第5話 精霊に愛されし大魔術師
修行30日目。
わたしは100日間の断食瞑想を完全に舐めていた。
力の抜けた膝を動かして立ち上がる。目の前には焼け落ちた雑木林のいつもの光景が広がっている。ふわふわと漂う精霊さんたちを視界に収めながら、わたしは魔術ワンドを握った。
(……精霊さん、力を貸してください)
この修行での目標は、ゲームでヒロインがやってみせた大魔術の発動だ。いまのわたしでは、精霊に複雑な指示を出すのは難しく、単純な魔術を行使することしかできない。
空を仰いでワンドを掲げる。
しかし、
「……」
なにも反応はない。
目に映る世界に一切の変化はなく、ただ虚しい時間が流れる。がっくりと肩を落としたわたしは、また地面にすわり瞑想をはじめた。
この修行のなにより辛いことは、成果が実感できないこと。もしかしたら、こんな修行に意味なんてないのかもと不安になる。
だけど諦めるわけにはいかない。
もしこの修行に失敗すれば、あの“悪夢の結末”が現実になる。
ここが踏ん張りどころだ。
大丈夫、不思議と生命維持は出来ているので、自然魔力から必要最低限のエネルギーを得ているのだろう。つまり、自然界と精神を一体化する修行は始まっているのだ。
きっと、うまくいく。
修行42日目。
修行をはじめて、ついに変化が起きた!
といっても、まだ魔術が成功したわけじゃない。わたしを取り囲む精霊の数が明らかに増え、ひとつが指先でぽんと弾けたように光った。
白い雲が風でゆったりと流れる空に、ワンドを向ける。魔術は不発におわる。
「けど、あとちょっとで、なにかが掴めそうですわ。もう少し、精霊さんたちに伝わりやすい指示を考えますね?」
近くにいた淡い光に指先で触れながらそうなげかける。精霊さんはぴくりと震えるだけで、なにも答えない。
最近は独り言が多くなっている気がする。ずっと無言でいるとさみしくなるので、無意識にやっているのだろう。
数日が経過し、日を追うごとに精霊の数が増えていく。光で埋め尽くされたその光景は幻想的だった。精霊もわたしに力を貸してくれようとしているんだ。
それから数週間が過ぎた。
わたしは怒りのあまり、ワンドを地面に投げ捨てて叫んだ。
「なんで出来ないんですの! 見てないで手伝ってくださいまし!」
結局、精霊が増えただけで1日目からなにも変わってなかった。魔術を発動させる手応えはないままだ。癇癪を起こして精霊に怒鳴るが、彼らはうんともすんとも言わない。
「そうやってわたしが苦しむのを楽しんでみているだけでしょ!」
気がつけば、前世の言葉遣いで怒りをぶちまけていた。感情のコントロールが追いつかず、気持ちを吐き出すと、どっと疲れが押し寄せてくる。
膝を抱えて地面にうずくまっていると無力感で胸が痛くなる。
もうこのまま諦めてしまいたい。
お腹は空くし、水分を摂取していないせいで喉が乾燥してカラカラと痛い。
屋敷のベッドで気のすむままに眠れたら、幸せだろう。どうせこんな修行に意味はない。だったら楽な道を選んでいいじゃないか。凌辱エンドだって、本当に起きるかわからないんだし……
「努力だってきっと無駄だ」
ふと、地面に転がって土で汚れた魔術ワンドが目に入った。
あれは、魔術を練習したいといったわたしに、ギヨームお父様とソフィーお母様がプレゼントしてくれたものだ。魔術なんて危ないからやめようと言っていたくせに、おねだりをすればわたしのために用意してくれた。
あの時の二人の笑顔が思い浮かんだ。
「……」
わたしはそのワンドを拾い、精霊さんたちに頭をさげた。
「ヒドイこと言ってごめんなさい。精霊さんたちは悪くないのに。わたしもう少し頑張ってみるから……最後までやりとげるから、見ていてくれると嬉しいです」
ここで諦めるわけにはいかない。
呪われた運命を変えるために、わたしはこの修行をやり遂げるのだ。
瞑想と大魔術の行使を繰り返す。
進歩はまだない。
さらに何日もひたすらにワンドをふりまわして発動を試みる。微かな手応えを感じた。魔術を発動させようとすると、精霊の光が激しく点滅するようになった。
そして、修行開始90日目のことだ。
この数日、雨が降り続いている。
梅雨の季節に入ったのだろう。
冷たい雨が体の熱を奪っていく。
「うぅ、ぐす」
膝を抱えたまま座っていると、ぽろぽろと涙が零れる。
修行が終わる予定日まで、あと10日しかない。
もしこのままなんの成果も得られないのなら、わたしはいつまで修行をつづければいいのだろう。
心が苦しくなると自然とネガティブなことを考えちゃう。
なるべく前世のことは思い出さないようにしていた。
父さんやお母さんと妹はわたしがいなくても元気にしてるかな?
やっぱり死んじゃったのだろうか……わたし。
そのへんは全然記憶にない。もしかすると、ぽっくり逝ったのかもしれない。
皆のことが心配だ。
特にお父さんは女だらけの家庭で味方はわたしだけだった。
「夏祭りにお父さんが連れて行ってくれた、花火大会のスターマイン……綺麗だったなぁ」
なんでもなかったあの日常がいまはとてもかけがえのない大切なものに思えた。
「ぐすん、ぐすん、うぇぇん、皆に会いたいよぉ。おとーさん、おかーさん!!!」
喉が潰れるまでわたしは泣いた。
嗚咽をこぼして泣き続けた。
気がつけば涙は枯れていた。
(ガ……あ……だよ……レ)
「……だぁれぇ……です……のぉ」
その時だ。
どこからともなく声がした。
返事をすると、喉に焼けつくような痛みが走った。
人恋しさに幻聴が聞こえたのかと思ったけど違う。
これは……精霊の声だ。
変化はそれだけじゃなかった。
五感がゆっくりと、だが確実に鋭くなっていくのを感じ始めた。
100日目。
雨が降りしきる修行最終日。
(ガンバレ……今日で……だよ)
(あとちょっと……)
希薄だった精霊達の声がとぎれとぎれだが、音として鮮明に聞き取れる。
冬はとうに終わりを告げて新たな命が生まれる春の季節。
100日の修行の終わりを告げる正午の鐘が鳴った。
それを聞いてわたしは瞼を閉じる。
不思議な感覚だ。
目を瞑っているのに周囲の気配が鮮明に感じ取れる。
ざあざあと降りしきる雨音の中で、雨を逃れた昆虫が葉の上にとまる音。
枯れ葉が水たまりに落ちる音。
木々たちのざわめき。
世界とわたしに境界はなく、自然と一体になったような万能感が胸を満たす。
限界まで集中力を研ぎ澄ましたような不思議な感覚。この集中力があれば、自然魔力を緻密に操り、複雑な指示を精霊達にお願いすることができそうだった。
そんなことを考えていると、三人の近づいてくる気配を察知した。
◇
雨の降りしきる昼下がり。
ギヨームとソフィーは、ウィンに続いて焼失した雑木林の跡地に向かっていた。
そして見つける愛娘の後ろ姿。
ヴィオレッドは瞑想に耽っていた。雨でびちゃびちゃと跳ねかえる泥をものともせずに座禅を組んでいる。
明鏡止水の境地にたどり着いた我が子に二人は目を見張った。
(あれは……本当に俺のヴィオレッドちゃんなのか?)
(こんなになるまでずっと訓練をつづけていたの!?)
「お父様とお母様。それにウィン先生ですわね」
ヴィオレッドがそうつぶやき、3人はぎょっと肩をびくつかせる。
「ど、どうして私達だと分かったのですか?」
ヴィオレッドはこちらに背を向けたままだ。疑問に感じたウィンがそう質問すると……
「屋敷からやってくるのが気配でわかりましたわ」
「……気配」
そんなことがありえるのだろうか。
屋敷からここまで数百メートルは離れているというのに。
「ヴィオレッド。修行の期間が過ぎました」
「……そうですわね」
ウィンの報告にヴィオレッドは緩慢な動作で立ち上がり、よろめきながら、ゆっくりと振り返った。
「「「っ!」」」
三人は息を飲む。
彼女のそのあまりの美しさに。
太っていた頃のわんぱくな少女の面影はそこにはない。
脂肪が減ってぱっちり二重になった瞼の奥にはピンクブロンドの瞳がくっきりと映える。
痩せて浮き彫りになった頬を泥の雫が滑り顎先で滴り落ちた。
桃色の髪は泥に塗れていたが、それでも彼女の美貌は微塵も揺るがない。
「「「……」」」
言葉を失う彼らを構うことなく、天女の如き乙女がその手にワンドを握った。
「ウィン先生……最後に修行の成果をみていただきたいですわ」
ウィンはゆっくりとうなずいた。
「……わかりました」
「では、いきますわ」
ヴィオレッドがワンドを空に掲げる。
そして、世界が変貌した。
ぼわっと肌をなでる熱風がウィン達を襲う。
息を凍らせる冷気が周囲を席巻する。
瞼を開くのすら躊躇する暴風が吹き荒れる。
視界を白く染める雷光が地面を焦がす。
炎・水・風・雷、四つの属性を掛け合わせた大魔術の前兆。
桃色の髪をなびかせて、彼女は最強魔術の名を唱えた。
≪
複合的に混ざり合った魔術は、上空へ舞い上がり、一つの光へと集約される。
煌めくその
それは膨張し、輝かしい閃光となって魔力が天を穿つ。
轟音を奏でる破壊の奔流が、曇天の空を蹴散らした。
爆風に目を細めたギヨームが一瞬顔を背ける。
再び瞼を開いた時、冷たい雨は消え、空には雲一つない青が広がっていた。
ヴィオレッドはぐっと拳を握りしめて、子供っぽく笑った。
「これでどんな敵が来てもぶっとばしてあげますわ!」
ニコっと白い歯を覗かせるヴィオレッドを見つめながら、ギヨームは興奮で暴れ回る己の心臓を押さえつけるように胸に手を置いた。
(……どんな敵もか。ヴィオレッドちゃん、君はハイルベルン帝国に屈するなと俺に言ってるんだね?)
今の情勢でヴェルサイム王国がハイルベルン帝国に歯向かうのは無謀な行為だ。
家族を守るために、貴族のプライドすら捨てたギヨーム。
しかし、それとは対照的に、領民を守るためにつらい修行を乗り越えて、超常の力を手に入れた幼い娘。
ギヨームの心に熱い炎が灯る。
(娘にここまでやられてしまったら、俺も引き下がれないさ)
妻、ソフィーと顔合わせて二人は深く頷きあった。
こうして、ロシュフォール家はハイルベルン帝国とそれに与する王国貴族と敵対する道を選んだ。
翌日、ヘルマン伯爵の訪問が、ロシュフォール家の新たな戦いの幕開けを告げた。
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