黒牢&白牢

22.「裏切り」

「やったぞ! リカルド、お前、やっぱ最強だ!」


 ファルネウスを倒したばかりのリカルド様たちの方を見ると、ゴドフリーさんが両腕を振り上げ、岩の破片を散らしながら、大声で勝利を叫んだ。


「流石は勇者様ってね」


 ミランダさんは力なく笑いながら、涙を流していた。フローラさんは静かに癒しの光を放ち、傷ついた彼らを包み込み始めた。


「みんなのおかげさ」


 リカルド様は、疲労から息を切らしながらも、仲間たちへ優しい笑みを返した。彼の瞳は、勝利の喜びに満ちていた。その光景を、私はただ黙って見つめていた。

 胸の奥に、じんわりとした温かさが広がる。このかけがえのない瞬間が、永遠に続けばいいのに。そう、心から願った。


 その時だった。


 嫌な予感がした。わずかな魔力の揺らぎ。


 胸をざわりと撫でた。

 見慣れたフローラさんの治癒魔法。柔らかい光。けれど、そこにほんの一滴、濁った気配が混じっていた。


(……何、今の……?)


 次の瞬間だった。


 ザシュッ――!


 鋭い破裂音が、大広間に反響した。

 視界の奥、聖剣を握ったまま膝を折るリカルド様の背中へ、魔力で作れた銀の刃が突き立っていた。


 時間が、止まったようだった。


「……え?」


 私の口から、ひどく間の抜けた声が漏れた。

 耳が、痛いほど静かだった。ゴドフリーさんの絶叫も、ミランダさんの嗚咽も、何も聞こえない。誰も声を上げない。誰も、動けない。


 ただ――リカルド様の体が、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちた。


「リ……カルド、様……?」


 声が震える。視界の端で、ミランダさんが膝を折り、その場にへたり込んだ。ゴドフリーさんは血走った目で、その場を凝視していた。


 刃を握る腕の主――”フローラ”が、そこにいた。


 優しげだった笑顔は、もうなかった。代わりに浮かぶのは、冷たい無表情。まるで、感情の欠片も持ち合わせていない、精巧な人形のようだった。


 その顔に、私は見覚えのあるはずの温かさを見つけることができなかった。


「今までご苦労様、勇者様」


 その声音は、ぞっとするほど冷ややかで、美しかった。


「お……ま、え……」


 掠れたリカルド様の声が、熱に焼けた洞窟を伝う。


 ……足が動かない。頭では叫んでいるのに、体は硬直して動かない。

 目の前で起こっていることが、現実だと信じられない。これは、悪夢だ。


 ただの、ひどい悪夢だ。そう、自分に言い聞かせた。


「フ、フローラ……! 何をしてるんだ!?」


 ゴドフリーさんの震える声が、静寂を破った。彼は、信じられないものを見るかのように、フローラを睨みつけていた。


 フローラは、その問いに答えることもなく、ただ静かに刃を引き抜く。


 ドス、という鈍い音が、私の耳の奥でこだました。


 リカルド様の体が、さらに大きく揺らぎ、血が床に広がる。その赤色が、光に照らされて、より一層、禍々しい色を放っていた。


「……裏切ったのか……」


 ミランダさんの声が、響いた。彼女は、もはや涙を流していなかった。

 ただ、その瞳には絶望が宿っていた。


 フローラは、何も言わなかった。

 ただ、銀色の刃を、静かに見つめていた。刃には、リカルド様の血が滴り、キラキラと光っている。


「――なぜだ!」


 ゴドフリーさんの叫びが、洞窟の奥まで響き渡った。彼は、フローラに詰め寄ろうとした。しかし、その瞬間、フローラが手を一振りする。


ザザザッ――!


 無数の岩石が、ゴドフリーさんの足元からせり上がり、彼の体を締め付けた。ゴドフリーさんは、苦しそうにうめき声をあげ、その場に倒れ込んだ。


「フローラ……あんた、いつから!」


 ミランダさんの声が、驚きに満ちていた。


「この日のために、ずっと昔からよ……」


 フローラが、初めて口を開いた。どこか遠い場所から聞こえてくるようだった。


「……勇者が、聖剣を使い果たし、疲弊しきったこの瞬間を、ずっと待っていたわ」


 その声には、何の感情もこもっていなかった。まるで、事前に用意された台本を読み上げているかのように、淡々と話していた。


「……ずっと、私たちを、騙していたのか……?」


 ミランダさんが、震える声で尋ねた。


 フローラは、ミランダさんを見つめた。


「そうね」


 フローラは、かすかに口角を上げた。それは、嘲笑だった。


「俺たちの、仲間じゃなかったのか!?」


「仲間、ね」


 フローラは、冷たい目でゴドフリーさんを見下ろした。


「そんなわけないじゃない。私は……魔王様に仕えるために生まれた」


 倒れたリカルド様は、フローラを見つめていた。その瞳には、痛みと、そして、深い悲しみが宿っていた。


 私は、ただその場で、立ち尽くすことしかできなかった。頭では、動け、と叫んでいるのに、体は動かない。

 死霊の皆も、動けていないようだった。


「……私が、なぜ、あなた方を助けてきたか、知りたいかしら?」


 フローラは、まるで自問自答するかのように、静かに語り始めた。


「私は、あなた方を、ずっと生かしてきた。それは、あなた方の力を利用して、邪魔な四天王を排除させ、その名声でもって人々に希望を与えた勇者を殺し……絶望に叩き落すため」


「なっ——」


「ああ、でも、死霊術師の女だけ面倒だったのよね。彼女だけ規格外の力を持っていたから、わざわざ追い出すのに時間をかけてしまったわ」


 フローラは、リカルド様を見つめ、静かに問いかけた。


「でも、治癒魔法に精神干渉を混ぜたおかげで邪魔者はパーティーから居なくなった。あのあともコソコソと助けていたようだけれど——今は出てこれないようね」


 フローラは、そう言って、ゆっくりと、その銀色の刃を、リカルド様に向けて構えた。


「……待てっ!」


 ゴドフリーさんが、叫んだ。彼は、岩の鎖を振りほどこうと、必死にもがいていた。


「フローラ、やめて! やめてくれっ!」


 ミランダさんが、泣き叫んだ。


 足が、動かない。


 フローラは、ただ、静かに、刃を振り上げた。その刃が、リカルド様の心臓へと向かって、ゆっくりと降りていく。


 ドスッ――!


 鈍い音が、私の耳に、焼き付いた。


「……リカルド、様……」


 私の声は、もはや、言葉にならなかった。ただ、その場に広がる、残酷な赤色だけが、私の瞳を支配した。


 フローラは、冷たい無表情のまま、その場に立ち尽くしていた。まるで、何もなかったかのように、静かに。


 そして、その場には、ただ、静寂だけが残った。

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