さいごの告白

白洲尚哉

第1話 さいごの告白

 もしもし。ああ、こんばんは。はじめまして、わたし、こういうサービスを使うってはじめてで。よろしくお願いしますね。

 はい。告白したいことがあります。ずっと抱えてきたんですけど、もう耐えきれなくって。誰かに聞いて欲しくって。ええ、はい。お願いしますね。


 わたしには、一つ上の姉がいました。

 姉は、なんでもできるんです。勉強もできてスポーツもできて、人当たりもよくて、おまけに美人。綺麗だった母そっくりで、みんなから愛されていたと思います。

 でも、わたしは違いました。

 勉強も、スポーツも苦手でした。美人でもありませんでした。わたしはずっと、姉と比べられて、「あなたはどうしてできないの」「お姉ちゃんを見習いなさい」とずっと叱られてきました。

 辛かったです。でも、姉は一言だって、わたしにそんなことは言いませんでした。ずっと優しくて、わたしが隠れて泣いていたら、側にいてくれました。優しい姉でした。

 わたしに持っていないものを、なんでも持っているのに、そんな人が、せめて嫌な人であれば、わたしだって遠慮せずに憎めたのに、姉はどこまでも優しくて、善い人でした。

 それが、わたしを余計に惨めにしました。

 ある日のことです。

 わたしと姉は、外へ遊びに行きました。

 引きこもって荒んでいたわたしを、姉が連れ出したのです。姉がなぜそうしたのかは分かりませんが、きっと、わたしを想ってのことだったのでしょう。姉は善い人でしたから、引きこもりになりかけていたわたしを心配していたのかもしれません。

 でも、わたしや姉が生まれたのは田舎でしたから、近くに娯楽のある場所なんてありません。ひたすら山と、田んぼがあるだけです。自転車は家に一台しかありませんでしたし、街まで遊びに行ったら、帰って来るのは夜になります。そうしたら、姉もわたしも母に怒られてしまいます。

 そこで、姉はわたしを近くの山に連れて行きました。

 山のなかを探検しました。

 そして、川を見つけました。

 綺麗な渓流でした。夏になったころで暑かったので、男の子がいないのを良いことに、わたしも姉も服を脱いで、泳ぎました。ひんやりとした水の感触が気持ちよかったのを憶えています。水をかけあったり、水切りをしたり。

 二人とも遊び疲れて、河原で休憩することにしました。

 体を乾かしながら、他愛のない話をしていたとき、姉が言いました。

「私ね、ユウくんと付き合うんだ」

 わたしは、衝撃を受けました。

 ユウくんは、わたしたち姉妹の幼馴染です。家が近く、幼少のときから一緒に遊んできました。彼は日焼けのした背の高い人で、明るくて、かっこいい人でした。

 そして、わたしの想い人でもありました。

「ユウくんがね、私に告白してきてね」

 姉は続けました。

「ほんとは私、彼氏を作るつもりはなかったんだけど、ユウくんなら良いかなって」

 それはつまり、好きでもないのに、わたしのほうが好きなのに、ユウくんと付き合うことにしたということです。

 きっと、わたしはそのときひどい顔をしていたんでしょう。

 姉は、心配そうにわたしの顔を覗き込んで、優しい声をかけました。

 そのとき、思ったのです。

 どうして、わたしからすべてを奪っていくんだろう。

 全部、全部、姉だけのものになっていく。みんなからの愛を、姉さんは独り占めして、わたしに、ただの一つも分けてくれない。

 気がついたら、わたしは姉につかみかかって、押し倒していました。

「うっ」

 姉の、小さい呻き声が、喉から、形の良い唇を通して漏れました。

 同時に、ゴンッ、と鈍い音が聞こえました。

 姉の後頭部から、赤い血が流れてきました。河原の石が、どんどん赤く染まっていきます。

 わたしは怖くなって、その場を立ち去りました。

 遠くで、姉がわたしを呼ぶ声が聞こえた気がしました。



 家に帰ったころには、夕刻となっていました。

 母には、姉の居所を訊かれました。でも、わたしは知らないと答えました。

 すっかり陽が落ちても、姉は帰ってきませんでした。母は、わたしが遅いとかんかんになって怒るのに、姉が帰って来ないとなると、いたく心配そうでした。

 母は、駐在所に電話をかけました。そして、駐在さんや消防団の人たちによって、姉の捜索が始まりました。

 わたしはなにも知らないと言って、家に残っていました。その間、母はずっと、「お前がちゃんと見ていなかったからだ」と言って、わたしを責めていました。

 夜が明けて、姉が見つかりました。

 川下のほうで見つかったそうです。体中が痣や傷だらけで、川下で見つかったときには、綺麗な顔はひどく損傷していて、あの美人とは思えなかったそうです。

 母は、泣いていました。

 わたしも、泣きました。

 わたしは姉の後頭部に傷をつけた犯人です。でも、姉が川に流れたということは、その後も姉は生きていて、立ち上がろうとしたんだと思います。しかし、姉は川に落ちて、そのまま流されて、死んだのです。

 わたしが殺したも同然です。

 わたしはその後の人生、ずっとこのことを胸に抱えて、生きてきました。



 わたしは高校を卒業すると、家を出て、田舎を出て、街で働き出しました。

 高校を出てから実家やユウくんとは疎遠になっていましたが、二十五歳のとき、ひさしぶりにユウくんと再会しました。

 ユウくんは立派な社会人になっていて、ちょうど、三年付き合った彼女と別れたところでした。

 わたしは、ユウくんと連絡を取り合うようになり、付き合うことになりました。

 母も、ユウくんのご両親も、わたしとユウくんの交際を認めていました。それほど時間を置かず、わたしとユウくんは夫婦になりました。

 このとき、ふと思いました。

 やっと、姉さんから一つ奪えた。

 いま思えば、なんとあさましいのでしょう。姉から一つどころか、命を奪ってしまっているというのに。

 わたしは姉の死の真相を、ユウくんに話すことはありませんでした。ずっと、隠したままでした。

 そのときのわたしは都合よく、あれは事故だったのだ、わたしは殺そうと思っていたわけじゃない、ただ、怒っていただけ、と自分に言い聞かせていました。厚かましいですよね。姉を殺しておいて、それを正当化しようとするなんて。

 きっと、それが間違っていることは、心の奥底では分かっていたんでしょう。

 異変が起こるようになったのです。



 わたしの枕元に、あのときの、十代のころのままの姉が立つようになりました。

 姉は、ぼろぼろの顔で、髪も体もぐっしょり濡れて、わたしを見下ろしています。

 ああ、きっと、わたしを恨んでいるのだろうと思いました。

 けれど、姉は一切わたしに手を出そうとはしませんでした。ただ、悲しそうな目で、わたしを見下ろしているだけです。そのときには金縛りになるのですが、明け方になると姉はふっと消えて、金縛りも解けました。

 姉は怒っていない。命を奪われても、わたしを恨もうとしない。

 わたしは、犯した罪の大きさを初めて知りました。

 姉はみんなから愛されていて、そして、それと同じだけ、みんなを愛していたのです。

 そのみんなには、わたしも含まれていたのです。誰からも愛されなかったわたしを、世界でたった一人、愛していた人だったのです。

 そんな人を、わたしは、つまらない自尊心から殺しました。

 それを、わたしはわたしを守るために、ずっと隠して生きてきました。

 墓場まで持って行こうと決めていました。でも、考え直したんです。

 この秘密を墓まで持って行けば、きっと、姉は苦しむだろう。

 死んでもなお、わたしは姉を傷つけるだろう。

 わたしはもうこれ以上、この秘密を抱えることはできません。姉の悲しい顔を、見ることは耐えられません。

 だから、こうやってこのサービスですべてを打ち明けることにしました。

 驚いたでしょう、でも、本当に助かりました。

 さいごに告白できて、スッキリしました。

 姉のもとに着いたら、ちゃんと謝ろうと思います。

 

 ありがとうございました。では、おやすみなさい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さいごの告白 白洲尚哉 @funatuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ