔を目印に引き返すも、動線がずれているらしく辿り着けない。

 確かに今までもミィに留守番させて戻る際、一度で戻れた試しがなかった。しかしすぐに見覚えのある建物に突き当たったりして、大したことにはならずに済んでいた。

 油断していた。今日は今までより遠距離を移動しているし、崩壊も酷くてどこを見回しても同じような瓦礫の山だ。その上、雨脚まで強くなり始めた。煙る視界に目を凝らしながら、こぶしを握りこむ。

 落ち着け。何も来た道をそのまま戻らなくてもいいんだ。本屋が町の端にあったのは確かなんだから、鉄塔を背に一旦町を出て、周囲を回るように探せばその内見つかるはず。

 もう一度町の端に出る頃には、約束の五時を何時間も過ぎていた。懐中電灯で照らしながら足早に移動していたが、気付けば駆け出してしまっている。

 いつかは戻れる。しかし早くしなければ、ミィがオレを探しに遠くまで出歩いてしまいかねない。そうなったら最早再会することは絶望的だ。連絡手段もなく、辺りは真っ暗で視界も悪い。オレが持っている懐中電灯の光も、視力の悪いミィには見つけられないだろう。

 冷たい雨の中を走り回る。何度も転んだが、痛みなんて感じない。ただ自分の息遣いだけが煩い。耳の奥に響く血流の音が煩い。くそ、ちょっとだけでもとめられねえのか、この音。アイツが怖がって泣き喚いてても、これじゃ聞き逃しちまうじゃ――。

「――蒼太!!」

 頭を揺らすような声が聞こえた。かすかだけど、はっきりと。

「こっちか……!」

 どの方角から聞こえてきたのか判る。迷うことなく足先を転じると、進むにつれミィの声はよりはっきり大きくなっていった。

「蒼太、どこ!? 大丈夫なの!? 返事して! ミィを置いていなくならないで……! 一人にしないで……!」

 悲痛な、全身で叫んでいるかのような、その声。

 見覚えのある小さな建物が見えた。歪んだシャッターからランタンの光が漏れ、瓦礫の上に猫娘のシルエットを落としている。

 躍り出たドアの前で急に立ち止まったら、膝から力が抜けてその場に座りこんでしまった。

「蒼太……!」

 雨と共に降りかかってくる大声に、荒い息の下苦笑する。

「煩せえ、よ……お前……」

「遅いから心配してたんだよ! 何回探しにいこうと思ったか!」

 それでも、行かなかったんだな。だるすぎる頭を動かして一瞥すると、視線の促しで判ったのかミィが両手を腰に当て胸を張った。

「ミィまで迷子になっちゃ離れ離れになっちゃうでしょ。でももうお留守番はこりごり。今度からはミィも一緒についていくからね!」

 ピーピー泣いているのかと思ったら、ちょっとは考える頭もできてきたようだ。オレの教育の賜物だな。その分扱いにくくなってきたのが難点ではあるが。

「オレは、迷子じゃ、ねえ。連れてくのも、ごめんだ」

 息が整ってきた。立ち上がると、なんとか歩ける。結構無茶な走り方をしたと思ったが、案外回復が早い。オレも体力がついてきたってことか。

「とりあえずメシにしよう。それからお前はこないだ教えてやった計算の復習。オレが適当に問題出すから、答えを言え」

「本読んでくれるんじゃなかったの?」

「それはまた今度だ。オレも方位磁石の使い方マスターしねえと」




 ミィに向かって「三足す四は?」などと言いながら、本屋を漁って方位磁石の使い方の本を探したものの見つからなかった。

 それもそうだ。令和も十年を過ぎて――最早カレンダーは意味を為さなくなったが――、方位磁石なんてアナログなものに頼るのは遭難した登山家くらいのものだろう。オレだって理科の授業で簡単に習っただけで、実際に使うのはこれが初めてだった。南に向かうだけなら針の指す方向に進めば済むことだが、こういうときのためにもちゃんと使えるようになっておかなければならない。

 その夜は方位磁石に矢印付きの台座をとりつける作業をして過ごし、翌朝、ミィを連れて早くもこの町を離れることにした。昨日の和菓子屋がちょうど南の方角にあるため、ついでに立ち寄れば一応食糧は確保できる。ネックなのは飲料水だが、とにかく昨日の嫌味な男とその一味に見つからないことが最重要だ。そこへいくと和菓子屋は昨日アイツが探索していた箇所だから、あの辺り一帯に立て続けに来ることはないだろう。


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