終わる世界の『承』⑤――青


 町を探索してみると、中央付近に大きな川が流れていることが判った。雨で増水した茶色く濁った水がしぶきを上げている。

 現在向かっている鉄塔はオレたちが来た方向とは真逆の、町の端のほうにあるらしい。この町で一番高い建造物で、先が折れていてもよく目立つ。川はその方角へ伸びているようだ。

 川に沿って進むにつれ、何軒かドラッグストアやスーパーを見つけたが、河川津波によってほぼ全壊していた。その中から端の焦げた缶詰や缶ジュースを掘り出すも、全然量が足りない。

 少し前から濁流の反対側、川上のほうに建物が見えていた。まだ距離がありそうなのに視認できるということは、相当大きな建物みたいだ。あちら側へ行ければいいのだが、ここまでで橋には遭遇していない。橋がかかっているのはこの先なのだろう。しかし、すでにかなりの距離を歩いている。あまり先に進むと帰るのが遅くなってしまいそうだ。

 今日のところは妥協しよう。橋を探すのは、明日早く起きて出直してくればいい。今日は鉄塔の目印から逸れてしまうが、こちら側の少し川から離れた場所を探索して、それで終了だ。

 濁流に背を向けて進み始めると、和菓子屋を発見した。隕石の落下で屋根瓦は所々剥がれているものの崩壊は免れており、坂の上にあるため浸水もしていないようだ。

 店内に入るとショーケースの中は当然腐っていたが、側面の両壁際に棚がある。片方は干菓子、もう片方は和柄の小物類売り場だ。ただし、干菓子の棚は小さな隕石の衝突で砕けてしまっていた。床に散らばる煎餅やかりんとうの破片を避けながら、無事だった小物の並んだ棚に歩み寄る。

「ついてねえな。逆だったらよかったのに」

 赤い花菱模様の布のヘアゴム――シャシャだかチュチュだかいう、女子学生がよく手首につけてたやつだ――を抓み上げながら文句を言う。

 まあ腹の足しにはならないが、ミィへの土産ぐらいにはなるかもしれない。ビニール紐みたいなきったない紐は捨てさせて、コイツで髪を結ばせよう。

 レインコートの前をはだけて、ミィの鞄にヘアゴムをしまっていると、近くで呼吸音がした。警戒する前に、いきなり黒い鼻面が鞄の下から現れる。

「うわあっ!」

 よろけるオレに薄茶色の物体はすぐさま後ろに飛び退いた。まるで接触で溶けることを理解しているかのように。

「こらこら、さんた。危ないよ」

 呑気な注意が今更聞こえてきた。オレに向かって尻尾を振っていた犬が嬉しそうにそちらを振り向く。犬種はゴールデンレトリバーだろう。平常時はしょっちゅう見かけた犬だが、こうして間近で接してみるとデカくて威圧感がある。ちぎれんばかりに振っている尾から風を感じるくらいだ。

 顔を上げると、長身の男が入口に立っていた。見下されているかのような体勢に慌ててこちらも立ち上がるも、頭ひとつ分の身長差に見下ろされたままになる。

 黒い短髪に浅黒い肌の、いかにも健康的で爽やかな男だ。二十代前半――大学生だろうか。平常だった頃はテニスサークルにでも入っていて、合コンより真面目にテニスに精を出し、大会に出ては女どもからキャーキャー騒がれているようなタイプのヤツだ。

 そのいけ好かない野郎が片手を上げ、白い歯をちらつかせながら笑う。

「やあ。可愛い鞄だね。彼女の?」

「あ、ども。た、ただのツレです、けども」

 くそー。思わずどもっちまった。オレはこういうヤツが一番苦手なんだよ。いいヤツそうに見せかけて、腹の中ではこっちを見下して嗤ってやがるんだ。

「へえ、持ってあげてるなんて優しいんだね。彼女はどこ?」

 早速人の女のチェックか? 別にミィはオレの女でもなんでもないけど。

「だから、彼女じゃない、です」

 鞄を抱えて俯くオレの頭上に、クスクス笑いが降ってくる。

「今のは言葉通りの彼女だよ。君とかあなたと同じ」

 それは二人称だ。彼女は三人称代名詞。これだから調子がいいだけの馬鹿は。大学もどうせFランだろう。

「今は……そのちょっとツレと、アレして……離れてて。と言ってもこの町の中なんですけど、すぐ見つかるワケでもなくて。アイツすぐどっか行くし、オレがじっとしてろって言っても勝手にそのいつも……だからすぐ見つかるワケじゃないんです、ほんとアイツいつもアレで、」

「つまり彼女を休ませて、君一人で探索してるんだね」

「……はい」

 話を遮るなよ。無礼者め。

 顔を俯けたまま眼球だけ動かして睨みつける。男はたじろぎもせずに満面の笑みを浮かべた。

「おれの名前はミドリカワヨースケ。こっちはさんた。赤い帽子のほうじゃなくて、太陽のサンにタロウの『タ』ね。おれの名前とお揃い」

 ということは、漢字は緑川陽介にサン太だろう。名前まで陽キャ臭が半端ない。犬は犬でちょっとオレの名前と被ってやがる。

「向こうに鉄塔あるでしょ、先っちょ折れてるヤツ。あそこの下にコミュニティ作って暮らしてるんだ。サン太の鼻を借りて、生き残った人を探しながらね」

「はあ……」

「すごいでしょ? 君を見つけたのもサン太だしね。首輪もしてるし、誰かに飼われてたペットだと思うんだけど。ずっと動物飼いたかったから、出会えたときはほんと嬉しかったな。大好きなんだよね、動物。こうなる前はボランティア活動やってたし、大学も……」

「っそれは、その、すごいですね、よかったです」

 聞いてねえのに、てめえのことばっかペラペラ喋んな。放っといたらいつまでも話し続けるぞ、コイツ。

 あからさまにうんざりした顔をしてやったが、男は気付いた様子もなく「うん」と頷く。

「サン太のおかげで結構助けられた。みんなで協力すれば、この生活もなんとかなるもんだよ。君たちもおいでよ。歓迎するからさ」

 とんでもないことを言い出した。

「いや、それは……その……アイツ、ツレにもアレ……そ、相談しないと」

 適当にかわそうとするも、「そうだね。行こうか、一緒に探すよ」と促してくる。空気読めよ、これだから陽キャは。明らかに迷惑オーラ発してるだろうが。

「いやっ、あの……オレすごく大事なアレがあって、その、秘密の……だから今はちょっと。場所判ってるし、あとから」

「……そっか」

 なんとか言い訳を続けると、やっと気付いたのかこれ見よがしにポケットに両手を入れて目を伏せる。男がいじけるな。気持ち悪い。

「判ったよ。当分はあの辺にいるから」

「はい、行けたらアレしますんで」

 内心シッシッと追い払いながら適当に受け流したら、「じゃあね」の声と同時に、抱えっぱなしだったミィの鞄を軽く叩かれた。

「触るな……!」

 反射的に鞄を引くと、驚いたように手の平をこちらに向けておどける。

「おっと、ごめん。壊れやすい物でも入ってたかな。可愛い彼女にもよろしくね」

 なんだ、その態度は。オレは女の尻に敷かれて鞄持ちするような情けない男じゃないぞ。

「あ、はい。いえ、別に、オレも今のはその、そういうんじゃなくて、もののはず」

「ちなみにさっきの彼女は彼氏彼女のことね。行くよ、サン太」

 犬の返事する鳴き声を聞きながら、心の中で呟く。

 だから話の途中で遮るな。燃やすぞ。


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