第11話 忘れていた声
家に帰るとすぐに私は伯母さんに聞くことにした。心太に教えてもらった名前を心の中で繰り返す。玄関を開けると、伯母さんはリビングにいるようで、すぐに玄関に出てきた。
「おかえりなさい。遅くて少し心配しっちゃった」
「ただいま。伯母さん。
靴も脱がずに私は伯母さんに聞く。
「…空ちゃん、それは…誰に聞いたの」
「私を助けて亡くなったって聞いたの」
伯母さんはその場でしゃがみこんで
「ごめんなさい」と繰り返す。
「謝らないで。伯母さん、その人の事、知ってるの?」
玄関先で、私達はそのまま話をした。彰吾さんというのは伯母さんの息子さんだった。当時、中学生の息子で、少し人と上手く関われないタイプだったと言う。家が近くだった私は小さい頃、伯母さんの家に預けられたり、自分で遊びに行ったりしていて、その彰吾君とも仲良かったと言う。伯母さんは彰吾君のことで悩んではいたが、旦那さんはそれを理由に離婚届を置いて、家を出ていった。
「私…仲良かったの?」
「うん。空ちゃんとは彰吾も話せたみたいで」
「その彰吾君が私を助けようとしてくれて、亡くなったの?」
伯母さんは頷いた。
「それならどうして…謝るの?」
私はしゃがんで伯母さんの肩に視線を合わせる。
「彰吾が…公園に誘ったの。でも、彰吾だけが飲み物を取りに戻ってきた隙に…」
不意に夏のセミの音を思い出す。天気のいい夏休みの公園。私は喉が渇いたと言ったのかもしれない。
「彰吾は…必死にあなたを助けようとしたんだけど…」
真っ暗なカーテン。でも温かかった。彰吾君は私に覆いかぶさるように亡くなっていた。
『大丈夫だからね』
あの声は――彰吾君だった。
「しょう…ちゃん」
伯母さんが私を見る。
思い出した。綺麗な髪の従兄のお兄さん。いつも優しく遊んでくれて、私は大好きだった。
「空ちゃん、思い出したの?」
私は頷いた。
「彰ちゃんはブロックが得意だったでしょう? 絵も上手で」
伯母さんはその場で伏せて泣き出した。指先が器用で、模型も得意だった。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「伯母さん。違うよ。彰ちゃんは悪くないよ。助けてくれて」
伯母さんはずっとあの時、公園に行かなければ、彰吾君が家に一人で戻って来なければとずっと後悔していたという。わが子を亡くしたというのに、私のお母さんにも責められていた。
「元に戻して。あの子はもう普通じゃないの」
それで自分の子どもの遺影もしまい込んで、私を育ててたのは罪滅ぼしだったのかもしれない。
「私の方こそ…ごめんなさい」
彰ちゃんは私にとって憧れのお兄さんだった。何でもわがままを聞いてくれて、いつも…
いつも? もしかしてあの耳の聞こえなかった時の声って、と私ははっとした。
「伯母さん、私…耳の聞こえない時、一人で話してたの知ってる?」
「うん。…まるで彰吾と遊んでいるみたいで。もうずっとそうだったらいいのにって。耳が治らない方が幸せなんじゃないかって」
(やっぱり彰ちゃんだったんだ)
私は玄関で立ちあがることもできずに、忘れていた大切な人のことを思い出していた。
「伯母さん、私、彰ちゃんに生かされたんだね」
伯母さんが顔を上げる。
「だから…普通じゃないけど、頑張る」
「空ちゃん」
「そうしなきゃ…だって…私」
そう言って、伯母さんの手を握った。命をもらったのだから。
私と伯母さんは涙を流しながら、その場にしばらくいた。
伯母さんは私が事件のことを思い出さないように、彰吾君の荷物や写真まで片付けていた。手を合わせたいだろうが、遺影も全てしまっていた。
「ねぇ。伯母さん…。彰ちゃん出してあげよう。ちゃんと写真を飾って、私も手を合わせたいから」
伯母さんは何度も頷いた。タンスの引き出しの一番上に彰吾君の写真は仕舞われていた。眩しそうに少し目を細めている笑顔を見る。ずっと年上のお兄さんだと思っていたのに、私はいつしか写真の彰吾君よりも年上になっていた。
「彰ちゃん、ありがとう。助けてくれて。忘れてしまっててごめんね」
「空ちゃん…。ごめんなさいね」
伯母さんはまた謝った。
それでも二人で手を合わせることができて良かったと思った。
その日、私は夢を見た。いつかの公園だった。そこは二人でよく遊びに行っていた。
「彰ちゃん、ありがとう」
「空ちゃん…」と少し困ったような笑顔を見せる。
私はその笑顔が大好きだった。
「ごめんね。僕のせいで…」
「伯母さんも謝ってたよ。謝らないでよ。私…彰ちゃんのこと好きで、一緒に遊んでもらうのもすごく嬉しかった」
子供の頃から憧れで、私は彰ちゃんに「結婚したい」と言って困らせていたのを思い出す。
「
場面緘黙症という言葉が分からなかったが、伯母さんが言っていた人と上手くいかなかった原因のようだった。
「相手してもらったのは私の方だよ。彰ちゃん、亡くなってからも私の相手してくれて」
そう言うと、彰吾君はまた困ったように笑う。
「空ちゃん、大丈夫だからね」
まだ側にいて欲しくて、素直に頷けなかった。
「彰ちゃん…。淋しいよ。声が聴こえなくなってから、ずっと」
彰吾君を忘れていた私が言っていい言葉じゃなかった。
「声が届かなくても、側にいるから」
「ずっと?」
「ずっと」
私は小指を差し出す。いつもお別れが嫌で、帰る前に次の約束をするための指切りをして帰ったのだ。
「大丈夫」とまた彰吾君は繰り返して、そして指切りはしてくれなかった。
哀しくなって、私は声を上げて泣きたくて、声が出なくて、そして目が覚めた。涙が溢れてくる。
大切な人を私は長い間失っていた。記憶と共に。
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