第8話 『左ニ入ル』
左入町──地図に載ってはいるが、そこに住む者の「声」は載っていない。
この場所はかつて“入り口”だったという。
川越方面から八王子に「左に入る」場所。古道、参道、隘路。
交通の要衝であると同時に、魂の行き場が彷徨う境界でもあった。
戦国時代、この地には左入城という小規模な支城が存在したという。
だが城の正式な図面も記録も少ない。
記録より、記憶に封じ込められた土地。空堀、横穴、地形的な“くぼみ”に、何かを沈めたのではないか――という噂さえある。
谷戸にある「馬場谷戸」は、伊能忠敬の地図にも残る古い馬場跡。
湿り気を帯び、風がこもりやすい、死者の息が残る場所。
稲荷坂は、かつて処刑場や信仰の場だったとも言われる。
そして、八王子城跡。
「禁足地」だった。幕末まで誰も手をつけようとしなかった。
恐れられ、黙殺され、信仰にすり替えられた地霊が、今も“地下”でうごめいている。
LOOPの建物は、そんな“封じられた地層”の上に建っている。
ある夜、私と彼は、ふと気づいた。
部屋の中に、風が通っていないのだ。
すべてが「閉じて」いた。空気、光、人の目、言葉、そして意思。
この建物はただの集合住宅ではない。
人間を観察し、選別し、吸い取る器なのだ。
壁に耳を当てると、微かに祈るような音がした。
ゴトリ。コトリ。
赤子のような小さな呻き。
「ねえ、ここって、誰の土地だったの?」
相方の問いに、私は答えられなかった。
誰の土地だったのか。誰が今、この地を支配しているのか。
過去に何が“沈められた”のか。
民俗学者・Y氏が口を濁していた言葉が脳裏をよぎる。
「八王子市のこの辺り、特に“左”のつく土地は、そもそも神道的に“斜めの死”を引き込む地形です。現代に開発されたのが不思議なくらい」
そして、不可解な事件が続いた。
・住人のひとりが「子どもの声が廊下を走ってる」と怯え、夜逃げした
・誰もいないはずの屋上から、月に向かって手を伸ばす白い影が撮影された
・スタッフの一人が突然、「俺、ここに閉じ込められてる気がする」と呟き、姿を消した
土地が、人を狂わせているのではない。
この土地に“選ばれた者”が、ここに来ているのだ。
それが、左入町の宿命。
“入ってしまったら、もう抜けられない”という名前の呪い。
LOOPとは、外からの封印であり、内からの牢獄。
つづく
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