第六章 裁きの日(夏月②)
「それなら、あなたは誰なの?」
夏月の問いかけに、月葉に瓜二つの少女は答えない。
「ねえ、月葉。あなたは幽霊なの? 復讐するため、幽霊になって戻ってきたの?」
「幽霊なんていない。仮にいたとしても誰にも姿を認めてもらえず、恨み言を呟くだけの惨めな存在。復讐する力なんてない。だから、あたしが月葉を救うの。月葉になってあなたたちを裁くの」
「あなたは誰? 月葉と同じ姿で、同じ声。ねえ、誰なの?」
「聞いてどうするのと言いたいところだけど、冥途の土産に教えてあげる。あたしは陽花。佐々木陽花。月葉はあたしの双子の妹」
「つ、月葉が双子? そんなの、聞いたことないよ」
「嘘じゃない、一卵性の双子だよ。まるで鏡に映したように似ているでしょ?」
夏月は困惑した顔で陽花を見上げた。一卵性の双子なら遺伝子の情報はまったく同じでクローンのようなものだから、月葉と瓜二つなのも頷ける。でも、月葉が双子なんて知らなかった。それに、どうして名字が違うのだろう。
疑問は次々と溢れてくる。だけど、それよりも今知りたいのは、本物の月葉が何処で何をしているのかということだ。
「ねえ、陽花さん。月葉は、月葉はどこにいるの?」
「変な人。さっき自分で口にしてたでしょ、月葉は首を吊って死んだって」
確かに言った。だけど夏月は、苦し紛れに志穂の言葉を口にしただけで、月葉が死んだなんて信じていない。いや、信じたくない。
「月葉が死んだなんて嘘だよね。ねえ、教えて。月葉はわたしの親友なの、会いたいよ」
「親友? ふざけないで、あなたは裏切り者だった」
裏切り者。その言葉に夏月は胸を貫かれた。
泣きそうな顔で月葉と瓜二つの少女を見上げる。少女はぞっとするほど冷たい双眸でこちらを見下ろしていた。
「月葉はね、あなたを信じてた。夏月だけは味方だって。でも違った。あなたは一番の敵。だから、あたしはあの人じゃなくて、あなたを最後にすると決めた。それが月葉の意志に反していたとしても」
「あの人って誰? 月葉の意志? なんのことなの」
必死に問いかける夏月に陽花は薄ら笑いを浮かべる。
「バイバイ、蝙蝠女さん」
夏月に向かって白刃が閃いた。
「いやっ」
夏月は身体を捻ってなんとか刃を避ける。狙いが逸れた刃が肩口を裂いた。ジンジンと熱い痛みに襲われて、呻き声が漏れる。
血濡れたナイフを手に、陽花は余裕の顔をしていた。
「避けるなんてがんばるね、夏月。だけど残念。あたしは運動神経が抜群なんだ。月葉は運動が苦手だけど、あたしは違う。あなたは逃げ切れない」
陽花が不意に夏月から退いた。夏月はその隙に陽花に背を向けて走り出す。
陽花の足元で刺された腹を押さえ、呻く愛のことを気にしてなどいられなかった。もつれる足を叱咤し、不気味な暗闇を駆ける。
背後から軽やかな足音が近付いていた。
振り返ると、狂気めいた笑顔を浮かべた陽花が追いかけてきていた。宣言通り、陽花の足は速い。
逃がしたのはきっと、狩りを楽しむためだ。絶望が夏月の胸を塞いだ。
「遅いよ、夏月。捕まえた」
髪の毛を掴まれ、後ろに引っ張られた。夏月は痛みに悲鳴を上げ、無様に地面に転がる。
「ごめんね、月葉。ごめんね」
最期になるかもしれない言葉として夏月の唇から漏れたのは、月葉への謝罪だった。
陽花の顔が曇り、一瞬だけ動きが鈍る。だが、すぐに冷酷な顔に戻ってナイフを振りかぶった。
「やめろ!」
鋭い声が響いた。同時に闇を目映い光が切り裂く。
夏月と陽花が視線を向けた先にいたのは朔耶だった。
「え……、どうして」
戸惑う陽花に朔耶が手にしていたスマホを投げる。スマホは闇を照らしながら陽花の手に当たり、ナイフとスマホが落ちる音がした。
「大丈夫か、辻井」
朔耶は怪我をした夏月を抱き起し、陽花を睨んだ。
陽花の顔が引き攣る。
「もうみんな帰ったはず。それなのに、どうして高杉がいるの?」
「虫の知らせがしてな。下足室に戻ったらみんな帰ったはずなのに、麻生たちの靴だけが残っていた。可笑しいと思って職員室に行ったら、音楽室の鍵が戻っていなかった。だから様子を見に来たんだよ」
「そう。ああ、そうなんだ。やっぱり、月葉のお願いごとは叶えなくちゃいけない。そういうことだよね、月葉」
譫言のように呟く陽花に朔耶が怪訝な顔をする。
「何を言っているんだ、立花。月葉はお前だろう」
陽花は寂しげな笑みを浮かべて近付いた。
「あなただけは、傷付けたくなかった」
「なに……うっ」
袖に隠していたのだろう。陽花の手にはいつの間にかスタンガンが握られていて、バチバチと凶悪な音を立てて青白い光を放った。
スタンガンの不意打ちは予想していなかったようだ。それに陽花には朔耶に対しての敵意がなかったから、攻撃されるなんて考えてもなかったに違いない。運動神経抜群の朔耶は電撃をまともにくらい、地面に膝をついた。
「ごめんなさい、高杉」
心の底から哀しそうな声で謝罪すると、月葉はもう一度スタンガンを朔耶に押し当てようとした。その手首を背後から誰かが掴んだ。
「そこまでにしておきなよ、月葉ちゃんのそっくりさん」
冷静な声が闇を揺らした。
月葉の背後に立っていたのは薫だった。薫に手首を捻りあげられた陽花の手からスタンガンが落ちる。
「薫!」
「やれやれ、猪娘にも困ったものだね。置いていかないでよ、朔耶」
「来ないって言ってたくせに」
「猪突猛進のお馬鹿さん一人を行かせたら、ろくな結果にならないと思ってね。君が正統派に入口から入ったから、僕は出口の準備室からこっそり入らせてもらったよ。でもおかげで背後をとれたね」
薫は月葉の両腕を後ろ手に拘束すると、耳元でそっと囁いた。
「こんばんは、月葉ちゃんそっくりのさとこサマ。そして、二年一組のいじめっ子殺しの犯人さん」
薫の褐色の瞳はすべてを見通す仙人の瞳のようだった。
「な、どういうことだ、薫」
事態を飲み込めていない朔耶が困惑した顔をする。
当事者の夏月だって、陽花が月葉のふりをして学校に通っていたことも、復讐のために自分たちを襲ったことも、今知ったばかりだ。それなのに、第三者の薫が何を知っていると言うのだろう。
飄々と笑っている薫に視線が集まる。
「月葉ちゃん、いや、君の本当の名前は?」
「……佐々木陽花。夏月にはさっき言ったけど、あたしは月葉の双子の姉」
「そう。まあ、夏休み明けから月葉ちゃんが別人になっていたことはわかっていたし、君が彼女の双子ということも予想のうちではあったよ。頑張って演じていたけど、僕に向ける感情も月葉ちゃんとはぜんぜん違っていたしね」
「そう、知ってたんだ。学年首位キープの天才君は欺けなかったわけね」
「残念だったね、陽花ちゃん。君が殺人に手を染めたのは、月葉ちゃんのためかい?」
「それ以外、理由があると思う?」
「確認しただけさ」
薫と陽花が淡々と言葉を交わすのを、夏月も朔耶も呆然として聞いていた。
「待ってくれ、薫。月葉が月葉じゃなくて彼女の姉で、それだけでも混乱しているのに、殺しの犯人なんて。頭がついていかない。どういうことだ」
珍しく泣きそうに眉根を寄せた朔耶に薫が静かに告げる。
「僕もすべての犯人が陽花ちゃんかどうかわからない。だけど、陽花ちゃんは少なくとも一人は殺している。横尾君、彼を殺したのは君だね」
「ご名答。どうしてわかったの?」
「簡単さ。横尾君をプールで発見した君と喋った時に、違和感があった」
「あたし、上手く素知らぬ顔をしていたと思うけどな。演技は得意だから」
「そうだね、君の態度に不自然な点は一つもなかった。僕がひっかかったのは会話の内容だ。君はプールに浮かんで死んでいた横尾君に対して『きっと沢山水を飲んで苦しかったと思う』と発言している。そのことが引っかかった」
「横尾君は溺死だから、そう思うのは当然だと思うけど」
「どうかな。あの時点では横尾君の死因は判明していなかった。プールで死んだからって溺死だとは限らない。転んで頭を打ってからプールに落ちたのかもしれないし、誰かが殺してからプールに捨てた可能性や、寒い秋の夜に冷たいプールに落ちて心臓発作を起こしたことも考えられる。ましてや横尾君は仰向けで浮かんでいたのだし、彼が金づちなのは有名で自ら水に入るとは考えにくい。溺死だとすぐに結びつけるのはあまりに思い込みが強くないかな?」
薫の言葉に陽花ははっと目を見開いて二、三度瞬きをした。それから目を細めると、クツクツと喉の奥で笑った。
「本当に天才なんだ、対馬君。お見事。あたしも間抜けだね。余計な一言で犯人だと勘付かせるなんて」
呟いた陽花はすべてを認め、諦めた顔をしていた。
薫はそっと陽花を解放する。陽花が力なく地面に座り込んだ。
その足元にナイフが転がっているのを、夏月は見てしまった。
「だめっ」
夏月が叫んだ時には、陽花はナイフを拾っていた。
ナイフの切っ先が陽花の細い喉を目がけて振り下ろされる。
月葉に瓜二つの陽花が死んでしまう。完全に月葉がいなくなってしまう。
夏月は反射的にナイフに手を伸ばしていた。手のひらに鋭い痛みが走る。
「どうしてあなたが止めるの、夏月」
陽花が驚いた顔で夏月を見る。
力の抜けた陽花の手からナイフを奪って遠くへ投げ捨てると、夏月は痛みに顔を歪めながら、陽花の黒曜石のような瞳を見詰めた。
「月葉と瓜二つの姿の陽花さんに、これ以上傷付いて欲しくないの」
「なにそれ、意味がわからない」
「ごめんなさい陽花さん。月葉のこと、助けられなかった。それだけじゃない、わたしは月葉が愛ちゃんたちの標的になるようなことをした。でももう、月葉が傷付く姿は見たくないの」
「死なせてよ。もう、いい。月葉はいない、あたしの居場所はなくなった」
絶望に打ちひしがれる陽花に、夏月はなんて声をかけていいかわからなかった。自分も似たような気持だったからだ。
わたしの月は消えてしまった。永遠の月同盟はもう、とっくに消滅していた。夏月にとってそれは死の絶望だった。
「駄目だ、死なせない」
薄暗く纏わりつく死の空気を吹き飛ばしたのは朔耶だった。彼女の青い瞳はまっすぐ陽花を見ていた。
「陽花、立花月葉は大切な人の死を望まない。生きて償え」
そう告げると、朔耶は陽花をぎゅっと抱きしめた。
陽花は暫くぼんやりしていた。
やがて、感情のない陽花の顔がくしゃりと歪んだ。その瞳から大粒の涙が零れるのと同時に、彼女は朔耶の胸に縋りついて、幼い子供のように声を上げて泣いた。
サイレンが近付いている。薫が救急隊員と警察を呼んだのだ。
サイレンの音に混じってもなお、陽花の泣き声は消えずに耳を貫いた。
泣きやんだ陽花は少しだけすっきりとした顔をしていた。まるで憑き物が落ちたような顏だった。
自首するという陽花に朔耶が付き添い、まだ息のある愛を薫が抱き上げた。落ちついた足取りでまっすぐ校庭に向かう二人の背中を、夏月は覚束ない足取りで追う。
パトカーと救急車が敷地に入ってきたことに気付いて、残業をしていた教員三名と、警備員一人が外に出てきていた。
異例の事態に大人たちが騒然とするなか、薫は冷静に愛を救急隊員に引き渡して状況を説明し、陽花は朔耶に肩を抱かれて、硬い表情と声で警察官に今夜起きたことを白状していた。
警察や救急隊員、教員が慌ただしく動いている。
蚊帳の外の夏月は、現実味のない状況にただぼんやりとしていた。
「君は大丈夫かい? 怪我があるなら、君も病院へ」
救急隊員の人に話しかけられて、夏月は咄嗟に手のひらの裂傷を隠すように拳をそっと握った。
「わたしは大丈夫です。怪我はしていません」
校舎に入って行った救急隊員と警察がバタバタと出てきた。ストレッチャーにはぐんにゃりと横たわる由貴子の姿。
青白い蝋人形のような顏、だらりと垂れさがった手。
救急車に待機していた隊員が駆け寄ると、ストレッチャーを引いていた隊員が首を緩く横に振った。ストレッチャーにブルーシートがかけられる。
「怪我人は一名、ただちに病院へ搬送します」
パトカーを残して救急車が夜の闇に消えていく。空を仰ぐと丸い月が高い場所から地上を見下ろしていた。
月葉が事件のすべてを見届けている。そんな気がした。
夏月は握ったままの手のひらの痛みを噛み締め、滲んだ視界を消すように目を閉じた。
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