第29話 蠢く思惑




 シラサギはガレンとフェリックスの反応をじっと見つめていた。


 その提案は確かに魅力的だった。

 他に行く当てもなくライアットの追手は必ず来る。


 ならばこの際、罠であると知りつつも敢えて飛び込むのも悪くない。


 ゼフィラははっきりとシラサギに告げた。


「……行く。まどろっこしいのは嫌いだし、ライアットが敵視する評議会の実態も少しは掴んでおきたいから」

「あれだけ酷い扱いを受けてなお、ライアットを気にかけますか。ヴァニタスの力は恐ろしいですね。ですが正直で結構です」


 シラサギはゼフィラのその言葉を肯定的に受け取った。

 彼自身、ゼフィラがライアットの側の人間であることは理解している。


「ゼフィラ……危険です。白鴉はくあの評議会は影牙衆えいがしゅうと対立する裏社会の組織ですよ」


 フェリックスが躊躇ためらうが、ガレンはゼフィラの覚悟を感じ取っていた。


「行きましょう所長。ライアットの情報を得るためにはこれ以上の手段はないでしょうから」


 警戒は最大限にガレンは慎重にそう言った。

 ライアットを止めるという目的のためには、この危険を冒す価値があるとガレンも判断したのだ。


「ふふふ……賢明な判断です。実に小賢しいですね貴女は」


 シラサギは口元に笑みを浮かべた。

 その声には、僅かながら棘が混じっているのをガレンは聞き逃さなかった。


 シラサギは裏社会の魔石採掘ルートの争奪戦において、ライアット指揮下のゼフィラによって幾度となく邪魔されてきた過去がある。

 友好的な態度とは裏腹に、彼の中にゼフィラへの個人的な憎しみが存在しているのは明らかだった。


「では、私ども評議会の一つの支部までご案内しましょう。道中、ライアットに関する詳細をお話しできますし、ヴァニタスの精霊についてもさらに深くお教えできるでしょう」


 シラサギはそう言い、先行するように静かに歩き始めた。

 ガレンは警戒を怠らず、ゼフィラを守りながらフェリックスと共にシラサギの後を追う。


 評議会の支部がどのような場所なのか、そこで何が待ち受けているのか彼らの心には期待と不安が入り混じっていた。




 ***




 シラサギが先導する森の中の道は、これまで歩いてきた道とはどこか違っていた。


 木々はより密生し、まるで外界から隔絶された秘密の通路のようだ。

 太陽の光も届きにくく、常に薄暗い。


「評議会の支部は、都市からは離れた隠された場所にございます。情報網を維持し、影牙衆の目を欺くためにはこのような場所が不可欠でしてね」


 シラサギは淡々と説明した。

 彼の足取りは軽く、疲労の兆候は一切見せない。


「情報網ですか。あなた方は我々の動きまで把握していましたね」


 フェリックスが怪訝な表情でシラサギを見つめる。

 評議会の情報収集能力は、彼の想像を遥かに超えていた。


「ええ。この世界の裏側で蠢く様々な情報を我々は常に監視しています。ライアットの動きもその一部に過ぎません」


 シラサギの声にはどこか傲慢な響きがあった。


 しばらくの沈黙の後、ガレンが口を開いた。


「ライアットが本当に魔石戦争の黒幕なのか? にわかに信じがたい……」

「信じるかどうかはお任せします。しかし事実は変わりません。彼は幼い頃から人の心に巣食う嫉妬を増幅させるヴァニタスの精霊の力を用いてきました」


 シラサギは歩きながら淡々と語る。


「魔石戦争が勃発する前から、ライアットは人々の間に不満の種を蒔いていました。王家への不信、隣国への妬み、貧富の差への恨み……些細な感情の揺らぎを、ヴァニタスの力で巨大な憎悪へと変えていったのです。人々は自らが操られていることなど露知らず、ただ心に沸き起こる感情のままに暴れ互いを傷つけ合いました」


 フェリックスは、その話を聞きながら自身の古文書の知識を必死に辿った。

 ヴァニタスが精神に影響を与える精霊であることは知っていたが、歴史を裏で操るほどの規模で作用するとは……しかしそれだけではどうにも腑に落ちない。


「しかし、ヴァニタスの力だけでそこまで成し遂げられるとは思えませんが……」

「察しが良いですね。勿論それだけではありませんよ。対なる精霊のキューピットの力を弱める為、キューピットの加護者は勿論、精霊のキューピット自体を徹底的に殺して回りました。この世から『愛』が失われ、ヴァニタスの力が最大限発揮されるようになりました」

「!?」


 それを聞いたフェリックスは開いた口がふさがらなかった。

 何か反論をする気にもならない。


「なのに不思議ですね。キューピットの力を持つ貴女を何故殺さないのか」


 シラサギはゼフィラの方を鋭い目つきで睨みつける。

 評議会はゼフィラがキューピットの加護を得ていることまでも知っていた。


「あたしもわかんねーよ……」


 暗い表情でゼフィラは俯く。

 ライアットが本当は何を考えているのか分からない。

 彼が自分に大事な事を言ってくれない事への寂しささえ感じる。


「分家はライアットと密約を結び、正の王家を滅ぼすための手助けをさせた。彼らはライアットの力を知って利用した。結局今はライアットに骨の髄までしゃぶられるだけのお飾りの王家ができました」


 シラサギは笑った。

 その笑い方には人間に対する嘲りが込められている。


「しかし……そんなに多くの魔石を集めてどうするつもりなのでしょうね。ろくなことにならないのは明白ですが」


 シラサギの表情は真剣だった。


 フェリックスは顎に手を当てて考える。

 シラサギの情報網は広大だが、ライアットの真の目的までは探りきれていない。

 ゼフィラにすら何も話していないライアットの真の目的とはなんだろうか。


 何にしても、王家が滅んだ原因がライアットにあると知ったフェリックスは内なる怒りが燃え盛っていた。




 ***




 ライアットは自身の拠点である深奥の間にいた。

 彼の顔には苛立ちと焦燥が色濃く浮かんでいる。


「チッ……ゼフィラ……あのクソ女ァ……! あのクソ野郎にそそのかされやがって……! 死ぬよりひでぇ目に遭わせてやる」


 ライアットの言葉にはゼフィラが自分の命令に背いたことへの激しい怒りだけでなく、それを助長したガレンへの強い殺意が込められていた。


 ヴァニタスの力が彼の感情を増幅させ、部屋の空気が微かに歪む。

 周囲に置かれた調度品が、彼の苛立ちに共鳴するようにカタカタと音を立てた。


 そこに、影牙衆の一人が息を切らして駆け込んできた。


「ライアット様! 情報です! ゼフィラが、あの男と共に白鴉の評議会の第三支部に入っていきました!」


 その報告を聞いたライアットは、一瞬、狂気に満ちた笑みを浮かべた。


「いいねぇ……俺から逃れる為に評議会に尻尾を振りやがったか」


 彼の表情はすぐに冷徹なものへと変わった。


「想定内だ。しばらく泳がせておけ。ゼフィラを使って探らせてやる。俺様の計画の邪魔をさせはしねぇ。鬱陶しい評議会の連中を一網打尽にしてやるぜ……キヒヒ……」


 ライアットは周囲に積まれた大量の魔石の山を見下ろした。


 それらは彼ののために各地から集められた、途方もない量の魔力源だった。

 しかし彼はまだ満足していない。


「まだ足りねぇ……」


 ライアットは確かな執着を込めて呟いた。


 彼の目的のためには、この膨大な魔石でさえもまだ不足している。


「評議会がため込んでる魔石全部手に入れられたら……最終段階だ」


 ライアットは長年の悲願が叶った後のことを想像すると狂気の笑みがこぼれる。


 彼の野望はガレンたちが想像するよりも遥かに巨大で、そして恐ろしいものだった。



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