第22話 曇り空
樫木先生とはバイト後に晩御飯を食べる様になった。食べわ終わったら、近くの駅まで送ってもらってそれで終わり。特に何もない。特に何もないことを残念に思う気持ちがあることに驚いた。
心太からメールが来て、美術展の券があるから行かないかと言われた。結局、どこにも行けなかった私は出かけることにした。
駅で待ち合わせて、歩いてすぐの美術館に向かう。曇り空でも紫外線が気になるので、日傘を差す。久しぶりに会った心太は日焼けしていた。
「どこか行ったの?」
「海」とぶっきらぼうに返される。
「そっか」
心太の交友関係はあまり知らない。高校の時の友達や、今のクラブ仲間か、バイト仲間かもしれない。
「空は…真っ白いけど」
「うん。先生のところでバイトするくらいで…外出はそんなにしてないから」
「…バイト、どう?」
「どうって…。夏休みだから、いろんなお客様来たりしてお茶出したりしてるけど、そんなに忙しくはないよ」
「ふうん」
「それに…心太が心配してたの誤解だよ」
「そんなこと」
言い争いになりそうな雰囲気だ。曇り空のせいかもしれない。急に言葉を止めた心太を見上げる。
「み…ゆ」
目の前に可愛らしい女の子が立っていた。
「お兄ちゃん、勝手に券持っていったでしょう」と駆け寄って来る。
そう言えば、心太には妹がいたと言っていたな、と思い出した。
「未祐、行かないだろう?」
「行くもん。部活の友達と行こうと思ってたの」と口を尖らせている。
「部活って、軽音部だろ? お前が絵なんか興味あるとは」
「お兄ちゃんだって、ないでしょう? 券を返して欲しくて、ここで待ってたんだから」
二人のやり取りを聞いていて、私は面倒くさい気分になった。別に私もどうしても行きたかったわけじゃない。暇つぶしに来ただけだ。
「心太、妹さんにあげて。私はいいから」と口を挟むと、妹に睨まれた。
「いいよ。後で、学生券買うから。未祐はそれで行ったらいいじゃん」と妹に言う。
「だれ?」と私の方を睨みながら聞いてくる。
「友達だよ」
「二人きりで出かける友達?」
「だから、なんだよ?」
兄妹喧嘩に巻き込まれたような気分で、私は嫌気が差してきた。
「興味ない絵をわざわざ一緒に見に行く友達?」
妹に詰め寄られている心太は少しうろたえていた。
「もう、二人で見たら?」と私は思わず言ってしまった。
兄妹というのは私にはいないから分からない。でも私がいなければ、問題ないのだろうと思って、帰ることにした。踵を返した時、手首を掴まれた。
「空」
私が振り返ると
「空?」と妹の方が聞き返した。
その時、私は心太にとって、私の存在が複雑であるように、妹にとっても同じだということを一瞬で理解した。
「この人…お兄ちゃんの…パパを…」
「違う」
心太が慌てて否定する。
「空…さん。お兄ちゃんのパパが命を奪われた原因…の人じゃない」
心太の手が離れていたのに、私は動けなかった。
「何考えてるの? お兄ちゃん、この人なんて、駄目。絶対、駄目だよ…だって」
心太はうろたえる妹の肩に手を置いて
「お母さんには言うな」と言った。
「言えるわけないじゃない」と泣き出した。
私が帰った方がいいのは分っているのに、動けなかった。
「…家で説明するから」と言う心太を振りほどいて、私に向かって言った。
「あなたがいなければ良かったのに」
本当にその通りだ、と私は思った。それなのに謝罪の言葉も出ないし、この場から逃げる足も動かなかった。
「未祐。そんなこと言うな」
心太がそう言うと、妹は絶望した顔をして、走って行ってしまった。
「ごめん」
心太に謝られても、私は首を横に振った。
「その通りだもの」
「…違う。ごめん。妹が…ごめん。あいつとは…血が繋がってなくて」
それを聞いて、私は少しだけ苦しさが減った。二人とも辛い思いをさせていると思うよりは随分良かった。
心太の母親がバツイチ子持ちの男性と一緒に暮らすようになったのは心太が小学三年生の頃だったらしい。同じ会社の人でいろいろ力になってもらったらしく、お互いシングルで子育てをしているという共通点から仲良くなったらしい。
「籍は入れてないけど、家族としてやってたんだよ。最近は年を取ってきて、籍を入れた方が病気した時なんかの都合がいいかとか話してるけど…」
幼い頃に出会った妹は兄に懐いていたのだろう。心太は何だかんだと面倒見がいいところがあるから、慕われるのも分かった。
「心太…。私のこと心配してくれてる?」
「…まあ。うん」
「大丈夫だよ。だって…」
今までだって上手くやって来たから、と思ったのに、涙が零れた。あの未祐ちゃんみたいに、誰かを大切に思ったり、思われたりしたかったと思った。
「空…。ごめん。上手く言えないけど。空はもっと我慢しなくていいから。何も…背負わなくていいから」
そう言ってくれる心太は優しい。でもそれでいいのか、私には分からない。それに背負わなくていいと言われても、私は何もないわけじゃない。
「ごめんなさい。心太のお父さんのこと」
「だから、そうじゃないって」と声を荒げた。
妹には始終優しい声だったのを思い出す。
「心太はどうして私といるの? 一緒にいて…苦しいじゃない」
「…ごめん。好きなんだ」
聞き間違えかと思った。
美術館は目の前だというのに、私達は一歩も勧めなかった。曇天でも湿度が高くてじんわりと額が汗ばんだ。
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