第12話 思い出

 彰吾君のことを思い出すと、どうしてあんなに好きだった人のことを忘れていたのか、自分を悔やんだ。母が厳格だったせいで、幼稚園の後は習い事で埋められていた。その習い事の帰りに母にお願いして、叔母さんの家に立ち寄っていた。少しでも彰吾君と遊びたかったからだ。母は私を置いて帰る。私は伯母さんと一緒に彰吾君の帰りを待ったり、一緒に買い物に出掛けて、晩御飯の準備をしたりした。と言っても、五歳だった私は邪魔にしかならなかったと思う。彰吾君が帰ってくると、私はまとわりつくように喜んで出迎え、そして遊んでもらった。

 夜ご飯を一緒に食べることもあって、父か母が迎えに来てくれた。

 色んなことを思い出す。一緒にした花火、優しい横顔、たまには泊まることもあった。布団を横に並べて、一緒に並んで寝る。

「空ちゃん」

「何?」

「僕は宇宙飛行士になりたいんだ」

「えー! すごい。火星とか木星とか行くの?」

「火星かなぁ。木星はガスの塊だって」

 私はよく分からないけど、宇宙に行きたいと思ったことがなかったから、すごいことを考えてるんだなと思った。

「空ちゃんは何かある?」

「えー? 彰吾くんのお嫁さん」

 恥ずかしげもなく私はそう言った。困ったように笑うから、きっと願いは叶わないんだなと涙が溢れた。

「空ちゃんはもっと色んな人に出会うから」と慌ててティッシュを持ってきてくれる。

「色んな人に会わなくていいもん」

 私は困らせていたと思う。気兼ねなくわがままばかり言っていた。ティッシュでそっと涙を拭き取ってくれる。

 そうして私が寝つくまで優しく頭を撫でてくれていた。


 私は彰吾君が場面緘黙症とは知らなかった。それで伯母さんが悩んでいたことも分からなかった。私にとっては王子様でしかなかった。どんな気持ちで毎日過ごしていたのだろうなんて少しも考えたことなかった。ただのわがままな女の子だった。

 そんな私のために……と思うと、私は胸が潰されそうになる。もう私の涙を拭いてくれる人が居ない。涙を流して、そのまま朝を迎えた。


 リビングに降りていくと、伯母さんがやはり少し瞼を重たそうにしていた。

「空ちゃん。おはよう。目が腫れてるけど…」

「伯母さん、ごめんなさい。私、何も…分かってなくて。彰ちゃんのことも」

「空ちゃん。私は空ちゃんが家に来てくれて、嬉しかったの。家では普通に過ごせる彰吾が見れて…。事件の後は空ちゃんに申し訳なくて…でも、側にいてくれて、良かったの。いなかったら、私…どうやって生きていけばよかったか分からなかったから」

「え? 私がいた方が良かったの?」

 そう言うと、伯母さんは頷いた。

「貴方が耳が聞こえなくなって、一人で喋っている時は彰吾がいるような気がしたの」

「いた…と思います」

 伯母さんは目に溜まった涙を拭くと朝ごはんを用意してくれた。私は夏休みになっていたから、伯母さんを見送る。

「今日、プール行くけど、晩御飯までに帰るから」

 そう言うと、伯母さんは少し微笑んでくれた。

 水に潜ったら、彰ちゃんの声が聞こえる気がしたから、私は一人でプールに行くことを決めた。


 屋内の市民プールは子供もいるけれど、みんな真剣に泳ぐ人ばかりだった。私は深く潜ってから泳ぐ。ずっと潜っていられるプールがあればいいのに、と思う。水の鈍い音の響きはあの頃に似ている。

(彰ちゃん、ごめんなさい)

 そう繰り返しながら、水の中を泳いでいく。

(本当は宇宙飛行士になりたかったのに)

 彰ちゃんの代わりに宇宙飛行士になれるわけでもない。

(私…生きてても何も…してないのに)

 揺れる自分の影を追いながら泳いだ。

(どうして助けたの?)

 クロールすると体力がすぐに尽きる。

(私、生きててよかったって…)

 その瞬間、足が吊った。

 水を飲んでしまう。

(彰ちゃん、助けて)

『彰ちゃん、助けて』

 あの時も、きっと私は叫んでしまった。

 カツカツカツ…。

 あの時、彰ちゃんは怪我をしていた。松葉杖の音だ。

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