影が来る
微かな揺れが地面から伝わり、やがてそれが確かなものとなって近づく。
咄嗟にエルクリッド達リスナーがカード入れに手をかけ、だが先頭に立つハシュは本の形をしたカード入れを手に持ちながらカードは抜かず、何かを察して静かに口を開く。
「静かに進むよ」
なるべく音を立てないよう忍び足でゆっくり、それでいて軽やかに素早く前へと進み、大きくなる振動と共に聴こえてくるのは轟く雄叫び。
その主の存在感が前へ進む度に強く、だが何処か違和感があるのをエルクリッド達は肌で感じ、やがて拓けた場所にたどり着くと共にその答えを目の当たりにする。
その場に君臨するは捻れた角と雄々しいたてがみを持つ雄牛の魔物ボナコンであった。だが気性の荒さと巨体から繰り出される怪力で恐れ知らずのボナコンが、周囲を警戒し何かに怯えるように身体を震わせていた。
(あんなに立派なボナコンが何を怖がってる……?)
エルクリッドが疑問に思ったその時、突然ボナコンの頭から血が吹き出し苦悶の声と共に巨体が崩れ落ちる。
だが周囲には何もなく、飛び道具のようなものが飛来した様子もなく、訳もわからないうちにボナコンの身体が引き裂かれあっと言う間に血に染まる。
「やばい奴が来てやがる……」
ぽつりとハシュが冷や汗を流しながらそう漏らし、すっと彼が指を向けてボナコンを襲う者の居場所を伝える。
ハシュの指すのはボナコンの足元、否、そこから伸びる影だ。さらによく見ると不自然に太く長い影があり、まるで魚のように見えるその影がボナコンの影をつつくと同じ場所が傷つく。
「影が魔物を襲っている……!?」
「ウラナ……!」
影が影を襲ってその主を傷つける様にシェダが驚きを隠せず、続くようにハッと気づくリオがその名を口にしハシュが頷く。
「神獣の一体
残った半身もゆっくりとウラナの影が触れると削り取るように消え、後に残ったのはボナコンの流したおびただしい血の海のみ。
「ウラナは常に影に潜み影を通して襲ってくる神獣……用意なしじゃ相手にできないな」
冷静なハシュの言葉通り、干渉できない相手に対して対応策がなければ手には負えない。神獣という強大な存在を相手にするなら尚の事、例えそれが求めている存在だとしても危険は大きすぎる。
獲物を喰らったウラナは拓けた場所にて悠々と泳ぎ回りまだエルクリッド達の存在には気づいてはいない。しかし、サレナ遺跡に向かう道に居座られては身動きが取れず、迂回するにしても気づかれてはいけない。
どうすべきか一同が考え始めた時、後ろの方から足音が聞こえるとハシュがため息をつく。
「珍しい人が来たもんすね……」
「あ゛?」
その鋭い視線と語気にエルクリッドは覚えがあった。ハシュの隣に目を向けると、そこには魔剣を携え凛とする十二星召が一人クレス・ガーネットがハシュを見下ろし、そしてエルクリッド達にも目を向けると前へと目を向けた。
「神獣ウラナか……切り伏せてやるにはちょうどいい」
「え、いやちょっと待……」
ハシュが止める間もなくふっと笑ったクレスが羽織ったマントを脱ぎ捨て駆け出し、その存在に気づくウラナが頭を向けクレスの影へと迫る。
刹那、クレスが自身のアセスでもある魔剣アンセリオンを引き抜いてウラナの影目掛け剣を振るい、それを避けるようにウラナもまた後ろへと下がった。
「避けた……って事はあの剣はウラナを?」
「はい、切ることが可能ですよ皆様」
ノヴァが口にした疑問に答えるのはエルクリッド達とは別の人物。クレスの付き人であるユーカであった。
ニコリと微笑む彼女が背負っている大荷物を下ろしてからクレスのマントを拾い、きょろきょろ辺りを見回してからハシュ達にある事を伝え始める。
「ウラナさんはお任せくださいませ。皆様はサレナ遺跡へ向かいますように……と、帝王様から伝言を預かっております」
「帝王様って……デリミトリア殿から!?」
ハシュが驚愕するデリミトリアの名前はエルクリッド達も知っている。十二星召筆頭のリスナー、その存在が自分達にサレナ遺跡へと向かえと伝えた理由は不明ではあったが、クレスがウラナを抑えているならば道は切り開けるのも確かだ。
となればやるべき事はと、ノヴァがハシュの前に立って進言する。
「行きましょうハシュさん。サレナ遺跡に何かあるのかもしれません」
「その通りだな……ユーカさん、クレスさんによろしく頼む。皆、こっちだ」
ユーカに頭を下げたハシュが走り、その後にエルクリッド達も続いていく。
クレスが剣を閃かせ地面を切り裂きながらウラナを後退させていくと、やがてウラナの影に日蝕の金輪の如き模様がいくつも浮かび、ぬっと影よりその姿が現れる。
紡錘形の体躯は闇すらも飲み込むような漆黒で鋭い牙が何重にも並ぶ扁平な大口は暗黒そのもの。全身に走る帯の様な模様は静かに明滅し、いくつものヒレを動かしながら目のような金輪模様をクレスに向けていた。
そんなクレスは姿を見せた神獣を前にしても全く怯む事はなく、だが隣に降り立つ別の気配に舌打ちし赤い目をその方へと向けた。
「妖魔風情が何しに来た。殺すぞ」
クレスの攻撃的な言葉にクスクス笑ってみせるは妖艶なる十二星召リリル・エリルであった。静かに左腕の篭手に備わるカード入れに手をかけ、クレスが魔剣アンセリオンの切っ先を向けても動じず、逆に切っ先に舌を這わせて応えてみせた。
「あいも変わらず切るか殺すしか能がない
指摘に対し舌打ちしながらクレスが剣を引くとリリルもまたウラナに目を向け、カードに魔力を込めながら笑みを浮かべた。
「弱ければその首すぐにはね飛ばす」
「誰にものを言うておるのだ? お前こそ、妾の邪魔をするならば容赦せぬぞ?」
麗しき二人の星召が臨戦態勢となり、神獣ウラナもまた墨のような液体を滴らせながら静かに頭を上げて闇を広げ敵を捉えていた。
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