マカミくんはオオカミ
山下敬雄
第1話 兎と狼
いつの日か人々の身に宿った【ソウルメイトカード】。それは可愛い動物の姿であったり、大自然の加護であったり、はたまたいじわるな悪魔や、こうごうしい神の使者であったり、カードの種類は実に多様で様々だ。
これは、そんな自身に宿った兎のソウルメイトカードと共に、学園都市エデンのダンジョンに挑むごく普通の女の子、イルナ・ハクト十五歳の数奇な物語である。
「学園都市エデンへとはるばるようこそ、そしてご入学おめでとう学生諸君。おはよう、ヌッペ・フモフ校長先生とはボクのことだから、まずはこの背中越しによぉく覚えてくれるといいね」
新入生の集まった大講堂の壇上で、背中を向けながら語る校長先生がいる。黒い背広に黒いシルクハットをめかしこんでいるが、そんな偉い立場の人が背中を向けて話しだす姿はもうおかしい。
「ここに入学できるのはソウルメイトカードを持つ者たちのみだ。今はまだ可愛らしいソウルメイトの姿が見えぬものも中にはいるだろう。だから、自身に宿るソウルメイトカードを育てあげるために、諸君らはこれから地下にあるこの学園のダンジョンに挑むことになるだろう。そこで十分に力を得てから、一攫千金の宝を求めてまたダンジョンの奥に潜るもよし。あるいはダンジョンばかりにかまけず気の合うお友達をここで学園生活を送りながら見つけるのもよし、仲間集めも大事なことだからね。そしてこの学園都市で、芽吹く恋も! ゆくゆくは♡なんて例も多いことはご存知かな?」
ダンジョンやお宝、仲間、そして恋にまで。ヌッペ校長はあふれる夢を流れるように語った。
「おっと、みなさん目を輝かせた、いい面をしていらっしゃる。あーそこそこ、そんなにあからむこともないさ」
ざわつきだした新入生たちに、冗談めかしてヌッペ校長はそう言う。特に女子たちの中には最後に語った甘酸っぱいことに興味がある者も多いようだ。
「ま、もっともボクに、ツラはないんですけどね?(洗顔は毎日欠かさずしてますが)」
壇上で背を向けて演説していた校長が振り返ると、笑い声に包まれた。手には洗顔クリームの容器を持ち、今やっと振り向いたのっぺらぼうの白いご尊顔を見せる。それは毎年彼が新入生に向けてやる抱腹必至の鉄板ネタのようなものだった。
ここが学園都市エデン。様々なソウルメイトカードを身に宿す個性豊かな者たちの集う場所。校長先生も語るユーモアだけでなく、見た目にも普通ではないようだ。
「ではあまり長ったらしいのもボクの趣味じゃないところだ。というよりこれ以上は用意したカンペが風に流されて今日はもたないようでね。ということでまずは、せっかくだ。ここに集まった新入生のみんなで〝お友達さがしタイム〟といこうか! どうぞどうぞ自由にやっちゃって、校長のボクからのこの場の祝いの食事もそのためのものだ。じゃ、ヌペヌペシーユー!!」
「ヌペヌペシーユー」と聞いたこともない挨拶で手を振り、校長先生はそのまま壇上から舞台袖へとはけていった。
大講堂の席につき前方の壇上を見ていた新入生たちは、再びざわつきだした。長机にずらっと用意されていた豪華な食事を心待ちにしていた者もいたのだろう、ある者はさっそく香ばしい匂いのするチキンを両手に取りだした。
「え!? いきなり!? お友達さがし?? ど、どうしよ!? あわっ!?」
つられて席を立ち上がった白髪の女子生徒は、きょろきょろと回りを見回す。彼女がそんな戸惑った様子で窺っている間にも、さきほど突如発令された〝お友達さがしタイム〟に移動を始めた人たちの列にもまれ、出遅れてしまった。
白髪の彼女がなんとかもまれた人波を抜け出したところに、転んだ顔を上げると、誰かが手を差し伸べていた。
纏う臙脂色のローブに、赤い髪をした女の子が、カーペットに転んだ白髪の彼女のことを見下げていた。さらに既に三人の女子グループがその今手を差し出した赤髪の子を中心として出来上がっていたようだ。
「カミュ・ラキラ、よかったら少し一緒にお話しない?」
そう丁寧に赤髪の子は名乗り、白髪の子のことを瞬きもせずに見つめている。
「いっ、イルナ・ハクトです! よ、よろしくおねがいします! あわっ!?」
しばらく戸惑っていた白髪のイルナであったが、差し伸べられたそのカミュの手をありがたく取った。
しかし、次の瞬間、カミュの手と繋がったイルナは強く引き起こされた。そして前のめりに起き上がってしまったイルナの右の耳元で、カミュは『よろしく』とささやいた。
初対面の顔と顔がすれ違い、臙脂色のローブの体と緑色のローブの体が近い。靡いた白髪と混じりあった長い赤髪の彼女は、妖しげな笑みを浮かべていた。
▼▼▼
▽▽▽
▽エデン西区、第六保健室▽にて
「【カバーカード:メディテル】」
そう保健医のヒユ先生がカードを抜き出し唱えると、盃からあらわれた白い蛇が巻きつき、不思議にも包帯のように伸び、イルナの肌の傷がじんわりと癒えていった。
「今日は一体何階に挑んだのかしら」
ヒユ先生は長い脚を組みだし、一仕事終えたかのように金髪を掻き上げた。そして、向かいに座る新入生であり患者のイルナに問うた。
「うぅ……い、一階ぐらいです」
イルナは少しはぐらかすように言ったが、ダンジョンの地下一階でまた上手くいかずやられて帰って来たことは、ヒユ先生の目にも耳にも明らかであった。
「そう、あなたもしかして、たたかいは向いてないのかもね」
「で、でもわたしはダンジョンにもぐっ」
イルナがやんわりと貼られたレッテルに言い返そうとしたそのとき、イルナの尖った唇に指を一本置かれ、言葉途中で封をされた。
「理由はどうであれ、これ今回の治療費」
「ふぇ?」
聞きなれない言葉を耳にしたイルナは、今ヒユ先生から受け取った一枚の紙ぺらに首をこてっと傾げた。
「学生サービスの無料治療はひとり三回まで」
「え、えええええ!!! 保健室……なのに?」
保健室が治療費をとるのをイルナは聞いたことがなく、驚いてしまった。しかも、その一枚の紙で請求されたゼロの数が学生のイルナにとっては、なかなか多くも見えたのだ。
「文句があるならソウルメイトカードを使いこなして自分で治しなさい。それにそんなタダ働きばかりしていては、この学園都市エデンに居つくことはできないわ。気を付けなさい」
「ふぁ、ふぁい。すみませんでした……」
広大な学園都市エデンで生活していくには、保健室の先生とて自分で上手く稼がなければならない。ダンジョンの地下一階で怪我ばかりを負い、宝や成果がないようでは、同じくイルナもここにはずっといられないのだ。
イルナは溜息まじりに失礼を頭を下げて謝罪し、ヒユ先生の経営する第六保健室をあとにした。
そうこうイルナたち新入生が学園都市エデンへと入学してから、ちょうど1ヵ月の時が経った。
第一学園塔の校長室では、ヌッペ校長が机の上に山のように積み上げられた資料とにらめっこをしていた。
「まだ定まったパーティーを組めていない者がいるとは少し困りましたねぇ。ということで、ここは、予定通り────じゃじゃーん!! 最初のテコ入れをしますか。ではお呼びしたミコイワくん先生、ここはひとつキミの占いの能力に任せてもよろしいかな?」
ヌッペ校長はさっそく校長室までわざわざ呼び出していたミコイワ魔術教師に、〝テコ入れ〟なる施策を指で合図しお願いした。
ミコイワ魔術教師も既に準備を整えて待機していたようで、ゆっくりと一つヌッペ校長に頭を下げて指示を了解した。
「はい、私の〝石相性占い〟に任せてください。では、この既にリストにあった問題の新入生たちの名前を一つ一つ記した石たちを、一度この特別な塩水を満たしたタライの中にぜんぶ浸します」
すると、今タライの中に一斉に放り込まれた、なんの変哲もない石の色がみるみると、赤、青、黄、緑と、色鮮やかに染まっていった。
「ははははこれは美しく面白い。思い付きもしなかった占い方だ、きっと素晴らしい結果だよミコイワくん先生!」
「ええ、(最悪の)素晴らしい結果です」
ヌッペ校長は見事な占い結果に小躍りして喜びの感情を表し、ミコイワ魔術教師ははしゃぐ校長の無貌の面を見て、糸目で穏やかに微笑みかえした。
石相性占い。その清められた水に浸るカラフルな石の輝きたちは、やがて同じ色にグループ分けされて取り出された。
翌日。
学園都市エデン西区、ダンジョン前の西エレベーターターミナルで、イルナは落ち着きなく辺りを見回し人を探していた。
手に握ったにんじん色の変わった石を頼りに、イルナはよく目を凝らした。すると、ちょうど石階段の上に腰掛け、何か赤みがかった一欠片を右手に幾度も投げ上げて遊ばせている人を遠目に発見した。
苦労してやっと見つけた人物に目を輝かせ、イルナはさっそく石階段の方へと一直線に駆け寄った。そして頭をぺこりと深く下げて、ご挨拶をした。
「イルナ・ハクトです。本日は、ダンジョンのパーティーをよろっ、よろし」
「チッ──来やがって」
(ふぇ、舌打ち!?)
舌打ちをする音が聞こえた。イルナが下げていた顔を上げると、もうそこにいたはずの彼の姿はなかった。
辺りを慌てて探したイルナの目には、もうすでに黒髪の男子の背姿が遠くへと離れていった。
「うーん……あの人とは、もしかして……ちがったのかな?」
イルナは自分の手にした石の色をもう一度見ながら、独り考え込んだ。
そうして勘違いのため息を吐き終えたイルナはもう一度、さっきの黒髪の男の子が去っていったエレベーターターミナルの方を見る。
するとその男の子は、また、同じように明るく赤い一欠片を片手の上に投げて──落としてリズムを取った。
そしてそんな彼の横顔から青い眼光が見える。遠目にもイルナはその黒髪の男子と目が合い、どきりと驚いてしまった。
(あ、もしかして……待ってる??)
イルナは慌てて石の階段から、ダンジョン行きのエレベーター乗り場の立ち並ぶ鉄色のターミナルの方へと駆け寄った。
既に、乗り場【E-23】にいた黒髪黒ローブの男子は、やって来ていたエレベーターの中へと入っていった。
そして、まだドアを閉じないその大きな鉄籠の乗り物の中にいま滑り込むように、乱れた白髪の姿が流れ込んだ。と、同時にドアは閉まった。
駆け込み乗車した一人を加えて、二人を乗せたエレベーターは下へと動き出した。所持してきていた武器の杖を床につくイルナが、走り疲れた息を荒く整えていると。
「おまえ、──とろそうだな」
涼し気な声で、さっそくトゲのある言葉をつかうヤツがいる。
「はぁはぁ……とっ、とろくないし。ってあわっ!? こっ、これ! やっぱり同じキャロット色じゃないですか!」
「フンッ」
息を整え終え顔を上げたイルナの視界にいきなり、かるく投げつけられた石を彼女がキャッチし、指摘をすると。黒髪男子は、鼻で笑った。
そんな鼻で笑っただけで特に何も言わなくなった黒髪男子に、エレベーター内に乗り合わせたイルナは聞いてみた。
「あっ、なまえは!」
「……」
イルナは名前を聞いた。しかし彼の返事はない。
彼はただ壁際に斜め気味にもたれて腕を組んでいる。しまいには、あくびを一つ垂れつつ────黙る。
ぐっと赤目の熱視線を送り、杖を前に握って返答を祈るように待っていたイルナであったが、彼は何も答えないので、しだいにイルナは独りしょぼくれた表情に変わっていった。
「マカミ」
彼がそう呟いたのを聞いた途端、沈み込んでいたイルナはまたパッと表情を明るく変えた。
「ま、マカミくん??」
「ついたぞ」
『サンカイ、サンカイ。ドア、ガ、ヒラキマス』
「ふぇ!? あ、ほんとだ。着いたみたいって……え、三階!?」
「あぁ? 見ても聞いてもわかるだろ。はやくしろ。本当にとろいのか、おまえ?」
「とっ、とろくないし!」
睨む青、訝しむ青い眼。そんな彼、既に静止したエレベーターから何事もなく下り先を行くマカミくんの表情と、煽る言葉に誘われて。
とびだし踏み入れたのは、イルナもまだ来たことのないダンジョンの地下三階。
ぎこちない大袈裟なステップで、変哲のない石の地下通路へと足をつけた白髪の少女のことを後ろに見て。だるそうに首を傾げたマカミくんは、また、一人先へと勝手に進み始めた。
そんな自分より早歩き気味の黒髪黒ローブ姿の彼の後を遅れて追っていく。いつもの一階とはどこか違うような雰囲気にびくびくしながらも、いつもより歩幅は自ずと大きく、イルナ・ハクトはダンジョンの地下三階の道を今、音を立て歩き出した────────。
ヌッペ校長先生のテコ入れで施策された石相性占いの結果、同じ橙色の石をその手に持っていたマカミくんとイルナ。ダンジョン前の西ターミナルから、やってきたエレベーターの一つに二人は乗り合わせた。
こうしてダンジョン地下三階を即席のパーティー(?)を組み、挑むことになったマカミくんとイルナであったが……。
マカミくんは後ろのことも気にしない様子でどんどんとダンジョンの石通路の先を行く。さらにマカミくんは通りすがりに次々とモンスターを倒していく。「素手で!?」とおどろくイルナは、後ろをついていくのが精一杯で役に立たず。
(やっぱり、これじゃカミュちゃんの荷物持ちのときと変わらない……)
以前別のパーティーを組んでいた、そんなことを思い出しながらも、イルナはまたひとり気を落ち込ませ始めた。
しかしそんなとき、倒しもらしたモンスターが一匹、暗がりからイルナの元に現れた。
のそりのそり地を這いずり現れたのは、
「アレは、デロデロ!」
□モンスターじょうほう
【デロデロ】:ダンジョンに住むポピュラーなモンスター。半透明の粘液の体をしており、その体の中に石を一つお宝のように抱え込んでいることが多い。一部の生徒や先生からは、その見た目がデロデロしてて癒され可愛いと人気らしい。
□
いつの間にやらマカミくんの姿は見えない。モンスターを一匹討ちもらしたことに気付いていないようだ。
なら、戦うしかない。そうイルナが自分の杖を構えると、橙色の兎がぴょんと跳ねてイルナの前に忽然と現れた。
「いくよ! キャロット!」
それは少し変わった色をした兎、実体化して現れたイルナのソウルメイトであった。名前はキャロット、イルナはそう呼んでいる。
キャロットは長耳をぴょこぴょこと動かして、主人であるイルナに頷いた。
体全体をとめどなく蠢かせ、威嚇と警戒をしていたデロデロが、今、イルナたちに飛びかかった。
▼
▽
杖を振り回しつづけたイルナの息遣いは荒くなり、デロデロの体当たりに幾度かやられたキャロットは長耳をたれ元気を失い傷付いていく。
そしてまたデロデロは疲れたイルナに向けて飛びかかった。
しかし、キャロットも同じく飛び跳ねて。得意の兎の蹴りを宙で叩き込んだ。イルナを元気よく襲ったデロデロはクリーンヒットしたキャロットの蹴りを浴び、後ろに弾かれてしまう。
そんな巡って来たチャンスに、イルナは前へと走った。そして両手でしっかりと握っていたその杖を思いっきり地に向かい叩きつけた。
すると、水飛沫のように粘液は飛び散り。なんとなんとイルナが今叩き落とした杖の攻撃は、デロデロの抱えていた一粒の石を砕いてしまった。
大事な石を砕かれてしまったデロデロは、元の形に戻る力を失って、光の粒になり浄化されていった。
「ふぇ……やった……? やったーーーー!!」
「やったやった」とイルナは喜んだ。デロデロを一匹、苦労しながらも倒せた喜びを、同じ目線の高さまで飛び跳ねる兎のキャロットと、ハイタッチをし分かち合う。
そんな嬉しそうに小躍りする兎と少女の様に、後ろから影がゆっくりと近づいてきたのも知らずに。
「なんだこれ。これがおまえのソウルメイトか?」
突然、真後ろ近くから聞こえた声に、喜びの舞を披露していたイルナは驚き前へと転んでしまった。
「あわっ!? まっ、マカミくん今どこから?? う、うん。そうだけど」
イルナの後ろにいた大きな影は、黒髪黒ローブの男の子、勝手に先に進んでいたはずのマカミくんだった。
イルナは慌てて起き上がりながらも、マカミくんがいま指差したキャロットを自分のソウルメイトだと首を縦にし、頷いた。
「弱っちそうだな」
「そ、そんなこと……ないし……。ってキャロットになにしてんの!」
マカミくんは寄って来た兎の耳をなんと片手に掴んでいた。そんな突然素早くとったマカミくんの行動に、イルナはあわてた様子で大口を開け驚いた。
「別に? 今日なに食べよっかなって」
片手に捕まえた兎を持ち上げ睨みながら、マカミくんは物騒なことを淡々とした口調で言っている。
「ふぇ!? あわっ!?」
マカミくんは、掴んでいた兎のキャロットをイルナの胸元へとかるく投げ返した。あわててまた転びながらも、キャロットをキャッチしたイルナ。
「おい、いちいちこけてないで、早くしろ」
「へ??」
イルナは忙しく立ち上がり、また勝手に進みだしたマカミくんの後を走り追っていく。すると、その石通路の先には、来た時とは違う形のエレベーターがあった。エレベーターは、右の片目を見開き、お越しになった二人のことを見つめている。
「え? 次のエレベーターさん!? もう見つけちゃったのマカミくん!?」
「なんだ、とろいうえに、びびりか?」
「び、びびってないですもん!」
振り返るマカミくんはまたイルナのことを煽るように言う。そんな増えたレッテルと煽りにイルナも反発するように、杖をぎゅっと握りしめ答えた。キャロットも飛びはねてアピールする。
「ふんっ。おい、顔でか四角野郎、盗み見てんじゃねぇ。とっとと、ちゃんと開けやがれ」
『ゲンキデス。ドア、ガ、ヒラキマス』
左右、両目を今しっかりと見開いたエレベーターの目が横に離れて、隠れていく。ゆっくりと左右に分かれスライドし、そのドアは開かれた。
じゃれるように跳び蹴りをかましてきたキャロットの耳をまた捕まえたマカミくんは、ドアが開かれてすぐに、平然と中へと乗り込む。
エレベーターの中で兎を片手に、マカミくんが静かに嗤っている。
その彼の取った行動に、ただただ唖然とし見ていたイルナは、首をぶんぶんと横に振った。やがて、もう一度目を開けて、同じエレベーターの中へと大胆なステップで足を踏み入れた。
『ドア、ガ、シマリマス』
閉じゆくドア、沈みゆくエレベーター、進みゆく四階へ。
ダンジョンの地下三階をクリアしたマカミくんとイルナ・ハクトの即席パーティーは、はたしてこの先、一体どうなることやら────。
マカミくんとイルナはダンジョンの地下四階に到着した。イルナは初めて降り立つ四階の雰囲気に緊張しながらも、対照的に、三階のときと同じようにマイペースで勝手に進むマカミくんの後についった。
そうしてマカミくんがまた一人でモンスターを道すがら蹴散らしていく中、後ろにいたイルナは石の通路の横壁にあった何かに、ふと、気付いた。
イルナの中から飛び出してきたソウルメイトのキャロットが、その変哲のない壁に「何かがある」と言いたげな様子で、イルナのことを短い丸い尻尾をユラユラ振り、誘っているようで。
イルナはおそるおそる石の壁に手をついた。すると飾り気のない冷たい壁は突然、不思議な光を発し、イルナの目を眩ませた。
何が起こったか分からず、前のめりにこけたイルナが起き上がり、つむっていた目を開けると、そこには──
古びた宝箱がぽつんと一つあった。どうやらそこはイルナが偶然見つけたダンジョンの隠し部屋だったようだ。
「おっ!? お宝箱さん!! あ、でも! マカミくんはどこにいっちゃ──」
ダンジョンで初めて目にした宝箱に目がくらみかけたイルナは途中で、はっと我に返り気付いた。そして見失ったマカミくんのことを探した。
「とろいと思っていたら、急に抜け駆けかよ」
マカミくんは今イルナが振り返った後ろの壁際に既にいた。そして宝箱のある隠し部屋にいるイルナのことを見て、皮肉じみた言葉を発した。
「え!? ……いやそんなつもりは全然なくて! たまたま壁を触ったら……だから」
イルナはそう宝箱を前に、落ち込んだ様子で弁明していると──
「あ? お前が見つけたんだからお前のもんだろ。馬鹿か?」
「……ふぇ?」
マカミくんはそう呆れ気味に、俯き気味のイルナの顔を睨み言った。
イルナは聞こえてきた彼の今言った意外な一言に驚いた様子で、そのまま口をぽかんと開けたまま、しばらくフリーズしてしまった。
「そ、そうかな? そ、そうだよね! すごい! 豪華そう!! こんな宝箱なんてダンジョンで初めて見た!! ねぇねぇ! これ売ったらいくらになるのかなぁ!!」
存分にマカミくんの言ったさきほどの台詞を反芻し、今、自分でも納得がいったのか。慌ただしく動き出したと思ったら、またいっそう元気な表情にイルナは変わった。
「しるかよ。──フンッ」
イルナが一転見せたオーバーリアクションに、マカミくんがまた鼻で笑い、だるそうに返事をしたその時。
次いで一つあくびもしかけたマカミくんは、急にじぶんの鼻先を突き刺した悪臭に、鋭く己の目を見開いた。そして──
「馬鹿!! そいつにさわんな!! 離れろ!!!」
「え!?」
マカミくんはイルナも聞いたこともないボリュームの大声で叫んだ。イルナは思わず彼の方に振り返る。だが、宝箱に近づいていたイルナは彼が叫んだ意味が分からず。
イルナがもう一度、宝箱の方を振り返ったときには、その宝箱は宙を飛び跳ねイルナの身に襲いかかっていた。
そして宝箱は霊体の腕を生やし、宝に釣られたイルナとキャロットのことをまとめて大きな青い平手を横に薙ぎ、強烈なビンタを繰り出しはたいた。
勢いよく弾かれたイルナの体を、素早く動いたマカミくんは倒れながらも受け止めた。
「おい馬鹿立て! 起きろ!」
マカミくんはすぐさま、倒れたイルナのことを起こそうと彼女の体をゆするが──
「おい! 逃げっ……クソ!」
キャロットもイルナも、気絶したように倒れたまま動かない。
「こいつは、たしか宝に化けて人を驚かす【ゲラゲラボックス】かよ。ダンジョンで出くわしたら超厄介なモンスターだ、宝箱さんなんかじゃねぇ……なんつぅーくじ運の悪いドジ女……!」
宝箱は上蓋を幾度も開閉しながらゲラゲラと笑う。さっきのビンタの感触を素振りしながら、まだ笑っている。
遊んで笑っている今なら逃げることも可能なのかもしれない。マカミくんは、図書館のモンスター図鑑でしか見たことがない超厄介で危険なモンスターを前に、そんな思いがふとよぎった。
だが、ここは隠し部屋、残念なことに退路は見当たらない。壁を手当たりしだいに探せば光る魔法の出口があるのかもしれない。だが、それではきっと遅い。
汚い笑い声を聞きながら熟考するマカミくんは、もう一度、白い髪をだらしなく乱し眠るソイツのことを見下ろした。
「チッ、──ムカつくぜ!!」
彼が何にムカついたのか、不快なモンスターの笑い声か、のんびりと眠る白髪の少女のことか、それとも──
形相を怒らせたマカミくんは、笑い続ける汚いハコに、不意に素早く駆けて強烈なドロップキックをお見舞いした。
矢のように突き刺さった鋭い蹴りをもらい、後ろに倒れたゲラゲラボックスは、銀のコインを吐き出しすっかり笑い静まり──。
左右の腕を使い、また跳ねるように起き上がる。おどけながら跳ね踊り、また狂ったように青い手を叩き笑い始めた。
マカミくんは乱れた黒髪をおもむろにかきあげる。そして聞こえてきた化物の馬鹿笑いに釣られたように、白い牙を剥き出し、ただただ不敵に笑った────。
何かが争い合う激しい音が止む。
イルナが冷たい石床から痛む頭と体で目覚めると、そこには──
「マカミくん!? 大丈夫マカミくん!?」
「うっせぇな……」
「まっ、マカミくん!!」
イルナの前にはマカミくんが倒れていた。彼の纏っていた黒ローブは破れほつれ。ひどく傷付いた体で、息を荒げながら、また立ち上がろうとするが──できず。
そんな地にへばりつくマカミくんの様を見て、ダンジョンの秘密部屋に現れたモンスター、ゲラゲラボックスは青い霊体の手を叩き、おかしいのか笑い転げている。
「あの宝箱がモンスター!? わっ、わたしのせいで……ど、どうしよう!?」
「チッ……勝手にお前のせいにしてんじゃねぇぞ。俺のソウルメイトカードが……たたかう……そう言っただけだ……馬鹿……」
「ソウルメイトカード……が……あ!?」
さっきまで笑い転げていたと思ったら、ゲラゲラボックスは突然攻撃をしかけてきた。だが、マカミくんは狸寝入りをしていたのか突如、素早く起き上がった。そして、迫る宝箱を不意打ち気味に殴りつけようとしたが、大きく膨らませた青い平手打ちにマカミくんの拳は届かず弾き飛ばされた。
そのまま壁に衝突したマカミくんの元へとイルナは急ぎ駆け寄った。
しかし、イルナが必死に傷付き倒れる彼の体を揺らし心配しても、その行動は何の役にも立たない。
(わたしはなんのためにダンジョンに、お父さんとお母さんのことを探すため? 本当に、それだけ? わたしはいっぱいいっぱいで、自分のことばかりなのに……マカミくんは、とろいわたしのことを……。なら、今度はわたしが──!)
未曾有の危機に対面し、イルナの頭には色んな思いが一緒くたに駆け巡る。思考回路はいつしか焦燥を通り越して────イルナは役に立たない心配の言葉を吐くより、落ちていた杖を手に取り構えた。
ゲラゲラボックスは相変わらず笑っている。弱い女の子が、身の丈に合わない長さの杖を構えても滑稽なものだと、イルナのことをちっとも怖くないと見くびり、嘲笑っているようだ。
怖い表情で杖を構えたところで、勝てない。ダンジョンは恰好だけで挑めるほど甘くない。だけど、イルナは真剣に愚直に構え続けた。今度は自分の番だと、それが彼に対する礼であり、礼儀。そして何よりも弱いままでいる自分のことが、許せなかった。
握り続ける杖に込める力が、それ以上にイルナのちいさな両手に握り込めず、歯は食いしばり、今にも彼女の中の何かがあふれそうであった。
そんな時、再び実体化し現れたソウルメイトのキャロットが突然イルナに向かい飛び跳ねた。すると、キャロットの姿は消え、イルナの目の前に一枚の光り輝くカードが浮かんでいた。
「ふぇっっ、キャロット!? ────こっ、これは!? カード? キャロットの……もしかして……読める! 読めちゃう!? 読めちゃった!!!」
浮かぶカードを手にしたイルナは、刹那に、カードを通して己の身にも湧き上がる未知のパワーを悟った。そして──唱えた。
「【カバーカード:トロン】!!! お願いマカミくんをっ、助けて!!!」
掲げた杖の先端から、滴り落ちたのは虹色の雫。それが倒れていた黒髪の少年へと、一滴、かかると。
黒髪の少年、マカミくんの全身に不思議な綿のようなマナが集いだし、やがて白い光に包まれていく。
みるみると癒えていく傷、そして腹の底からみなぎる元気とパワー、覆われ満たされる至上の潤いと、暖かく包む光の心地よさに──
ぐったり冷たい石床に伏して倒れていたはずのマカミくんが、ゆっくりとその場に、再びその自らの足で立ち上がっていた。
【カバーカード:トロン】そう唱えたイルナの杖先から玉のような一雫が滴り落ちる。そして今、虹の潤いに満ち、傷は回復し、白く発光している。そんなマカミくんの再起した身を覆った魔法のような事象。
しかし、再び立ち上がった人間の男の輝く不屈の姿を見て、突如うるさい笑い声と拍手をやめたモンスターは襲いかかった。
だが、そのモンスターの隙を狙った狡猾な仕掛けは、なんと一蹴され弾き返された。宙でボレーシュートするように蹴られたおかしな宝箱が地にぶつかりひっくり返る。
降り立ったマカミくんの背は、黙ったままだ。そんな彼を気遣いイルナがおそるおそる声をかけようとすると。
「まっ、マカミくん……」
「おい、少し黙ってやがれ。もう少しなんだ」
「う、うん」
マカミくんは振り返らず静かにイルナへとそう言った。イルナは大人しく返事をし、彼のかもしだす雰囲気と息遣いに同調するよう静かに黙った。
間抜けに開いていた上蓋を閉じた勢いで起き上がったゲラゲラボックスは、さっき勢いよく蹴られたことに納得していないようだ。「Why?」といった様子で、両手をぷらんと広げる仕草をしアピールしている。
「……よし、いいぞ。来てみやがれ」
さらにそのマカミくんが今見せた八重歯のぞく笑みと、挑発する手の仕草がゲラゲラボックスは気にくわないようだ。そのモンスターは笑うのは好きでも、笑われるのはお嫌いのようだ。道化師のようにおどけていたのが一転、憤慨した。
ゲラゲラボックスは、幾度か開閉を繰り返しその顎蓋を噛み合わせ威嚇し、いけすかない笑みを浮かべる人間に向かい突進する。そして真横におおきく広げた霊体の両手が思いっきり、「バチン」と風を潰す勢いの音を立てて合わさった。
だが、今、仰々しく一度の拍手をするそこには何もいない。合わせた青い手の間に虫一匹、髪の毛一本の手応えもなく、更にそのモンスターの差し出した両手首は、手錠をかけられたように絞められ引き離せなくなっていた。
「【アタックカード:ヴァルナ】────」
彼が左の手の甲から無理やり抜き出したのは、水のカード。あの襲われた一瞬の間にマカミくんはそのカードを引き抜き、それをなんとそのまま水の縄にした。
疾風のように素早く駆け抜けたマカミくんの体は既にゲラゲラボックスの後ろ。その際に両手首だけでなく、ゲラゲラボックスの上蓋が開かないほどに宝箱の図体は水縄に絞められ封をされていた。
「なるほど、これが俺の中に眠るソウルメイトカードの力、こいつはアタックカードか? ははは、まるで枷がはずれたみたいに最高だぜ」
ゲラゲラボックスは暴れ抵抗を試みるが絡められたその水縄の芸当は解けない。むしろ暴れるほどに余計にきつく締め上げられていく。
そんなのたうち回る古びた宝箱の様を、見下ろしていたのは、黒い影、黒い笑み、青い眼。笑っている、マカミくんは歯を剥き出し、ただただモンスターのことを見下し妖しく笑っている。
ゲラゲラボックスは憤怒するというよりは、もはや、その天に浮かぶ狂気の面に恐怖する。必死に拘束された両手を振り、おどけたふりでアピールをするが──
指をコキコキ慣らすように鳴らし、近づく人間の影は、その拳を振りかぶった。
「さてと。じゃあな、お笑い箱。ははは──ぶっ飛べ、おらぁ!!!」
溜め込んだ左拳でぶん殴る。ただただ力を込めてぶん殴る、縄に絡めたその古箱を。
叩きつけた左ストレートは鋭く、やがて壁に衝突した宝箱は砕け、上蓋の顎は完全に間抜けに外れた。そして勝利を祝福するような宝とコインの雨が、そのひび割れた箱の中から飛び出しては降り注ぐ。
崩れた壁から秘密の部屋に光が差し込む。凶悪なモンスターを退治した。イルナが床にへたり座り見つめるマカミくんのその背は、宝の雨を存分に浴び、いつまでも眩しい月に吠えるよう最高の高笑いを浮かべていた───────。
宝箱に化けた凶悪なモンスター、ゲラゲラボックスを倒し、散らばった宝をかき集めて乗り込んだ帰りのエレベーター。宝の一部はエレベーターを動かすためのチップにしたが、それでも持ってきたバッグにも詰めきれない有り余るほどだった。
エレベーターは上へとあがっていく。イルナはまだまだ今日の三階四階といどんだ危険な冒険や、ダンジョンの探索結果、持ち帰る豪華な宝のことが信じられない様子で、放心気味であった。
そんな魂の抜けた様子でイルナがぼーっと静かにしていると、突然、忍び寄った影が彼女の背丈を覆いつくした。
壁際に詰められ覆うのは、至近に迫ったマカミくんの影。そしてイルナが驚きつつも窮屈に見上げると、睨みつづける彼のするどい青い眼がある。
「おい、いいかさっき見たことを誰にもばらすなよ。俺のソウルメイトカードのことをばらしたら……お前、食ってやる」
「くっ、くう!?」
壁際に片手をつき、物騒なことをのたまい見下ろし睨むマカミくん。イルナは窮屈に彼の覆う影の檻から逃げられない、動けない。
「ちーん」と音が鳴り、エレベーターは静止する。
覆うおおきな影は先に開かれた景色の奥へと去っていった。イルナは壁にもたれながら、ずるずるとへたりこみ、床に力なく座る。
まだドキドキが止まらない。その赤らむ頬や耳たぶの熱は、ダンジョンで頑張りすぎたからだろうか。イルナにはそんなことは分からない。ただただいつも以上に今日は、いっぱいいっぱいだった。
イルナはゆっくりと胸に一度手を置き、一度、デコボコな鼓動と息遣いを整えていく。失敗つづきの上手くいかない自分が、兎にも角にも、ダンジョンで失敗しながらも今日以上にこんなに頑張れたことはなかった、そう思いを馳せながら────。
『エデン、エデン。ガクエントシエデン。ドア、ガ、シマリマス』
「私にもつかえたキャロットのカバーカードに……マカミくんの……ふぇっ!? でますでます!! 待ってエレベーターさん!!」
エレベーターのアナウンスに、慌ててイルナは立ち上がった。行くときよりも随分と重くなったバッグを引きずり背負いながら。学園都市エデンの西ターミナルへと、無事、ダンジョンの地下四階から帰還を果たしたのであった。
▽エデン西区 夕暮れの第六保健室▽にて
ツケにしてもらっていた約束の治療費をお返ししながら、またここで治療してもらう。
すっかりこの第六保健室の常連のイルナ・ハクトは、椅子に座り大人しくぼーっとしていた。側から見れば、心ここにあらずといった様子だ。
「彼氏でもできた?」
「ふぇ!? ちっ、ちがいます! なっ、何言ってるんですか!」
ここの保健医であるヒユ先生は、そうあらぬ事をいきなり言い出した。
イルナは驚きつつも否定する。ひどく取り乱したイルナの慌て様を、何かを書き込んでいたカルテ片手に一瞥したヒユ先生はつづけた。
「そう。じゃあ私の見込みちがいだったわけね。あなた、向いてないと思ったのに。そうやってダンジョンに勇んでは、壁にぶつかって諦めていく子、──もう何度もここで診てきたから? あなたもそうだと思ったのよ」
「わっ、わたしは、それでもダンジョンに行きたいですし……諦めるなんて……そんなのっ」
【カバーカード:メディテル】薬液を満たした盃から出てきた白蛇が患部に巻きつく。イルナに2分ほど巻き付いていた白蛇はするりと肌を這い、宙をうねり、またもとの盃の中へと戻った。
「治療は終わったわ。でも、あまりここに来ることはおすすめしないわ。──ごらんなさい。治療費の永遠ループ、味わいたい?」
ヒユ先生がペンで指す後ろをイルナが振り返ると、保健室の入り口には、既に傷を負った者たちの長蛇の列ができあがっていた。
「ふぇ!? ちっ、治療ありがとうございました!」
夕暮れの時間帯、ダンジョンから帰還する者たちが続々と保健室に並び立つことも多い。
イルナはいつの間にかできあがっていたその長蛇の列に驚く。だが、後が大変つっかえて困っていたようなので、治療してくれたヒユ先生に深く頭を下げ、そのまま第六保健室を急ぎあとにした。
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