第2話 フェリックスとの出会い
【一か月前】
血の匂いが乾いた土の地面に吸い込まれていく。
身体中のあらゆる場所が焼け付くように痛み、意識が鉛のように重い。
ゼフィラは、視界の端で煌めく魔法の
――……これまでか……
彼女は息を絞り出し、力なく地面に倒れ込んだ。
目の前で繰り広げられる血なまぐさい抗争。
ゼフィラの所属する『
これは彼女が裏社会で生きてきた中で、何度も経験してきた喧嘩とは一線を画していた。
容赦のない魔法の撃ち合いはまるで嵐のように周囲の地面を抉り、木々をなぎ倒していく。
肉体がどれだけ頑強でも魔力の奔流の前では脆い。
彼女はこの争いに巻き込まれ、深手を負ったのだ。
このまま自分はここで死んでいくのだろうか。
結局はこんな呆気ない幕切れなのか。
そう
一つの影が彼女の視界を覆った。
荒れ果てた戦場の片隅で、まるで場違いなほど穏やかな佇まいの男。
彼は身をかがめると、ゼフィラの傷だらけの身体に手を伸ばした。
ひんやりとした感覚が焼けるような痛みを和らげていく。
それは彼女が知るどんな治療魔法とも違う不思議な温かさだった。
「命に別状はありません。傷もいずれ癒えていきます」
男の落ち着いた声が耳に響いた。
ゼフィラはかすかに目を開け、男の顔を見上げた。
顔は地味で特徴も薄い。
年齢は40代であろう男。
その瞳の奥にはどこか全てを見透かすような、深い知性が宿っているように見えた。
彼こそが、恋愛・結婚相談所『エヴァー・ブロッサム』を営むフェリックス所長だった。
***
意識が回復して動けるようになるにつれて、ゼフィラは恩人であるフェリックスへの義理を感じずにはいられなかった。
彼の治療がなければ、自分はとっくに骨と化していただろう。
「おいアンタ。この恩、どうやって返せばいいんだよ?」
ゼフィラはフェリックスの住む簡素な家の一室で、彼に詰め寄った。
フェリックスはその言葉に穏やかに答えた。
「お礼はいらないですよ。私はただ、倒れている貴女を見過ごせなかっただけですから」
「そういうわけにはいかねーだろ! 『筋』ってもんがあんだよ! なにか手伝えんじゃねぇのか? 飯炊きとか薪割りとか、なんでも言ってくれよ!」
ゼフィラの懇願にも、フェリックスは首を横に振るばかりだった。
「大丈夫です。私は一人で事足りています」
だが、ゼフィラの義理堅さは半端ではなかった。
フェリックスが断れば断るほど、彼女はしつこく何とか恩を返そうと奔走した。
フェリックスが外出している間に勝手に掃除をしようと箒を振り回せば、棚の上の高価そうな壺を叩き割った。
食事を作ろうとすれば、慣れない調理器具を使いこなせず鍋を焦がし、台所を煙で充満させた。
薪割りは得意だと言い張ったが、力を入れすぎて薪台ごと粉砕してしまった。
その度フェリックスは静かにため息をついた。
「本当に、助けてやったことに後悔しかねないですね」
ある日、フェリックスが疲れた様子で帰宅した時、ゼフィラは珍しく大人しくソファに座っていた。
台所からは焦げ臭い匂いがかすかに漂っている。
その落胆とは違う、深刻そうな表情でフェリックスは短い溜め息をついて椅子に腰かけた。
「ん? どうした暗い顔して?」
ゼフィラはぶっきらぼうにフェリックスに尋ねた。
フェリックスはゆっくりと息を吐き出し、静かに口を開いた。
「言っていませんでしたが……私は、恋愛・結婚相談所『エヴァー・ブロッサム』の経営をしておりまして」
ゼフィラはそれを聞いてポカンとした。
恋愛?
結婚?
そんな軟弱なものに、この男は命を賭けているのか?
それが信じられないといった顔でゼフィラはフェリックスを見つめる。
フェリックスはそんなゼフィラの視線に構わず、話を続けた。
「最近は特に大変でして。貴女も知っているでしょうけど、王子と平民の方の結婚の件で……」
ゼフィラは「ああ、あれね」と、興味なさそうに相槌を打った。
「平民の娘が王子と結婚したことで、『自分も高貴な身分と結婚したい』という夢を抱いた者が、連日相談所に押し寄せてきています。皆、現実を見ようとせず、自身の都合ばかり主張します。私も含め他の相談員たちもほとほと困り果てていまして。理想ばかりが高く、少しでも条件が合わなければすぐに怒り出し、理不尽な要求を突きつけてくる方が増えて収拾がつかなくなっております」
フェリックスの言葉にゼフィラの顔が少しずつ変化していった。
最初は興味の欠片もなかった表情が、次第に僅かながら闘志の光を宿し始める。
ゼフィラは腕を組み、ニヤリと笑った。
「そいつらはつまり……ワガママ放題のクレーマー野郎ってことか?」
乱暴な言葉に肯定するかどうか悩んだが、フェリックスは小さく頷いた。
「よし!」
ゼフィラはソファから勢いよく立ち上がると、バン! と机を叩いた。
フェリックスが驚いてビクリと身体を硬直させる。
「アンタ、困ってるなら言ってくれよ! そういうワガママ野郎どもは、あたしに言わせりゃただの『弱い犬』だ。吠えるだけ吠えて結局は何もできねぇ連中だろ?」
金色の髪から覗く赤いメッシュが揺れる。
「よっしゃ、決めた! あたしが人肌脱いでやるよ! そのクソみたいなクレーマーども、あたしが一人残らず黙らせてやるからよ!」
ゼフィラのあまりに前のめりな宣言に、フェリックスは苦笑いを浮かべた。
「いや……しかし……」
「うるせぇな! 細かいことはいいんだよ!」
ゼフィラは聞く耳を持たなかった。
フェリックスはゼフィラの猪突猛進ぶりにやれやれといった表情を浮かべた後、ふと何かを思いついたように、ゆっくりと口を開いた。
「……そうですか。じゃあ……試しに明日、一日だけ働いてみますか? ちょうど、手に負えない客が予約を入れているので」
「余裕だろ!」
***
翌日、ゼフィラは『エヴァー・ブロッサム』でまさに「働く」ことになった。
まずは見学、とフェリックスに言われたものの彼女はじっとしているのが嫌いだった。
そして、例の「お姫様願望」の女性が訪れ、相談員の青年が必死になだめているところに遭遇する。
ゼフィラの目には、その女性がこれまでフェリックスから聞いた「ワガママ放題のクレーマー野郎」そのものに見えた。
彼女の我慢の限界はあっけなく訪れた。
「おい、いい加減にしろよ、現実見ろっての!」
ゼフィラの口から放たれたのは、誰もが息をのむような荒々しい啖呵だった。
「王子様が結婚した平民の女ってのは器量も性格もいい女だって話だろ? お前は顔も性格もブスだ! どんなに運命的に王子様に会ったとしてもあんたみたいな性悪じゃ結婚までできないっての! 身の丈考えろよ! それに化粧が顔面に合ってない! 鏡見て自分の顔に合った化粧しろ!」
「なっ……! なんなの貴女!?」
「まず自分から名乗れや! それが筋ってもんだろうが! あたしはゼフィラだ!!」
その大きな名乗りを聞いた相談者の女性は委縮し、逃げるようにして相談所を飛び出していった。
その様子を奥から出てきたフェリックスは、静かに頭を抱えていた。
彼の持つ『エヴァー・ブロッサム』の理念とはあまりにもかけ離れた対応だったからだ。
ゼフィラの言葉に他の職員たちも皆ドン引きしている。
――やはり軽率だったか……
フェリックスは「してやったぜ」という表情をしているゼフィラを見てそう考えていた。
***
翌日のこと。
ゼフィラに罵倒され、泣きながら逃げ帰ったはずの女性が恐る恐る『エヴァー・ブロッサム』の扉を開けて入ってきた。
彼女の顔にはまだ少し涙の跡が残っていたが、どこか清々しい表情をしていた。
「あ、あの……ゼフィラさんはいらっしゃいますか?」
女性は青年相談員にそう尋ねた。
青年が訝しげな顔をしていると、奥からゼフィラが出てきた。
一応、今日もフェリックスの厚意でゼフィラは見学をさせてもらえていた。
「なんだよ、また来たのか? まだ文句でもあんのか、このヤロー」
ゼフィラは仏頂面で女性を睨んだ。
一方で女性は、はにかむように微笑んだ。
「いえ……その、昨日は本当にありがとうございました」
ゼフィラは何を言っているのか話が全く解らなかった。
「ハァ? なんだそりゃ」
「ゼフィラさんに言われた通り、鏡を見て自分の顔と性格を見直してみました。そしたら、なんだか急に色々なことがスッキリしたんです。それから、化粧もやり直してみたら、なんだか新しい自分になれた気がして……」
女性はこれまでの高慢な態度が嘘のように、謙虚な態度で語り始めた。
「それで、今日、別の紹介で会った方がいたんですけど……その、初めて、ちゃんと相手の目を見て話すことができたんです。そして、私……その方ともう一度お会いすることになりました!」
女性は満面の笑みで、ゼフィラに深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます! ゼフィラさんのおかげです!」
ゼフィラは目を丸くした。
まさか自分が吐き捨てた言葉が、これほどまでに相手に響くとは。
しかもたった一日で、だ。
その様子を、再び奥から見ていたフェリックスは、小さく「フム」と頷いた。
「……これは、意外といいかもしれないですね」
フェリックスは、ゼフィラの常識外れのやり方とその驚くべき成果を目の当たりにし、確信した。
「ゼフィラ、恩返しがしたいなら暫くここで働いてみますか?」
フェリックスの提案にゼフィラは「?」と一瞬固まった。
それと同時に今までの人生のことを思い出す。
ここで自分は働いていていいのだろうか。
色々考えたが、ゼフィラの口元にどこか不敵で楽しそうな笑みが浮かんだ。
「……恩人のお願いだ。暫くは付き合ってやるよ、所長」
こうして、異世界の結婚相談所『エヴァー・ブロッサム』に規格外の女所員、ゼフィラが誕生したのである。
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