日常の壊し方
抱き合い続けていた僕らは、明るくなってきた空に気付く。慌てて母さんに土を被せ、墓標の代わりに大きな石を置いてそこを去る。まさか朝になるまでそのままでいるとは、少し気恥ずかしい。しかし気にすることはない。誰かに知られることもないのだから、堂々としていればいいのだ。
「落ち着いた?」
「うん、ありがとう」
えへへ、と笑って燐音は顔を赤くする。今さら恥ずかしくなったのならからかってやろうか。
「そういえば、学校」
「サボろうと思ってたのに……あ、要は無理しなくていいからね?」
犯罪の手伝いをさせて尚心配してくれる燐音に、申し訳なさが溢れそうになる。しかし、ごめんねと繰り返すだけになってしまっては困らせてしまう。ここはこらえて、送り出そう。
「じゃあ、いってらっしゃい」
「いってきまーす!」
元気よく返事をして、燐音は家へと向かっていく。僕は小さな秘密基地に、一人取り残された。
風が段ボールの隙間から勢いよく流れ込み、僕の体を撫でる。燐音と居る時は気づかなかったが、寒い。そういえば今は冬、そんなことに気が付かないレベルで消耗していた事実に少しだけ驚いた。
燐音から貸してもらったモバイルバッテリーにスマホをつなぎ、充電されるのを待ちながら何をするでもなくうずくまる。山の景色には色が感じられず、眺める気にもなれない。一人寂しい冬の山、心がまた深く沈んでいくのを感じていた。
どれほどの時が経っただろうか。震えながら充電中のスマートフォンを取り出してみると、現在時刻は九時。燐音が学校へ向かってから三時間というのに、数日、いや数週間経った気さえする。これほど時間感覚を狂わせるとは、退屈おそるべし。この震えは退屈への恐れか、はたまたただの寒さか。そうくだらないことを考えるよりも有効に退屈を紛らわせる方法に気付いた僕は、かじかんだ指をぎこちなく動かし、おもむろに「世界の壊し方」を開いた。
目に入った記事をタップして、スクロールして、閉じる。これを幾度も繰り返し、何も得られず。卜占のやり方から宇宙開発の最先端まで、幅広いのはいいのだが要領を得ない。はなからこんなサイトには期待していないが、せめて与太話でも世界をぶち壊せるような大きな話があるだろう。そう思って開いた記事は「世界シュミレーション仮説特集」。内容は、現実が映画マトリックスのような仮想世界であるという仮説にいくつかの実験を根拠として付け足したようなものだった。マトリックスか、そういえば燐音の家で一緒に観たことがあった。もしあんなふうに世界をハッキングできるなら、きっと母さんを生き返らせることも。そんな夢を抱いた、抱くだけだった。
かれこれ2時間ほど記事を漁って、僕はある記事に辿り着く。それは明らかに異質で、短く、意味不明だった。デフォルトのフォント、飾りのないレイアウト、人に見せる気が感じられない。最初に実験記録と書かれたその記事は、左側に英単語と数字、右側に何らかの一文が書かれたペアが並べられたもの。そして、最後には「失敗、保留」という言葉で締めくくられている。ところどころ括弧で囲まれた注釈のようなものが散りばめられているが、この記事が何なのかについては一切触れていないのだ。意味がわからないのなら閉じて次に行けばいい、その通りである。しかし、本能が叫ぶのだ。この記事には何かある、と。
なるほど、この左右のアルファベットと文は、入力した文字列と結果か。それなら入力すべき場所はどこにあるのだろうか、とりあえず片っ端から検索してみよう。
「apple 1……っと」
リンゴ一つが眼の前に現れる。そして鳴る腹の音、自分が一日中何も食べていなかったことに気付く。かぶりついてみれば酸味と甘味が口の中に広がり、しゃくしゃくとした食感も心地良い。本物のリンゴだ。
そう、本物なのだ。望めば本物の母さんだって手に入る、でも。
cat 1と入力する。猫の死体が現れ、どさりと地に落ちる。live cat 1と入力する。何も起こらない。
そうして得た母さんは、きっと生きてはいないのだ。人形のようにただそこに佇むだけの紛い物でしかないのだ。僕が大好きだったあの母さんは、二度と僕に微笑んではくれないのだ。そんな世界なんて。
ふと、失敗の理由に気付く。コメントを残した人が世界を壊せなかったわけが。くだらない、こんなことで。情動のままに指を滑らせて、入力したのは。
「destroy the world 1」
世界が壊れ始める。
地面がぼろぼろと崩れ、底の見えない穴がそこら中にできていく。見渡せば、ぐにゃりと歪んでいく街。思い出す。あっちには燐音がいる。刹那、僕は走り出していた。
踊る木を避けながら、底なし穴だらけの獣道を駆ける。浮きながら回転する家を横目に、うねりながら崩れるコンクリートの道を駆ける。何かの破片が脚に突き刺さって痛い。逃げ惑う人々に突き飛ばされて、肘を擦りむく。それでも、それでも。学校へと駆ける僕は、力尽きて倒れ込んだ。
右脚からどくどくと熱いものが流れ出していく。左肘がひりひりと痛む。頭を支える力もなく、見える世界はコンクリート。ああ、最悪の気分だ。世界を壊す、その目的は達成したはずなのに。
「ああ、燐音……」
好きだ。そう伝えたかった。できなかった。幸せを失うことを恐れて、幸せになることにすら踏み出せなかった。
今なら、伝えられると思った。どうせ全部壊れるんだから、今ならどれだけ幸せになっても怖くないんだ、と。できなかった。壊れた世界が、どうしようもなく僕を阻んだ。でも、それでも、這ってでも。最後に、燐音に。
「呼んだ?」
息を切らした燐音が話しかけてくる。僕は幻聴を聞くほどに燐音を求めたのか。
「大丈夫?ほら、手、掴んで!」
伸ばされた華奢な手を弱々しく握る。そのまま引っ張られ、僕はなんとかその場に座り込んだ。
「そんなに私が恋しかったか、この〜!」
「うん、無事でよかった」
「えへへ」
少し考えて、僕は決める。ここで言わなきゃ。
「どうしたのさ、急に」
「幸せになりたくなかった、怖かったんだ。失って、つらい思いをするのが」
燐音はかがんで、僕と目を合わせる。これが大事な話だって、僕がほ伝えなきゃいけないことだって気付いたんだろう。
「ずっと逃げていた。幸せから、燐音から、自分から。ささやかな幸せだなんだと言って、前に進もうとしなかった」
だから、今、全てが終わる前に。
「好き……です?」
燐音は顔を両手で覆い、小さな声で返す。
「やっとか、このバカ……」
「世界終わらせないと告白もできないとか、ヘタレすぎるでしょ」
「返す言葉もございません……」
「反省しなさーい」
燐音が隣に座って、僕の背中を撫でる。安心感に包まれて、少し痛みが和らいだ。
「世界、終わっちゃうね」
「壊したからね」
「でも、私は幸せだよ」
「僕もだ」
僕たちは手を繋いで、空を見上げる。人工衛星が映った蜃気楼はゆらゆらと揺れ、鮮やかなオーロラがそれを包み込む。どこよりも暗い孔から流星が降り注ぎ、体の奥からオーケストラみたいな破壊音が響く。雲が夕焼けに染まり、3つに増えた太陽と星の瞬く夜空が重なる。幻想に包まれた僕らは、体を寄せ合って互いを確かめた。
「綺麗だね」
「現実じゃないみたいだ」
「でも、私も要もここにいる」
「ああ」
壊れていく世界の中、僕らの世界は静かに、けれど確かに始まった。
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