星落としの忌み子
灼灼金魚
第1話 星々が降り始めた夜
──ある冬の夜。
人知れず司雨は、街灯もまばらな公園のベンチに身を沈めていた。
指先は冷えきり、背中には雪でも積もっているような重苦しさ。
目は虚ろに空を仰いでいた。
冬空に滲む星があまりにも眩しく、無神経に笑っているように見えた。
そのとき、不意に喉の奥から濁った呻きが漏れる。
「……なんで、オレだけ……」
吐き捨てるように唇が震え、次の瞬間、叫びが爆ぜた。
「なんでオレだけ、こんな泥の中にいなきゃならねぇんだよッ!!」
声が夜を裂く。
空に浮かぶ群星へ指を突きつけて呪いのように叫ぶ。
「オレはオレを見下す星々を呪うッ! 幸福に酔い、誰かを嘲るように浮かぶお前ら全部──オレと同じ地の底、泥の底に引きずり落としてやる……!!」
その瞬間だった。
視界の端、空気が波打ち、異様な“気配”が彼の皮膚を這った。
頬に、黒い線のようなものがぬるりと伸びる。
無意識に手で払おうとして──指が震える。
そこには黒くうごめく菌のような何かが、皮膚の下で生きているかのように蠢いていた。
司雨は初めて気づいた。
自分の中のどこかに**“もう一人の自分”**がいたことを。
「ようやく目覚めたか、司雨──」
声が脳内に直接流れ込んできた。
形を持たない声、だがそれは確かに司雨の中に棲む“別の意志”だった。
「お前は生まれながらに悪党だった。だが、地獄に堕ちるのを恐れ、ずっと見て見ぬフリをしてきた……」
「だが現実はどうだ? 今や、お前は生き地獄に愛されているではないか?」
言葉に返す余裕もない。
司雨の脳内に火のような感情が燃え上がっていた。
「ならば決めろ。お前が本当に憎むべき奴らに──どんな呵責を課すのかを!!」
彼が「それ」に出会ったのは、偶然というにはあまりに奇妙な巡り合わせだった。
眠れぬ夜にネットをさまよい、辿り着いた匿名掲示板の過去ログ──
表題はくだらない悪ふざけそのものだった。
『文化祭でドカンやって爆音鳴らしたら、校長来て草』
だがスレッドの奥には異様なほど具体的なやり取りが残っていた。
──乾燥剤と塩素系漂白剤の反応速度
──園芸用硝酸アンモニウムの含有量と純度
──市販薬のpH緩衝域を利用した結晶化工程
どれも化学的に見れば稚拙で危うい。だが、不思議なことに──筋は通っていた。
単なる悪戯話ではなく、実験の記録であり、罪を肯定する手記だった。
司雨は料理が得意だった。
火加減、材料の分量、反応のタイミング──それらを正確に操る職人気質。
“調理”に、わずかでも“化学”の視点が加われば、それは合成になる。
そして合成が暴走すれば、それは爆発となる。
最初は園芸店の肥料だった。
次にドラッグストアで洗剤と漂白剤。
DIYショップで強アルカリ性のクリーナー。
魚用の水質調整剤、薬用の湿布、ジェル系除湿剤。
冷却、粉砕、再結晶。
台所と化学実験の境界線は、思ったより曖昧だった。
何日もかけた末、彼の前には白く乾いた粘土のような物質が残った。
見る者が見ればただの失敗作にしか見えないそれは──しかし、熱を加えれば確かに**“応える”**もの。
「……なるほど、料理と爆薬は意外と似てるんだな」
試さずとも分かる。
味見は不要だ。必要なのは確信だった。
「109が花舞台だな。観客が退屈しないよう、盛大な幕開けがいる……!」
彼は深夜の街に仕掛けを施していく。
鉄パイプの代用はDIYパーツ。
充填剤に使われたのは断熱材の断片と溶剤。
完成した即席C4もどき──再現性は限りなく低いが、都市の雑踏に紛れさせるには十分なはず。
その間、司雨の心臓は鼓動をはやめるばかりだった。
これで起爆すれば後戻りはできない――しかし後戻りしたところで待ち受けているのは虚無の墓場。
――ついにやってきたクリスマス・イブ。
「これは――ただの第一歩だ。
ここから始まるんだ、オレの人生は――!」
手動起爆スイッチ。
この小さなボタン一つで悪人も善人もまとめて吹き飛ばせる。
司雨はゾクゾクが止まらなかった。
生まれて初めての感覚に気絶しそうなほど緊張する。
「――三――二」
カチっ
「……え?」
カチカチっ
「は?」
何度押してもC4は産声一つあげなかった。
そう。計画は――失敗したのだ。
それもそうだろう。素人による杜撰な爆弾だ。成功する確率は一割以下なのだから。
「はあああっ!?」
天空が裂ける。
まるで天からの圧力に押し潰されるように、目の前の空間が歪む。
経験のしたことがない不気味に熱い視線が司雨の胸を強く刺す。
──ぎぃ……ん、と高く金属が軋む音。
鎖は司雨の両手両足を縛り、罪人としての烙印を押すかのように重厚な空気が漏れ出す――
「おいッ!なんなんだこれはッ!
地獄の閻魔の仕業かッ!?
オレはまだなにもしてねぇぞ!!」
「オレにはまだやるべきことがあんだよ――ッ!!」
負け犬の目に真っ直ぐ星々の光を映し出していた。
拘束を引きちぎろうとする司雨に鎖はギリギリと軋む。
「お前はもう後戻りできやしない――」
頭に響くまたあの声――
「お前は出来損ないの獄卒だ――
悪人善人区別なく、呵責の限りを尽くす大罪人。
原罪の祖である閻魔でさえ目もあてられないほどの最悪。
例え今のが失敗だとしてもお前は成功させるまで何度も繰り返すだろう。
その魂が尽きるまで――
なら遅かれ早かれ目覚めるのは必然」
「クソっ!また訳分からねぇことをッ!オレにはやるべきことがッ!
あるつってんだろうがッ!!」
とうとう縛っていた鎖も司雨の覚悟に引きちぎられた。
空中に轟音が轟く。
黒い霧のようなものが司雨を包み込み、黒と赤を基調とした衣装が、まるで粘膜のように司雨の肉体を覆う。
鉄の仮面が顔を覆い、口元だけが露出していた。
その唇は、わずかに艶やかな赤みを帯びていた。
衣装は布地と革の中間のような不吉な質感。
アクセントには血のように濃い深紅が滲み、銀の鈍い金具が骨のように各所に打ち込まれている。
そして──
衣装の背から無数の鎖が垂れ下がった。
吊り下がるように、地を這い、宙を舞う。
その鎖の先端には、一本一本形の異なる**鏃(やじり)**が鈍く光っていた。
《忌葬・星落》──それが彼を包む負装だった。
カッ、と彼の眼が星を睨んだ。
「へぇ、今になってようやくオレを見てくれやがったのか――ゴミがッ!」
ガチャリ、と鎖が音を立てる。
「その楔を星に落としてみろ……
さすればお前の望みは叶う」
「ああ、わかったよ!
やってやるよ!」
クリスマスイブのイルミネーションが灯るホテル前の行列の最後尾。
何も知らぬカップルたちが笑い声を上げながらこれからのお楽しみのシメに思いを馳せていた。
そのうちの一組は、大学生風の男女で、体を寄せ合っていた。
──ガシュ。
鏃が男と女の頭上に無音で突き刺さる。
彼には何も聞こえず、何も感じなかった。ただ、ふと寒気がして女の方へ目を向けると、女も同じように彼を見ていた。二人の視線が交わる――その瞬間だった。
「……くたばれ」
司雨は低く呟いた。
そして鎖を引く。
瞬間。
空から隕石が堕ちるかのような圧倒的な力が二人の肉体に働く。
誰にも見えない重力が二人を虚空から地面へ叩きつける。
音もなく。
鼓動が止まり、数秒後──
ドッ──ン!!
血飛沫と肉片が夜の舗道に咲いた。
吹き飛んだ体の欠片を前に、周囲はただ立ち尽くす。声すら出ない。
星が、ふたつ堕ちた。
司雨は静かに笑う。
「ワンセット……次――」
前に並んでいたカップルも目の前の光景に脳の処理が追いつく前に――潰された。
その笑顔には罪悪感はなく――あるのは味わったことの無い強烈な喜びだった。
「次」
周囲は困惑した。
その時にも容赦なく順番がカップルたちにやってきた。
「次――次」
列は全滅した。
次に司雨の目に映るはホテル。
「大目玉を食らわせてやる」
司雨の背後に無数の穴が空く。
暗い奥底から楔たちがギラりと凶暴な双眸を覗かせる。
ドスッドスドスドスッ
ホテルの隅々にまで突き刺さる楔が一斉に引き抜かれると、嬌声ではない悲鳴も外に轟く。
豪勢な性愛の巣窟は――深海に圧縮されたドラム缶のようにペシャンコになった。
大きなクレーターがそこにポッカリ空き、残った瓦礫の隙間から血がとめどなく吹き出す。
「――スカッすんな……
見ていて気持ちがいい!
しかしこれでは効率が悪い――」
そう言うと司雨は鎖を他の建物に突き刺し、それを手繰り寄せるように壁を駆け上がる。
「今度は――オレが見下ろす番だ」
少年はその細腕を天に掲げると、天体から無数の鎖が垂れ下がるように、幸福者達の頭上へ突き刺さる。
「バァン――」
一言呟くと街は血塗られ、あれだけ騒がしかった街も――
鉄臭く赤に彩られた。
主要都市は壊滅。浅草、池袋、新宿、渋谷。
喧騒渦巻く都市は冬の赤い湿り気と共に沈黙。
「よく言うだろ――リア充は爆破だって――」
――司雨の顔が喜びに歪む。
翌朝、全国のニュースは未曾有の大災害を報じていた。
「昨夜、都心の歓楽街で多数の犠牲者を出す惨劇が発生しました。
渋谷での爆破に続き、浅草、新宿、池袋で大多数の都市壊滅規模の現象が確認されました。
被害者は確認されただけでも数百万名に上り、街は血の海と化しています」
映像には渋谷、新宿など血に染まった歩道や散乱した靴、遺留品の数々が映し出された。
「現場は一帯に凄惨な状況が広がっており、犯人の手口や動機は依然不明です。警察は捜査本部を設置し、被害の全容解明を急いでいます」
警察署の捜査本部は混乱状態だった。
「手がかりは極めて少ない。被害者が多数ながら、防犯カメラには犯人の姿が映っておらず、目撃情報も曖昧だ」
捜査員は疲れた表情で語った。
「何か異常な力を使ったのかもしれないが、いまだ証拠が掴めていない。被害者の状況から非常に組織的かつ凶悪な犯行が疑われる」
街は震え、不安が拡散していた。
SNSでは「一体何が起きているのか」「犯人は誰なのか」と混乱と恐怖の声が溢れている。
政府や警察は迅速な対策を求められているが、犯人像も動機も不明のまま、街の不安は増すばかりだった。
この事件は世界の闇に潜む異質な力の存在を匂わせ、後に忌み子の出現を告げる前兆でしかなかった。
事件発生から数日後。
被害者の家族や遺族、街の住民たちの声が各地で爆発的に広がった。
「もう、こんな怖い世の中に子どもを出せない!」
「夜は外に出るなと言われている。仕事もままならない!」
「犯人は誰なんだ!? いつまでこの恐怖に怯えなければならないのか!」
マスコミは連日特集を組み、被害者の悲痛な叫びと無念の思いを報じ続けた。
地方の政治家や警察幹部は緊急会見を開き、犯人検挙への決意を表明するが具体的な成果は示せず、市民の不安と苛立ちは募るばかりだった。
SNSや掲示板では「災いではないか」といった噂や都市伝説も飛び交い、真偽不明の情報が拡散。
「信じるかどうかはアナタ次第――ム〇を読んでいなかったからだ――」
学校では保護者の間で登校拒否が相次ぎ、経済活動にも大きな影響が出始めた。
その混乱の最中、警察の捜査本部で新たな動きがあった。
「被害者たちの死体の一部に奇妙な痕跡が見つかりました。通常の殺害では説明できない……これは何か別の力が関わっている可能性があります」
捜査員の一人が重い口調で話した。
しかしその力の正体を解明できる者はおらず、捜査は難航を極めていた。
街は“見えざる災い”への恐怖で包まれ、日常は徐々に壊れていった。
街の人々の間で、犯人への怒りはやがて「犯人なんているのか?」という疑念に変わっていった。
「こんなこと、もはや人間の仕業じゃねえだろう」
「どこかの祟り、あるいは災いが降りかかってるんじゃないか?」
「怪奇現象か、都市伝説の類かもしれん」
ネット掲示板やSNSではこうした声が日に日に増え、やがて「血海の厄災」「大洪水に次ぐ第二の天災」などという不気味な呼称も生まれた。
専門家やメディアは焚き付けられたかのように、あることないこと手当り次第取り上げた――
日本はまるで疫病神に取り憑かれたかのような異様な空気に包まれる。
警察は有効な手がかりを掴めず、被害は増える一方。捜査は空回りし、疲弊した捜査官の間にも迷信のような話が囁かれ始める。
ある夜、居酒屋での捜査員たちの会話。
「なぁ……あれはもう、犯人なんかじゃねぇよな。災いだ……忌まわしい“何か”だ」
「そう思うのも無理はねぇ……俺たちが戦う相手は人間じゃない」
そう語り合う彼らの背後、夜空に冴え冴えと光る星たちは無言のままだった。
「――ああ、いい……それでいい……
絶望の供物になれ……
死より恐ろしい恐怖に引きずり落とされるがいい――」
翌朝、日が昇る頃にスマホを片手に一人の少年だけが笑い、星々と共に東京は沈んだ。
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