第31話 さよなら本当の恋

栞からメールが入っていた。私は眠っている彼に気が付かないように確認する。


”悠ちゃん、今週行ってもいい?元気になったかな?”


返信を入れようとすると、私の横で彼が目を覚ました。


「あ~寝てた・・・。悠さん、起きてたの?」


私は首を横に振って、何事もないように雑にスマホをカバンに入れた。彼は寝ぼけたまま、私の首にキスをしてまた抱き寄せた。私は彼の胸の中に包まれる。


男の人の一人暮らしの部屋に入ったのは初めて。

清潔感がある部屋。だけど、雑なところも見える。朝、急いでいたのかな?飲み終わったコーヒーカップが一つ汚れたまま、テーブルの上に置かれている。クリーニングから帰ってきたスーツやYシャツが、ソファーの上に置いてある。忙しい彼だから、クローゼットに入れるのも面倒だったのかもしれない。


それに、今日のこの状況を、彼自身が想像していなかったのだと思う。私だってそうだったから、まったく準備不足で、恥ずかしさもあったけど、気がつくと、そんな事も忘れて身を委ねていた。

彼はきっと恋愛上級者で女性の扱いにも余裕がある。兎に角、キスが上手い。唇へのキス、首筋、指先、足先、太もも、思い出すのも赤面してしまう場所にまでも彼の舌先が音をたてながら這うから、私の矯声が部屋に響いた。

だけど、栞たの時のようなドキドキや高揚感とは全く違うものだった。早川の満ちるような愛撫は、長く、優しく、艶やかで濃厚だったけど、本当に欲しい人ではないからか?冷静さは常にあった。


私は彼の腕からそっと身を起こし、


「私、始発で帰ります」


早川は、残念そうな表情を浮かべ、


「そうなの?」


さっきまで絡み合っていたのに、あっさりし過ぎかな?だけど、きりがなくベタベタする程の情熱は、栞の所に置いてきたから、


「仕事があるから。」


目を合わさず、そう言うと、


「じゃ送るよ」


早川は私の手を握る。


「大丈夫。今日は遠くまで運転してくれて疲れたでしょ?」


気を使ったんじゃない。何となく、早く一人になりたくなった。


「じゃ、せめてタクシーで」


そう言って彼はタクシーを呼んでくれた。私は身支度をして部屋を出る。


「本当にここでいいんで。」


私は下まで送ろうとする早川を止めて、ドアを開ける。彼は私の腕を引き寄せて、抱きしめてキスをした。それはそれは、大人のキスで、包容力と彼の男らしい香に包まれる。


「ごめんね。どうしてももう一回キスしたかった。」


彼は少年のような顔で、照れながら笑う。それを見ると、私も頬が熱くなって照れて、彼の頬にお返しのキスをした。


「じゃ・・・、また。」


そう言って、ドアを閉めた。


私はタクシーに乗って自分の部屋へ向かう。一階エレベーター横には、栞が待っていた。

そう言えば返信していなかった。確実に怒っているような表情。私は彼に近寄って、


「どうしたの?」


私は子供が悪いことをした時のように、目が合わせられない。栞はこちらを睨むように見て、


「どこ行ってたの?」


黙り込む私に栞はため息をつく。そしてくるりと背を向けて、何も言わずに帰っていく。


「まって・・・。」


栞は立ち止まるが、こちらを向かない。


「まってよ。何しに来たの?急に?」


栞は振り返り冷たい目でこちらを見て、


「恋人に連絡が取れないから心配になってきたんだよ。おかしいかな?」


栞の真っすぐな目が見れない。


「そしたら彼女は、なぜだか違う男の匂いをさせて帰ってきた。」


気が付かれている。何も言えない。


「だから失望して、帰ってるんだよ。俺は彼女の浮気を許せるほど心は広くないから。」


浮気が許せるほど心が広くない・・・。それはこちらも同じ。どうしてそんな事を私に言えるの?

あなただって、私が知らないところで何をしていたの?私に隠している事あるでしょ?彼女は何者?

ずっとずっと、私はそんな気持ちでいたのよ。モヤモヤして、苦しくて、情けなくて、苦しかった。

栞の今にも泣き出しそうな目を見るのも辛い。


栞に言いたいことが多くて、言葉にならない。いや、言いたくないのかもしれない。彼は私の言葉をしばらく待っていたけど、何も言えなかった。私は全部を飲み込んで、彼に背を向けた。


もういいや。


そんな諦めのような気持だった。

私も栞に背を向けた。エレベーターに乗り、足早に部屋へ向かった。ドアを閉めて鍵をかけた。栞は追ってくることは無かった。よかった。私ももう、追われたくはなかった。追われたところで、何も言うことがなかったから。


終わった。


その瞬間、勝手ながら、崩れるように膝から座り込み泣いた。


好きだった。

本当に好きだった。

だけど栞と私は住む世界が違う。

別れた方がいい。

それが今日、分かったから。


だけど心は裏腹で、彼のことばかり考えてしまう。

傷つけてしまっただろうか?

泣かせてしまっただろうか?

だけどそれは、姉のような感情だった。


朝が来て、鏡にうつる腫れた瞼を見た。


もういい。もういいんだ。私たちはこれ以上、一緒に居るべきではなかったんだ。


自分自身に言い聞かせた。




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