誰何
一畳一間
スイカ
読んだ者が皆パタリと倒れてしまうような、ウントすごい劇毒を盛った探偵小説を書いてみたい。
読者を一撃で仕留めるには大層立派なカラクリが要るぞ。──アァくそ。紙媒体でなら
それか
ここは一つコンピュータウイルスが肌を脱いで、せめてエヘン虫くらいの働きをしてくれてもイイだろうに。
モニターの前、青白い光を浴びながらエヘンと咳をした。これ以上は思考を遊ばせても詮無いこと。どうせなら、キチンと脳を動かしてシチュエーションに思いを馳せるべきだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
たとえば、西陽も
そこへ「誰か!?」と問う声が降る。
背中でそれを聞いた中年はやおら立ち上がり、振り向く。
声の主はなかなか利発そうな青年である。
不法侵入者を
今にも掴みかからんばかりの間合いで、中年は口を開く。
「俺は盗人だが、そんな口を利くお前こそ誰か?」
自信たっぷりに居直る中年。夕まぐれに溶けるような装束は、ナルホド確かに悪目立ちもしない。
腰には脱出に使うであろうロープがグルグルと蛇のように巻きついている。ただし盗賊の七ツ道具はそれぎりで、他は品切れのようだ。マァ、今日日いかにもな泥棒髭の唐草風呂敷なぞいないだろうからナ。
そんな手錠のかかってないだけの縄付きを前に、尚も青年は言い放つ。
「俺はここの住人だ。今し方帰ったのだ」
語気を強めた青年に対し、盗人は声を上げて笑った。
「アハ──アハアハハァ──ッ。嘘をつけ。この部屋の主人は女だぞ」
今度は、青年が言葉に詰まる番だった。
ややあって、夕陽よりも顔を赤くして声を張り上げる。
「何を笑っていやがる。俺は恋人なんだ」
「ウッ──。ハッハッハッハッ。笑い死にさせようってのか? こちとら下調べはしてあんだ。ここの女にはそんなのいない。さてはお前は
青年──偏執狂は打って変わって青ざめた。盗人の言うことが真実だったからだ。
偏執狂は女に
そして、この日こそと遂に留守の部屋に押し入ったのだ。
偏執狂は目の前の盗人に、この計画の全てを見透かされた気がした。
脳内の思考に目を回される心地で、目があちらへこちらへと泳いでいる。
「ウウ、それはお互い様だろ。彼女が来る前にズラからないといけない」
途端にキョロキョロと辺りを気にしだす偏執狂。仄昏い室内、足元も覚束ないのが彼を不安にさせたのだろう。
だが、盗人は泰然として動かない。
「そんなのは知ってるよ。問題はコイツが誰なのか、わからないんだ」
蹴飛ばされ、床に転がる何かがぐるりとこちらを向いた。
頰のこけた老人の顔だった。蹴られたというのに驚愕の表情で固められたまま、微動だにしない。
その眼はとっくに光を喪い、乾き切っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ウンウン、いいぞ。なかなかそれらしいじゃないか。実は家人と思われた青年が、第二の侵入者だった。
……ハテ? しかしこれじゃあ、盗人よりも偏執狂よりも、老人の死体と居た彼女が一番恐ろしい気もしてくるぞ?
普通は、こんな有様の自室に帰ってくる女が心配になるところだが、ウゥム。犯罪者二人の方が心配になってくる。
下手をすると、女の方が重い十字架を背負っていそうでさえある。
…………ン、これはマァ、没かな。
右上のバッテン印をクリック。それだけで書き始めていた物語は消え失せるが、いかんせん風情がない。気が滅入ると、原稿用紙をグシャグシャにするような憂さ晴らしが欲しくなる。
代わりに
さて、叙述──。意味合いを変えてみるのは如何だろうか。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
たとえば、話しかけてくる怪談の話。
怪談の内容はこうだ。『その橋を通ると、途中で誰だと
女が一人、夜道を歩いていた。
ちょうどその橋に差し掛かったが、どうにも空恐ろしい。信心深いわけでもないんで「アァ天神様どうにか無事で済ませて下さいナ」なんて頼るワケにもいかず、頭を抱える。
こうしている間にもズンズンと橋は迫ってくる。足取りは重いが、進まなければ帰れない。
──そうだ、せめて声を聞かないよう、大きな声を上げて渡ってしまおう。
「アーァ、今日は何もなく明日も何もないナァ! ウム、実に平坦平穏であるナァ!」
売り子もかくやと、枯れんばかりに声を絞る。
明るいながらも端々に震えが残る奇妙な調子だったが、ついに橋へと足を踏み入れる。
一歩踏ん込んだところで、サァサァと流れる水音が耳朶に触れた。
サラサラと柳が身を揺する音。遠くで響くオオォ──という風の遠吠え。不思議とそんな音は耳に入ってきてしまうもので、遂には──
「誰か──」
聞いてしまった。
アァその声のナント恨めしそうなこと!
どうか
チットモ関係のない妾をつけ狙うなんて、お門違いもイイところだわ。
必死に脳内で反論しながら、足は前に及び掛かるように前のめりに動かす。けれども腰を抜かしそうな事柄があったせいか、思ったように進まない。
嫌だ嫌だ。幾ら
「誰か──。誰か──?」
びくりと縮こまった体を跳ねさせるが、ほぼ同時に安堵の欠片が灯った。
──声が少し遠くなっている。
気のせいだった? 枯れ尾花を確かめようと、恐怖を堪えて振り返る。
「誰か──! 誰かァ──! 助けてくれ!」
見てしまった。
欄干に縋り付く二本の腕。
何のことはない、普通の光景。それは必死に泣き喚く男のものだった。そう、それは男のものだった。
普通じゃないのは、その
男の後ろにしがみつく、幾つもの手。グイグイと後ろ──川に落とそうと引き込んでいる。
アァ、なんだ。呼ばれてたのは妾じゃないワ。
女は鼻唄混じりに、足取り軽く去っていく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
うぅん、これはどうなんだ。
叙述とは少し違うような気もする。
待てよ。そもそもトリックだと云うのに、探偵が出やしないぞ。人殺しもありゃしない。
これでは探偵小説と云うより、怪奇小説めいている。ゴシックホラーのその成り立ちを鑑みると、強ち遠からずってモンだが……。
叙述、と銘打っておいて探偵も推理もありゃしないという事実。これこそ、ある種の叙述トリックな気もしてきた。トリックとついてるだけで、ミステリだとは一言も云ってない。
その証拠に、ホラ。カテゴリタグの中にミステリの文言はない。それはモウ読者のせいなのだ。
期待させたようで申し訳ないって気持ちは、砂粒くらいはある。
けれど取っ掛かりが少ない。ネタとしてずっと"誰"という言葉に終始している。
アッ、これはイイかもしれない。死んだ人間も、殺した人間も、探る人間も、その一切合切が誰かわからないミステリなんてどうだろう?
タイトルは、ウン『誰の顔』ってところだナ。
"誰か"わからない老人。
"誰か"と助けを求む男。
──誰か。誰か。誰か。
見切り発車の終点を決めてくれ。
誰何 一畳一間 @itijo_kazuma
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