終わる世界の『起』④――青


 そのあとも垣灰谷とのスムーズな接触を図るべく試行錯誤を繰り返した。会話のきっかけになるかもと、かねてより書いてみたかった自作小説にも着手した。ネットや図書館で借りた本で小説の書き方の基本を調べ、出来を確かめるために書き上げた物語の冒頭部分をネットの小説投稿サイトにアップした。

 しかしほとんど読まれることはなく、いくつか来た感想も幼稚な言葉遣いの罵詈雑言ばかり。三点リーダーも知らないようなヤツらが小説を正しく理解できるワケもない。その内ラストまで書き上げたら、ちゃんとした出版社の公募にでも出してみることにしよう。その頃には垣灰谷とも親しくなって、もしかしたら出版した本を読ませることができるかもしれない。

 そうは思えど、四千万光年先にいる親の喧嘩のとばっちりを食うこの環境では、なかなか続きを書く気力が持てない。そうしている内に、そろそろ高校最初の夏休みという時期に差しかかった。

 夏休みに入ってしまったら、垣灰谷にちょっかい……チャンスを与えてやれなくなる。内心焦るオレを他所に、教室内は次第に高まる夏の解放感に浮つき出し、ついには女子の上靴がいくつも盗まれる事件まで勃発してしまった。

「そういえば最近ずっとあそこの席の……そうそう、アカギくん。そのアカイくんが、放課後靴箱のところでウロウロしてるのを見ました」

 とある女子に指差されてギョッとした。オレの苗字は青木なのだが、そんなことはどうでもいい。なんつーことを言いやがるんだ、この女は。先公も先公だ。帰りのホームルームで心当たりを聞くなんて、公開処刑にしかならないじゃないか。

 当然だが、オレは犯人なんかじゃない。下駄箱にいたのはクラスの違う垣灰谷に声をかけるチャンスを作ってやってたからで、そもそもオレは女嫌いなのだ。あの母親と父親を見ていて、交際や結婚に夢なんか持てるか。垣灰谷なら喋ってやってもいいと思うのは、付き合いたいとか学年一の美人だからとかじゃなくて、単に宇宙やSFの話がしたいだけだ。

 無能なクラスの担任は、「憶測でアカミを犯人扱いしないように」と一応釘を刺したものの――赤身って、単なる肉の塊とでも言いてえのか?――、そのときにはもう無駄だった。

「知ってる? あの子、プールの授業いっつも休んでるんだよ。あれって絶対見学で女子を観察するためだよね」

「うわー、きもー。いつも汗だくなのも引くよなー」

「それな。暑いんなら半袖着ろよっていう」

「色白でヒョロヒョロだからコンプレックスなんじゃね?」

「誰も見てねえっつーの」

「言えてる。もう確定だな。やりそうな顔してるし」

 ホームルームが終わるや否や、遠巻きに陰口が聞こえ、疑いの視線が突き刺さる。

 噂が広まるのは時間の問題だった。垣灰谷の耳に入ったら軽蔑されてしまう。こうなれば背に腹は代えられない。色事に興味などないが、垣灰谷をものにすることで見事嫌疑を晴らしてやる。学年一のアイドルと交際していたら、その他大勢の上靴なんて盗むワケがないとみんな納得するはずだ。

 勢いこんで、校門を出る垣灰谷を追いかけた。話しかけようとすると人が通りがかったりして、なかなか機会を得られない。別に声をかけるのが緊張するからとかではなく、オレに声をかけるだけでも恥ずかしがる垣灰谷に、衆人の面前で告白させるなんてあまりにも酷だからだ。

 結局その気遣いが仇となり、彼女の家の前まで来てしまった。これじゃストーカーみたいじゃないかと電信柱の陰に隠れようとしたところで、私服に着替えた垣灰谷が玄関から出てきてしまった。

「あ、うっ……」


 ノースリーブのワンピース!

 めちゃくちゃ可愛い――ってそうじゃなくて!

 垣灰谷怪しんでるじゃねえか、早く、早く喋らねえと……!


「や、やア! 奇遇だネこんなところで!」

 声は裏返ったし顔は強張ってしまったものの、女嫌いの自分にしてはなかなか如才ない挨拶ができたんじゃないだろうか。垣灰谷はオレに声をかけるチャンスを窺っていたのだから、ここまでやってやれば喜んで自分から――自分から――……。

 二人の間に沈黙が流れる。垣灰谷は眉を顰めて、半歩後退りしている。突然のオレの出現に、嬉しすぎてパニックになっているようだ。

「だ、誰……?」

 知ってるくせに。いや、こっそり名前を調べてしまったことを隠したいのかもしれない。仕方ない、ここは合わせてやるか。

「青木、青木蒼太。二組。同じ一年の」

「そ、そう……」

「うん、蒼太」早速名前呼びとは大胆だな。「久しぶりだね。げ、元気だった?」

「え、マジで誰? 知らないんだけど」

 更に半歩後退る。今度はガードが堅いふりをして、オレを手玉にとるつもりか。この小悪魔め。

「や、やだなあ。会ってますよ。JAXA展で。あの日、い、いたでしょ。垣灰谷さん。制服で。オレも制服、今と同じほら、オ、オレは長袖だけど」

「じゃくさ? なんか宇宙のやつは時間潰しで見たけど」

「杏奈! 遅いぞ、何やってんだ?」

「直樹……!」

 いきなり背後から男の声が聞こえて、垣灰谷がそちらへ駆け出した。振り返ると、オレの第一志望だった有名私立高校の制服を着た男が立っている。

 垣灰谷に抱きつかれた男が首を傾げた。

「誰、そいつ?」

「さあ? なんかナオキと一緒で宇宙オタクみたい」

「オタクってなんだよ。お前だって結構ハマってるじゃん」

「あたしがハマってるのは宇宙じゃなくて、未来の宇宙飛行士だからぁ」

 二人は腕を組み、至近距離で耳打ちしながら去っていった。一人取り残されたオレは、あまりの屈辱と羞恥にしばらく一歩も動けなかった。




 その翌日。仮病で休むつもりが不機嫌な母親に家を追い出されてしまった。渋々登校したオレに待っていたのは、机に詰めこまれた大量の白い何かだった。

 一目で盗まれた女子たちの上靴だと気付き、咄嗟に椅子に座って身体で隠した。オレの席は教室の一番後ろだったし、置き勉をしていなかったため押しこめばなんとかなった。

 それでもずっとこのままにしていたら、いずれ見つかる。なんとかその日一日をやり過ごしたあと、放課後校内に人けがなくなるまで待って、上靴を鞄に詰めこんだ。

 元の靴箱に戻したほうが憂いはないが、全部に名前が書いてあるワケでもないし、モタモタすると誰かに見つかる危険性もある。ゴミ収集場に捨てれば、用務員が見つけてしまうかもしれない。オレが遅くまで残っていたことに気付いてたヤツもいるだろうから――普段なら空気だけど、今は疑いの目がある――、ブツが出てきたらバレる前に処分しようとしたとこれまた疑われてしまうだろう。

 持ち帰って家で捨てることが最適解だ。そう判断したオレは、上靴だけが詰まった鞄を肩に掛け下駄箱までやってきた。その途端、陰から飛び出してきた連中にいきなり取り囲まれた。意味も判らず鞄を奪われ、上靴が床にばら撒かれる。

「すげえ。ミッチーの言う通りだったな」

「一日で済んでラッキー。牛丼食い行こうぜー」

「その前に、ゴミ捨て場見張ってるヤツらも呼んでこいよ。全員で職員室にコイツ突き出しにいこう」

 そのときは頭が真っ白になって引き立てられるまま職員室に行き、担任や教頭から説教を受けた。翌日親を呼んで改めて話をすると言われ、ようやく解放されて帰宅するときもまだ呆然としていた。

 我に返ったのは、両親の罵り合いをBGMに自室のベッドの上で布団を被っていたときだ。怒鳴り声から意識を逸らそうとすると、嫌でも今日の出来事が思い出されてきて、オレを見張っていたクラスメイトたちの言葉の意味に気が付いた。『ミッチーの言う通り』、『一日で済んでラッキー』。オレのことを見張ろうと言い出したその男こそ、オレを陥れ罪を被せた真犯人なのだ。

 しかし気付いたところでどうすることもできない。ミッチーこと黒田光雄はクラスカーストの頂点に君臨する人気者だ。オレが何か言ったところでそんなワケあるかと一蹴され、生徒どころか教師にも信じてもらえないだろう。

 居間から皿の割れる音がした。

「離婚よ!」

 母親のヒステリックな声が響き渡る。

 オレは告発なんてしないし、学校に行くつもりもない。このまま布団の中にこもって世界の終わりを願い続けよう。

 こんな不条理な世界で死んだように生きるくらいなら、死んだほうが遥かにマシだ。


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