終わる世界の『起』③――青


 気が付けば、オレは何かの展示会場らしきフロアに立っていた。見下ろした身体は西須加原にしすがわら高校の制服を着ており、右手には通学鞄が握られている。

 ――そうだ。もうすぐJAXA展の開催期間が終わるから、学校も午前だけだしと足を伸ばしてみたんだ。開催期間は確か明日までで、今日は期末テスト二日目だから七月の……ああ、嫌なこと思い出しちまった。ま、十六にもなって今更誕生日にはしゃぐワケもないから、どうでもいいんだけど。

 すでに見て回った展示会は期待外れだった。どれもネットや文献で見聞きしたものばかりで、今更模型などを見たところでなんの感慨も湧かない。

 そもそも、オレが好きなのは圧倒的に文系もののSFなのだ。確かに現実でもドラマチックな出来事は稀にある。探査機はやぶさの帰還は今から二十年前の二〇一〇年、オレが生まれる四年も前の出来事だから資料などでしか知らないが、もしリアルタイムで見ていたなら胸が熱くなったことだろう。それでも今判っている宇宙の情報は文系SFに比べるとスケールが小さすぎ、そこまで興味を引かれない。

 そういえば、ここに来るまでの道中でSF小説を二冊買ったんだった。一冊は理系っぽいけど、もう片方はオレが好きそうな文系ものっぽかった。やっぱりSFは文系の作者が書いたSFに限る。理系作者が書いた小説は、ロケットの構造だの惑星間の距離だのがだらだら書き込まれててかったるい。科学的に齟齬があろうが、とにかく空想力が爆発したような世界観の中で、主人公がどう感じどう考えどんな行動に出るのかを見ているほうが、ずっと物語の中に入りこめる。

 さっさと帰って読もう。明日は数学と英語・物理のテストだが、あんなレベルの低い問題、眠りながらでも解ける。本命は私立で、公立は滑り止めだからと家から近いだけの理由で選んだのが間違いだった。生徒も学校のレベルに見合った馬鹿ばっかりで、三か月も経つのにオレの顔さえ覚えやしない。今日だって、無理やり押しつけられた学級委員の仕事で渋々クラスメイトに声をかけたら、男からはウザがられるわ、女子からは相手されないわで散々だった。

 あのとき、交通事故に遭わなければ――いや、その前の受験本番にインフルエンザさえかからなければ、今頃は……。

 苦々しさに歯噛みしながら足を踏み出したところで、グッズ売り場の前にいる女子高生の姿に気付いた。

 立ち止まるオレに気付いたのか、宇宙食のパッケージをスマホ撮影していた少女も顔を上げる。

「あ、ニス高の制服」

 オレを見て小さく呟き、垣灰谷かきばやははにかむような笑みを浮かべると、小走りで会場を出ていった。そのセーラー服の後ろ姿を見ながら、目の前がパッと明るくなる。

 まさか垣灰谷がそらガールとはな。どうせ大した知識もないニワカファンだろうが、学校では他のお気楽女子高生たちとやれ流行りのスイーツだとか流行りのネイルだとか言って騒ぐばかりだったから驚いた。普段は周りのレベルに合わせているのだろう。

 低俗な連中と表向きにでも付き合う日和見主義にはうんざりするが、これでオレの冴えない人生も一転だ。これからはラノベの主人公みたいなラブコメ展開が目白押しに違いない。ラノベなんて幼稚で馬鹿臭いけど、ま、学年アイドルがオレに宇宙について教えてくれって頭を下げて頼むんなら聞いてやらんこともない。

 ニヤニヤ……いや、ウキウキしながら家に帰ると、いきなりヒステリックな声が飛んできた。

「蒼太! ただいまくらい言ったらどうなの!? アンタまで私を家政婦扱いするつもり!?」

 そっちこそ、母親にあるまじき挨拶だ。途端に重くなる足を引きずるようにして自室に入り、布団にこもりながら買ってきた小説のページを開いた。

 SFはいい。ひとたびページを捲れば、くそったれな現実から何万光年も離れ、宇宙船で未知の惑星を訪れたり、人間と違って煩わしさのないAIやロボットたちと戯れられる。空想の中にいるときだけが、生を感じられる瞬間だ。

 だから二千万光年も離れたリビングでの深夜の口喧嘩なんて、オレの耳には届いちゃいない。




 翌日、ソワソワしながら登校するも、垣灰谷は声をかけてこなかった。

 次の日も、またその次の日も。どうやら照れているらしい。確かにみんなのアイドル垣灰谷が、自分から特定の男に話しかけるなんて大事件だ。ここは話しかけやすいように、オレがお膳立てしてやらなければ。

 自室の部屋の壁を埋める本棚の前で一晩中悩み明かして、E・E・スミスの『宇宙のスカイラーク』を学校に持っていった。廊下ですれ違いざまそれとなく落としてみるも、垣灰谷は表紙を一瞥しただけでそのまま去っていってしまった。

 オレの配慮は伝わらなかったようだ。『スペースオペラの父』と呼ばれる作家だし、一応タイトルでもそれと判るものを選んだのだが、小説は嗜んでいないのかもしれない。宇宙ものに限らずSF小説を読まないなんて、損してるどころか人生の浪費だ。まあ、初心者ならハインラインの『夏への扉』やアシモフの『われはロボット』、それぐらいのメジャーどころから勧めてやったほうがいいのだろう。オレはとにかく猫が大嫌いだから、『夏への扉』のどこがいいのかさっぱり判らないのだが、自分の趣味に合わないものは全否定するような狭量な男ではないからな。


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