第3話 腹が立つ!
不承不承ながら、琴音は矢内原家へと連行された。
矢内原家の屋敷は遥かに豪華なものだった。名建築家ジョサイア・コンドルが手掛けたという洋館は、ジャコビアン様式でまるで西洋そのものを持ってきたかのように豪奢だ。その後ろには巨大な和館がついていて、こちらも技術の粋を尽くしたもので信じられないほどの大金がかかっている。
矢内原財閥の力の大きさを感じさせる。創始者の矢内原総一朗は、貧しい神社の神職に生まれた。だが、彼は渋沢栄一から支援を受け、セメント業で身を立てることに成功。やがて金融、造船、海運、鉱山、鉄道……とあらゆる分野に手を広げ、国内有数の企業集団へと成長したのだ。
もっとも、三井や住友のような歴史はないし、爵位も持っていない。強引な手段で財を成したこともあり、一部では成り上がり者とも呼ばれている。
「似合っているじゃないか」
鷹秋の言葉に、琴音は顔を赤らめる。
純白の花嫁衣装を琴音は着させられていた。いわゆる白無垢というものだ。
「貴方が着せたんでしょう? 強引ね」
「確実に君を僕のものにする必要があるからね」
美形の男からそんな言葉が紡がれると、心臓に悪い。たとえ、琴音のことを愛しているわけではないとわかっていても。
確認のため、琴音は問う。
「これは契約結婚、ということよね?」
「そのとおり。僕は君を女性として愛するつもりはない。だが、一人の女性を確実に手元に置いておくのは、結婚という手段よりも穏当なものがなくてね」
「べつに使用人として雇えば良かったでしょ?」
「それを肯んずる君ではないだろう。それに、使用人では未来永劫、僕の手元に置いておけないよ」
未来永劫、か。たしかに結婚したのであれば、離縁されないかぎり、この男のそばにいることになる。
その代わりに琴音は実家にいるよりもマシな立場が手に入る。
「わたしは自由に振る舞って良いわけね?」
「もちろん、女学校に行くのも自由だし、普段は何をしていても文句を言うつもりはないさ。ただ、一つだけ協力してくれるのなら」
つまるところ、この鷹秋という男、琴音の超常の力を利用したいらしい。
複雑な気分に琴音はなる。この力のせいで琴音はずいぶんと損をした。もし、見えないものが見えるなどという特性がなければ、琴音はもう少し生きやすかったかもしれない。
だが、目の前の男は、その琴音の超常の力を必要としているという。
そして、妻という立場を提供する、と。
琴音の答えは決まっていた。
「断るわ」
鷹秋は目を丸くする。断られるとは思っていなかった、とでも言うように。
「なぜ?」
「気に入らないからよ。自分の都合ばかり押し付けて、利益を示せばわたしを言いなりにできると思っている。貴方はお金持ちの次男坊で、何でも自由にできるんでしょう。けれど、誰も彼もがそうだと思わないことよ」
琴音が激して言うが、鷹秋は呆気にとられた様子でくすくすと笑い出した。
そのあどけない少年のような笑い方に、琴音は一瞬見とれた。
それから、はっとする。無駄に整った顔立ちだから、ついつい引き込まれてしまう。
「君は変わっているね。強情だと言われない?」
「あいにく、強情だとかお転婆だとか、わがままだとか、そういう言葉は聞き飽きているの」
琴音の返事に鷹秋は笑い転げた。
(腹が立つ……)
鷹秋がそっと琴音の髪に手を触れた。
琴音はどきりとして、彼を見上げる。
鷹秋は優しい笑みを浮かべた。
「だけど、僕は君のそういうところが嫌いじゃない」
直球でそう言われ、琴音は戸惑ってしまう。この男はなにか思惑があって、琴音の力を利用しようとしている。
それだけのはずだ。
必要以上の感情を持つのは、危険だと琴音は自分に言い聞かせる。
けれど、自分の頬が熱くなるのを琴音は感じてしまった。
誰も彼もが琴音のことを疎んじた。だが、この男は違うのだ。
「ま、今日はただの衣装合わせだ。正式な結婚式はまだ先だし、それまでに考えておいてくれ」
「考える材料が足りないわ。結局のところ、貴方はわたしに何を求めているの?」
鷹秋は背中を向けて立ち去りかけていた。
だが、鷹秋はこちらを振り返る。
「矢内原は何の家か知っている?」
「あくどい方法で、お金を儲けた家でしょ」
「君は減らず口ばかりだね。矢内原は神職の家系だ。知っての通り、明治政府はここ数年、神社合祀政策を推し進めている」
大日本帝国内務省が直々に行う政策。それが神社合祀だ。
全国に何十万と存在する神社を整理し、統合する。その結果として、各地の神社を十分な規模の神社にすることで神社の権威を高め、そして国有地を増やす。
だが、数百年、いや、数千年にわたって崇敬されてきた神々を廃立し、急激に統合する政策は激しい反対を引き起こした。博物学者・南方熊楠らをはじめ、著名人が厳しく批判している。
「神は人の敬に依り威を増し、人は神の徳により運を添う。これが神々と人間の基本的な関係だった。だが、明治維新によって神々の一部が失われたことにより、人心は動揺し、そして故地を逐われた神々は邪神になっている」
琴音はピンと来た。
「もしかして、わたしが見ているのは……」
「そう。君が見ているのは、神様なんだよ」
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