「観光客の哲学」(その2) 国家が先か私が先か
その1からの続きです。
その1の「はじめに」を参照頂くと前後の脈絡がわかりやすいです。
●読んだ本
ゲンロン叢書013 観光客の哲学 増補版
著者 東浩紀
発行日 2023年6月15日
発行所 株式会社 ゲンロン
●問い2
多少細かいですが、本書では、人間の成熟に関して、ヘーゲルの人間論が取り上げられていますが、
1「人は国家という上位組織(ヘーゲルでいう精神)がないと成熟できない」、
2家族⇒市民社会⇒国家へと人が思考するときの媒介物が、人を形成する。
3そして、そのような「単線的」な過程に穴を開ける者として、または、単線的な過程とは別の経路として「旅行者」を挙げています。この考えに、同意できるかどうか?
を問いとして設定したいと思います。
●問い2への回答案
問い1と問い3にでて来ますが、ヘーゲルの「単線的な過程」というモデルには同意出来かねます。
理由
ヘーゲルの「発展」を下位から上位への段階的に移行する形での「発展」という従来のステレオタイプ的なとらえ方には違和感を感じるから
です。当方もヘーゲルを読む前はそのように理解していました。その方が理解しやすいですし、学生時代の教科書にあったヘーゲル像にしっくりしていました(?)。しかし、ヘーゲルを読んで思ったことは、当方の考えは「順番は逆だ」ということです。
どういうことかと言うと、国家という制度を媒介して市民社会を発見し、家族を発見し、その中で生きる自己、わたし、を発見したのではないか、と考えているからです。ヘーゲルの言い回しは、ややこしいのですが、意識せずに家族や社会や国家を形成し、あとから振り返ったら「わたし」を発見したのではないか、とも読めますし、この見立てのほうが個人的には、しっくりします。
わたし⇒家族⇒市民社会⇒国家
ではなくて、
無意識、成り行きで⇒家族⇒国家⇒市民社会⇒家族⇒わたし
しかし
家族でない、市民でもない、観光客を第三のプレイヤーとして設定したことは、興味深く、観光客という概念には同意します。
著者がいうことは、人間を動物化する、疑問を抱かせずに飼い慣らす、現状に満足させる、単なる消費者としてしまう、そのような帝国、グローバリズムに対抗するには、国民国家、ナショナリズムを持ってくるしかない、というのが従来の西欧哲学の考え方らしいのですが、そのやり方ではふさわしくない。なぜなら帝国という概念があるから国民国家が成立するのであり、国民国家で対抗する以上は帝国は消滅しないからです。なので、帝国、グローバリズムに対抗するには(取り込まれないで逃げるには)帝国と国民国家の隙間、先ほどの二項対立の二つの層の隙間を行き来するしかない、観光客として行動することを意識するしかない、、、という。この点は全く同感です!
実際に2019年から2022年くらいまでのコロナ禍を思い出しても、グローバリズム、帝国、もしかしたら資本主義と、言ってもよいかも、は、強固でした。あの当時は正に中国の対応が典型的な国民国家の対応でした。習近平は鎖国政策をとり、国家を守る(国民ではなくて、国家、中国共産党独裁国家を守る)ために国民を飢餓に追い込み、力ずくで独裁国家体制を守りぬきました。他の西欧諸国は、多少レベルを落として、いわば民主的に同様な政策をとり、日本は一番日本的なやり方、全て国民の善意にお任せという他国からしたらあり得ない超ソフトな手法で乗り切りました。本質は同じ、手法の暴力レベルが異なるだけで国民国家の方法論としては同じだったと思います。国民国家単位で乗り切り、結果的にグローバリズム≒帝国≒資本主義は生き残りました。国民国家と帝国は並列、共存するため、その間隙をのらりくらり、または間隙にこそ変化の可能性がありそうです。そのことを観光客の立場としているのだということです。
(その2 一旦区切りとして終わります、ありがとうございました!)
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