終わる世界の『承』④――青


 方位磁石を頼りにかなりの距離を歩き続け、崩壊が激しい町に辿り着いた。

 少し前から雨が続いているのもあり、探索には危険が伴うだろう。できればスルーしたいところだが、ここ数日は村どころかわずかな民家しか見つからず、食料が不足していた。

 飲料水も確保したい。一応水に関しては、いざとなればホームセンターから拝借してきた携帯用の小型浄水器がある。とはいえ、簡易的な造りだからか紫の何かを完全に除去することはできず、気持ち的に口にしたくなかった。飲んだところですでに汚染されているから、三十二度以下なら大丈夫なんだろうが。

「ここがよさそうだな」

 ひとまずひ弱で足手まといにしかならないミィを隠れさせておくため、町外れの元個人経営らしい小さな本屋に入った。二階の居住スペースが崩れてしまっているが、一階は本棚が支えになってなんとか空間を保っている。床に本が散乱しているものの、本しかないと判りきっているため怪我の心配もない。

「大人しくしとけよ。こけて本棚に体当たりなんかしたら、天井が落ちてくるかもしれないからな」

「判った! 完璧!」

「返事だけはいいよな、いつも」

 安請け合いするミィにジトッとした視線を送る。留守番させることはこれまでにもあったが、ちょっとの時間でもすぐにウロチョロするし、視力が弱いからしょっちゅう躓いてるようなヤツなのだ。

「時計は合ってるか? 確認するぞ」

 腕に嵌めている時計を突き合わせる。ミィの巻いている腕時計は、合うサイズがなくベルトの部分をゴムバンドに換えてやったものだ。そこまで手間をかけた割に、厚みの変わる雲のせいで暗くなるのは日によってまちまちだから、正直時間はあてにならない。今みたいに留守にする際の共通タイマーとして使用している。

「よし、じゃあ五時には帰るから」

「ってことは……あとにぷんくらい!」

「今回は短針のほうだ。長針でも二目盛は十分だし」

「うー、時計難しい……」

 ミィは腕時計のダイヤルを睨みつけて唸っている。オレの教育の甲斐もあって話し言葉はすっかりマスターしたみたいだが、まだ算数は一桁の足し算引き算の暗算がやっとというところだ。

「今日の留守番はいつもの十倍は時間かかるぞ」

「十倍?」

「いっぱいってことだ。せっかく本屋に来たんだから、本読んどけ、本」

 床に散らばった本を指差すと、「どれがお勧め?」と訊いてくる。

「絵本しかないだろ。お前文字読めないし」

 絵本の平置き棚に視線をやると、見慣れた表紙が飛びこんできた。反射的に自室に置いてきたままのこの本を思い出す。

 サン=テグジュペリの『星の王子さま』。あれは親父から渡された本だった。八歳の誕生日に「そろそろ読めると思うから」とプレゼントされたものだ。当時のオレには正直文章量が多くて難しく、それでも親父やお袋にせがんで読んでもらっては、小さな王子と一緒に星々を旅して回った。あの本がきっかけで、オレは宇宙やSFに興味を持つようになったのだ。

 どうしてだろう。最近やけに昔のことを思い出す。確かに穏やかで平和な毎日だった。世界には楽しいことや美しいものしかないと、盲目的に信じられていた頃。

 親父も昔は仕事人間でも浮気野郎でもなかった。お袋もいつも笑顔で優しかった。オレだって最初からこんな捻くれた性格をしていたワケじゃない。別に今更戻りたいなんて思わない。だけど親父とお袋のあの最期は……――オレのせいだ。オレが高校受験に失敗したせいで……。

「蒼太?」

 ミィの訝しそうな声が聞こえて、我に返った。オレとしたことがトリップしてしまった。空想は好きだが、過去を振り返るなんて時間の無駄だ。馬鹿のすることだ。

 とりあえず本に罪はない。星の王子さまは持っていくことにした。オレも久しぶりに読み返したいし、ミィの頭をよくしてやるための教材としても使える。子供の頃は判らなかったが、この本はかなりシビアな現実を描いている。モラハラや共依存の危険性を学ぶには打ってつけだ。

 星の王子さまをミィの鞄に入れながら、適当な絵本を何冊か差し出してやる。

「とりあえず留守番中はこっち読んどけ。これはほとんど文字だから、戻ってきたら読んでやる」

「うん!」

 ミィは早速うつ伏せに寝転がって、絵本を眺め出した。途端に服は埃だらけ。宙に折り曲げた片足をプラプラさせるものだから、スカートの中が見えそうになっている。

「じゃあ行ってくる。勝手に一人で出歩くなよ」

 それとなく視線を外して、歪んだシャッターに手をかける。

「今夜は星見えたらいいねえ」

「無理だろ。こんなに雨降ってるし」

 言い置いて、シャッターの隙間をくぐった。降りかかる雨に青いレインコートのフードを被りながら、方位磁石を確認する。遠くに見える先端の折れた鉄塔を目印に歩き始めた。

 星の話をしてからというもの、ミィは毎日あの調子だ。天候を気にし、真っ暗な夜空を見上げてはため息をつく。想像が膨らんで、星空を過大評価しすぎているらしい。確かにSF通なオレも星にはロマンを感じるが、地上から見てもそこまできれいなものではない。見たらがっかりするだろうから、このまま晴れないほうがアイツにとってはいいのかもしれない。

 レインコートの下にあるミィの鞄を軽く叩く。置いていくと、悪漢に見つかって奪われそうになってもアイツは抵抗するに違いないから、こうして毎回持ち歩いている。今日はそのお荷物がなんだか楽しい。

 ミィは結構妄想癖が激しいようだ。現実の星は見えなくても、想像の星は見える。アイツの妄想にかかったら、この本に出てくる星たちはどんな風に輝くのだろう。


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