第5話 光と陰

 二人行く石通路の先に見つけた小部屋の様相は、まるで全てが石化し時が止まったようだ。ダンジョンでは、こういった人の住んでいた形跡のあるような部屋をたまに見つけることがある。


 マカミは部屋に一つあった沈むことのない石の椅子に偉そうに掛けながら、白い札を突っ立つイルナへと見せつけた。


「この枠の形に覚えたカバーカードを安定させてみろ」


「うん、わかった!」


 ダンジョンに遊びに来た訳ではない。次のステップ、カバーカードの習得の為に来たのだ。さっそく要領を得て元気よく頷いたイルナはマカミの元へと歩き近付き、白い札へと手を伸ばすが──


「なんだその手は? 馬鹿か、今度はこの『スプーン』なしでやれ」


「ふぇ? うう…じゃあ……杖は?」


 白い札を取ろうとした手は取れない。マカミは、ひょいと札を持っていた手を上げ、イルナの伸ばした手をすかした。


 イルナが12日間肌身離さずに練習してきた札をなしで、マカミはカバーカードを安定させろと言う。


 イルナは渋々了承しながらも、今手に持っている古杖は使っていいものなのかと疑問の声を投げかけた。


「いいからさっさとやれ、その杖がフォークだっつってんだよ。そのフォークだけでスプーンでやってきたこともやれ」


「フォーク!? う、うん……? ────あ! (杖がフォークで、お札がスプーン! これってきっとスプーンなしでパスタを食べるってことなんだ! ふぇ……マカミくんってパスタを食べるときスプーンを使わない……んだ? 変わって……る?) わかった! えへへやってみる、マカミくん!」


「あぁ、何度も言わせんな。ねみぃ」


 何故かパスタのフォークとスプーンにまわりくどく例えつづけるマカミ。だが、イルナはやっと彼の言いたいことを理解できたようで、難しく考え込んでいた表情をパッと明るく変えた。


 あくびを一つし終えると、表情を鋭く変えたマカミが指に挟んだ白い札が、一瞬にて、青く美しく染まった。


 生で披露されたその四角く正しい青い枠のお手本を見ながら、イルナは緩んでいた表情を彼のように引き締め試みる。


 杖を両手にしっかりと握り、集中を高める。


「【カバーカード:トロン】!!!」


 イルナは唱えた。石の小部屋に大声が響き、壁際の石の額縁が傾いた。


 しかし、マカミとイルナ二人のいるこの部屋に起こった魔法らしき魔法といえば、それだけだ。


 椅子に大股を開き、腰掛けていたマカミは、おもむろに黒髪をかきあげる。


 イルナは今傾いた椅子後ろの額縁と同じ方向に、首を傾げた。


「重度のとろさだな。ま、分かってたがな」


 鋭く睨みつづける青い視線が、派手に失敗したイルナへと突き刺さる。


「ふぇ!? ってと、とろくないし! ……とろ……うぅ……これは、その、まだ慣れてなくてぇ……」


 覇気のない言い訳を耳に聞き入れたマカミは、悠々と温めていた席を立ち上がった。そして、何故か彼はイルナに背を向けた。


 ついに愛想を尽かされたのかと思い、イルナがドキドキと、心配そうな顔を浮かべていたその時──


「ハッ、そうか……。じゃァ!!! ────俺がくたばる前にやってみろ」


「ま、マカミくん!?? な、ななななにシテ!?? ふぇえ……!?」


 石の砕ける音が鳴る。粉々に砕ける大きな音だ。


 振り返るマカミの額が赤く染まる。さっきまで悠然と座っていた石の椅子を突然、頭をぶつけ破壊したのだ。


 理解不能の破壊行動に走ったマカミを見て、イルナは驚くばかり。イルナの思考が追いつかない。だが、彼が黒髪に被った灰色の石の塵を払いのけ、口角を上げたのを彼女は目撃した。


 握りしめて、なおも輝く青く染まった札を突きつける。口端から血を滴らせた少年の狂気の笑みが、カバーカードを使えず未熟に嘆くイルナ・ハクトを脅迫した────。









 石の椅子を壊したマカミとイルナは、小部屋を共に抜け出しダンジョン地下三階の探索を開始した。


 石の椅子を頭突きで破壊したのはただのパフォーマンスで、これからはあくまで実戦形式のつもりか。マカミはいつも通りダンジョンの遭遇したモンスターを片っ端から倒しながら、必要な場面で使うイルナのカバーカードの練習を同時にする。


 マカミらしい指導の仕方にも見えたが、この指導法は依然、イルナにとっての成果らしい成果は現れない。


 しかしなおも、赤く染めた頭のままダンジョンを進みモンスターを倒していく。おそらく誰かが怪我をした状態でないとイルナの【カバーカード】が発動しないのだろうとマカミは考えたのだ。どうやら最初の頭突きにも、学園都市で彼なりに情報収集したソウルメイトカードに関する理論があったようだ。


 イルナもそんなマカミの取った突飛な行動に、もやもやする疑いと心配を持っていたものの、ただひたすら彼の背についていき一連の動作を繰り返した。


 マカミはモンスターを倒した後に、また青い札を手に取り、振り返り示す。それが後ろにいるイルナのカバーカードを使う合図だ。


 もう何度目になるか、失敗の数は数えていない。青い札を見ては条件反射のようにイルナは集中し、己の杖を構えた。


 もっとやさしい指導法はあるのかもしれない。しかしマカミという男の求めるレベルは、「それだ」、「そのタイミングだ」と言わんばかりだ。


 イルナはなんとか力を振り絞り、あの時できたカバーカードを捻りだそうと、杖を強く握りつづける。


 もはや練習ではない実戦と変わらない、いやそれ以上の緊張が走る。そんな両者、遊びではない雰囲気に────


「そういえばお前」


 何を思ったのかマカミはイルナのことを睨みながら、歩き、近づきはじめた。


 急に迫り寄る足音に、困惑したイルナは杖を構えたその恰好のままフリーズしたように動けない。


 やがて彼の伸ばす手が、ゆっくりゆっくり、イルナの視界いっぱいまで近づき、迫り、頭上を覆う影をつくる。


「こうしていたな」


 マカミはイルナの額に伸ばした右手を置いていた。それだけでなく、同時に手に取っていた青い札を、イルナの丸いおでこへと、ぴたりと添えていた。


 突然、彼の手が自分のおでこにくっついた──イルナは驚き、徐々にその顔を紅潮させる。


「こ、こうした方が、なななんかやりやすかったからだけで!」


「じゃあ、こうしててやる。やりやすいようにやってみろ」


「ふぇ……?」


 必死に取り繕おうとするイルナに、マカミはそう淡々とつぶやいた。


 「こうしててやる」それはきっと、〝このまま〟でいいということ。彼が彼女の額に手を添えた、このままで──。


 彼の手を借りた、そのままの恰好で、彼を上目遣いで見上げたイルナは小さく頷いた。


 これまでは青く光るお手本を見ながらやっていたイルナ、今は青い札は見えない。でも、ひんやりと、イルナのおでこに確かにくっついて、そこに有る。


 「やりやすいように」一番やりやすい方法を思い出し考える。イルナは自ずと、両目を閉じていた。


 彼が札を額に添えていてくれている。ひんやりとしていて、心地いい感覚に、イルナは静かに目を瞑る。


 恥じらいや、焦燥や、見栄や、言い訳や。いま閉じた目の中ではそんな雑多な感情や思考は不思議とどこへやら、綺麗さっぱり洗い流されたように────とても集中できる。


 静かな静かな、冷たい水の流れが額から感じられる。まるで向こう岸へとたどり着くための正しい清らかな流れを教えてくれるように、それはイルナにとっての頼りになる。


 額だけではない。集中し広がった感覚はとめどなく、彼女が握りしめた古杖にも確かに流れている。


 やがて、杖先から暗がりの舞台に光の雫が滴り、ゆっくりと、どこまでも虹色の波紋を広げていった────。


 その時、集中するイルナのことをただただ見守っていたマカミの青い瞳は、さらに大きく見開かれていった。


 虹色の雫は彼の肩先に滴り落ち、至上の潤いが彼のことを満たしていく。血に赤く染まっていた痛々しい彼の額の色は不思議にも引いていき、傷口はみるみると塞がり、元の肌艶を取り戻す。


 傷付いた彼の身は虹色に潤い満たされ、見開いた彼の目には白い綿雪のようにマナの光が舞っている。


 やさしくて眩い、まるで知らない神話のような光景に共に包まれた。何も言えずの彼は、目を瞑りそこに静かに祈る、美しい白髪の少女のことを、見つめて────────











 運び屋ヒューはうなだれた青髪の負傷者、喧嘩に負けた喧嘩屋のミィナをなんとか無事に航行し、その背にかかえ運び終えた。一番近い西区の営業中の第六保健室へと──


 搬入され、ベッドに寝かせた負傷者にカバーカードを行使するヒユ先生。薬液の入った盃から出でた白蛇のソウルメイトは、元気のない病因を探るためにミィナの肌を這う。


 触診・治療はひとまず終わり、ベッドと保健室を仕切っていた黒いカーテンを開き、ヒユ先生が姿を現した。


 苦い缶コーヒーをいただきながら、椅子に座り待っていた運び屋の男は、その水色髪のポニーテール姿の保健医にかるく会釈をした。


「ソウルメイトカードを使いすぎた影響か、少し体が重くなっていたみたいだけど、安静にしていたらその内回復するわ」


 ヒユ先生は現れるや否や、喧嘩屋をここまで運び込んでくれた運び屋ヒューへと容態の説明を始めた。


 運び屋ヒューとしても、自分が運んだお客様のことは気になるところだったので。


「物理的に重くなるのがソウルメイトカードを使いすぎたデメリット? 同じ赤目族でもどおりで運ぶのに3倍は苦労したわけだ。あぁー、たしかにデメリットの眠気ってのも、ふぁ〜……俺にはあるから分かりはするか。ははは、コーヒーごちそうになります」


 白髪の少女を運んだ時と比べて、よろよろした不格好なフライトになっていた理由が判明した。ヒューは話し終えた最後にごちそうになったコーヒーの缶を先生に向けてかるく掲げた。


「ただの缶コーヒーだけど、それであなたのソウルメイトが誘う眠気に効くのならよかったわ。──そうね。放電しすぎたデメリットもしくはジャマーカードによる悪疫の線もあるけど。彼女の体に得体の知れない負荷がかかっているのは事実よ。あと3日大人しく寝ていてくれると、色々と捗るのだけど」


「はぁ、ジャマーカード? 俺が上の席から眺めていた範囲だと……ただ、ぎゅいっ!って鋭く伸びた水のロープに隙を突かれた喧嘩屋の女が引っ張られ、こうっ!宙にもってかれた剥き出しのボディーを、そのまま強烈に天を衝くような右の拳で殴られ、もはや悶絶!立ち上がれず意識が海の深くへと沈んでいった、だけ……! のように見えたがなー。いやぁー、ありゃ、プロのダイバーも驚きの痺れる重い一撃だったなー。あの引き締まったフィジカルに電撃をものともしないタフネス、獣のように素早いフットワーク、戦闘の実力もあって華もある、なおかつ敗者やファンへの対応は至って余裕のクールぶりだ。もう少し早く着いていたら女子たちに爆売れのブロマイドを俺も買っていたかもしれねぇなー」


「フフ、相変わらずそういうの好きなのね。ユウ・ニュクスくん」


 憩いの円環での、黒髪のニューフェイスと青髪の喧嘩屋の闘い模様を実況するように運び屋は語る。そのジェスチャーをせわしく交えて楽し気に彼が語る様子に、カルテから目を離したヒユ先生はくすりと笑った。


「はは、今はインドアの見る専ですけど。プロダイバーなんてもう、毎夜する夢にも見ませんよ」


 唐突で本名で呼ばれた運び屋は、もうプロダイバーを夢見ていたころのユウ・ニュクス生徒ではないと笑い、言いたげだ。


「へぇ。インドア? その割には立派なスーツをめかしこんでるようだけど、靴も、いい靴、新品?」


 ヒユ先生は、きちっと立派に装う彼の身なり、足元まで注目してそう言った。


「はい、まぁこれでも空の夢を売る仕事ですから」


「その肩のマークは、ガルダ運輸のところね。おめでとう。帽子は?」


 ヒユ先生は、黒いスーツの左肩にある鳥のマークに気付いた。ユウ・ニュクス生徒はどうやら、運搬業を広く扱うガルダ運輸に属し、今はそこで働いているようだ。


「一応、はい、喜ばしいのかどうなのか……上司が無駄に厳しいですけどね、寝坊と遅刻をしてはたまァーに、怒られてます。ははは。えっと、帽子は……どっかに落っことしたかな? ははは」


「気ままなインドアくんは規律に揉まれるぐらいがちょうどいいんじゃない。飛ばない帽子でも探したら」


「言えてます。ははは飛ばない帽子、そりゃ飛んだり時にサービスで回ったりするかもしれない俺にもぴったりだ。──あ、そうでした! これからはユウ・ニュクス生徒ではなく【運び屋ヒュー】ってことで一つお見知りおきをっと」


 席から元気に立ち上がったユウ・ニュクス生徒は、【運び屋ヒュー】と名乗り書かれた名刺を先生へと手渡した。


「【運び屋ヒュー】……それは、もしかして────私の真似かな?」


「へ? へ……ぃ」


 白衣をその細身のシルエットに纏ったクールな女性が、渡された名刺を見て微笑み、冗談めかす。


 ガルダ運輸の社員となった彼が久々に訪れた第六保健室。水色髪の彼女は、あの頃と少しも変わっていない──透き通る雪のような白肌のままだ。


 背伸びして味わっては舌に残っていた、苦いコーヒーの味も忘れた。彼女の見せたやわらかに微笑むおもてに、思わずドキリとしたユウ・ニュクス生徒であった。










 額にひんやりと伝っていた気配が離れる────立つ暗がりの向こう側がとても眩しく誘う────イルナが瞑っていた目をゆっくりと開くと、そこには光が溢れていた。


「や、やっ……た? やっちゃった?」


 イルナは信じられなさそうに、呟く。目の前に眩しいのは、イルナがあの日ダンジョンで見た【カバーカード:トロン】の発したものと同じ光だ。


 イルナの杖から滴った虹色の回復の雫をその肩に受けたマカミが、手のひらの感触や体の感覚をなおも念入りに浸り、確かめている。


 白い光と黙る静寂がダンジョンを染め上げて、まるで時間をも支配した気分になる。やがて、近くにいた二人を包んでいた幻想的な光が弱まり失せた。


 イルナが急に飛び出てきたソウルメイトのキャロットと共にさっきのことを喜んでいると、イルナはマカミが目の前で黙ったまま、目を閉じていることに気付いた。


「マカミ……くん?」


 イルナはおそるおそる彼の顔を覗き込んだ。依然じっと黙ったまま、やがて一つ長い呼吸音の後に、開かれた彼の青い眼がイルナのことを静かに見つめ返していた。


 喜んだ表情でも、悲しんだ表情でも、怒った表情でもない。彼の表情は、イルナの出会ってまだ見たことのない神妙なものに感じた。


「なんでもねぇ。成功だ────帰るぞ」


 それだけ淡々と言うとマカミは持っていた札を、イルナへと返した。


「う、うん? わかった! (……成功! やった!)」


 青から虹色へと変わったその札は紛れもない成功の証。


 札を受け取ったイルナは素直に返事をし、石の通路を歩き始めたマカミの後についていく。


 【カバーカード:トロン】の発現練習を終えたマカミとイルナは、ダンジョン三階から帰りのエレベーターに乗り、無事、地上のターミナルへと帰った。







▼▼▼

▽▽▽







 欠けた月の夜。海の良く見えるコンテナハウスの外で、黒髪の少年はひとり、竿の釣り糸を海面に向かい垂らす。


 暗い海に浮かべた静かな波紋を、黒髪の少年はじっと見つめて思い耽る────


 たしかに今日のダンジョンで彼が味わったその虹色の潤いと綿雪のような白き光に彼の体は満たされた。だが同時に、満たされたそれが彼にとってどこか支配的にも思えた。


 そして打算的でもあった。果たして彼女にここまでしたのは、自分と自分の中に眠るソウルメイトカード、そのどちらか。彼はどことなく違和感と不快感をおぼえた。


 自分が引っ張られているのは右腕に宿った【アタックカード:ヴァルナ】、水の息吹のするそれに関連するものではないのか。それとももっと別の所にあるのか。「真のソウルメイトカード」──以前勝負した面なしの宣った言葉を、悩み込む彼は思い出す。


 そして、────彼女の行使したカバーカードが確かに一番満たされた。冷たいアイスクリームなんかより、それは何故だ。


 彼には分からない。いくら思い悩んでも、今すぐに解き明かすことはできない。


 足元に置いたランタンの明かりは頼りなく、ビールケースを逆さにしたその椅子は座り心地が悪い。


 軽い竿を引き上げ、ランタンの仄かな明かりを消す。海鳴りを耳に聞きながら、深い闇の流れを彼は立ち尽くしその青い眼で見つめ続ける。


 風に靡いた黒髪、剥き出しになった額の肌を彼はそっと右手でなぞった。


 黒髪の少年は今日は何もかからない夜釣りをやめて、コンテナハウスの中へと歩き戻っていった。

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