14 斜め45度の笑顔

 熱が集まってきている。異能を使えている。そんな確信と共に瞳を開くと、こちらへ向かって中途半端に手を伸ばしている汐梨ちゃんの姿が見えた。薔薇色に光るその瞳は今にも泣いてしまいそうな風に潤んでいる。


 よかった、やっと、やっと——。


「見つけた、汐梨ちゃん」


 その言葉を呟くと同時に、薔薇色の光は消える。


「十川汐梨……!」


 宇治先輩の反応のタイミングからして、私の言葉でちょうど異能が切れたのかもしれない。汐梨ちゃんに駆け寄った宇治先輩はひたすらに「大丈夫か!?」を連呼している。いつの間にか目隠しをつけた布目先生はほっと息を吐いていた。


 ……本当に見つけられたんだ。


 そう思った途端、膝からがくりと力が抜ける。右手を握られたままだった綾世先輩に慌てて支えられ、危ないから、と持っていたカッターナイフを奪われた。


 穏やかに笑っている。だけど、その表情はほんの少し角度が違う。目尻? 口角? 傾げ方? どれかは分からないけど、さっきまでの笑顔より無機質だ。気のせい……じゃない?


「大丈夫、陽翠?」


 たとえ気のせいじゃなくとも、誰だって闇の一つや二つは抱えているはず。ましてや黒の異能者となれば……何十個あるかな。ことあるごとに触れられたくはないはず。私だったら嫌だ。だから、今はとりあえず、その心配してくれている言葉に笑顔を返す。


「……すみません、安心したら一気に気が抜けちゃったみたいで」


 笑顔は笑顔でも、苦い笑顔ではあるけど。


 何かを話している汐梨ちゃんたちを横目に、綾世先輩に支えてもらいつつ、なんとか自分の席に座った。お手数おかけします……。


 突然、先輩から右手を差し出される。これは……何の手ですか? ……あ、もしかして握手とか? 数十秒迷った末、そっと右手を差し出してみる。


「……逆だね」

「え……、ぁ、はい」


 逆の手——左手にはさっき傷をつけて血を流した跡がある。……なるほど、そういうこと。別のことに意識を取られてすっかり忘れてしまっていた……。ということは私、かなりの勘違いしてたよね? 頬に熱が集まってくる。すみません、本当にすみません……。腿に置いた両手へと視線が移動していく。


「左腕、見せて?」


 綾世先輩に言われた通り、おずおずと手を差し出す。すると、生暖かい3つの視線と「スイちゃん可愛い」という言葉が聞こえてきた。……ばっちり目撃されてるし。話は終わったのかな。


 ティッシュで左腕が拭われた次の瞬間、綾世先輩以外の息を呑む気配がした。


「傷が……」


 そう呟いたのは宇治先輩。そういえば私の異能の詳細は結局誰にも話したことがなかったっけ。さっき傷つけたばかりの腕は痛くなければ、見るのも躊躇われるような切り傷はない。いつもの通り、綺麗さっぱり治っている。……これ、気味が悪いですよね。


 誰も何も発さない空気が気まずくて、またもや苦い笑顔で口を開いた。


「私の異能の副作用の一部……と言えば分かりますかね?」


 少し前に習ったばかりの言葉を使ってみた。万能な力がないように、異能にも副作用がある。私の場合、それが痛みと身体的な傷っていうだけの話だ。厄介なのはその痛みをしっかりと覚えているということ。でも、もし痛みの記憶までなくなるんだったら、私の異能は万能と呼ばれるものだったかもしれない。


 宇治先輩は、はっと目を見開いた後、メガネをくいっと上げて言う。


「……そう、か。すまなかった。……それと、詳しく知らなかったとは言え、軽率に君の異能を使えば解決すると考えてしまって、すまなかった」


 え、あの……そこまで謝らなくて大丈夫ですよ? 今さっきのことはともかく、汐梨ちゃんを見つけるのに異能を使ったのは、他でもない私の意志ですから。だから、頭を上げてください!


 言いたいことはぐるぐると頭の中を泳いでいるのに、一切口から出てこない。誰かから謝られるのなんていつぶり? そもそも今までそんなことあったっけ? こういう時ってどうするのが正解?


 ……ちょ、ちょっと綾世先輩、どうすればいいと思いますか?


 不躾ながらも混乱したまま先輩に手招きをしたら、「どうしたの?」と耳を寄せてくれた。


「あの、45度ぴったりに頭を下げたまま待機された時って、……どうするのが正解ですか?」


 吹き出すような声が3つ聞こえる。もちろん1つは綾世先輩のものだ。小声で言ったつもりだったけど、全然そんなことはなかったみたい。


 目の前の先輩は一瞬吹き出した後、すぐにいつものような笑顔に切り替えた。……私、これでもかなり真面目に悩んでいるんですけど。視線を送ったもう2人は、苦しそうに肩を揺らすだけ。布目先生、汐梨ちゃん、……笑いたければ笑ってください。


 ひとまず今は宇治先輩だ。そんな気持ちを込めて綾世先輩を見つめる。頼る気しかない。


「うーん、そうだね……。陽翠の思うようにやっていいと思うよ?」

「……私の思うように、ですか」


 それならば、1つだけ思いついたことがある。たぶん宇治先輩は、私がいいよって言っても気が済まないタイプだと思う。いい意味でも、ある意味悪いと捉えられる意味でも、宇治先輩は真面目だ。それは今日だけで十分すぎるほどに分かった。そうじゃなかったら、もうとっくに頭を上げているはず。


 でも、な……。これは少し、いやかなり繊細な部分へと突っ込むような話になるかもしれない。本当にいい、のかな。ちらりと視線を向けた先の綾世先輩は、私の心配を見透かしたようにうん、と頷いた。……ダメだったら、ダメだった時に何とかしよう。


「宇治先輩、頭を上げてください」


 私の言葉通りに、頭を上げた先輩の顔には分かりやすく「申し訳ない」と描かれていた。口を横一文字に引き結んで、眉を寄せている。


「あの、宇治先輩が良ければなんですが、——」

「もちろんだ。何でも言ってくれ」


 ……まだ何も言っていないのに快諾されてしまった。ダメだったらちゃんと断ってくださいね。


「宇治先輩の異能を教えていただけたら……と、思って」

「僕の、異能……?」

「そうです。先輩は私の異能を知っていますか? 痛みを代償にどんな奇跡でも起こせるという異能なんですが」

「……あ、ああ。正確なものは今聞いて知ったが」

「なら、宇治先輩の異能を私が知ったらお互い様になりませんか?」


 畳み掛けるみたいに言ったけど、よかったかな……。いや、そもそもこう言わないと頷いてはくれない。綾世先輩が私の肩に手を置いて、加勢を示してくれた。


「謝りたい相手の願い、叶えないわけがないよね、響?」

「そうだよー! スイちゃんにそこまで言わせたんだから、しっかりと叶えてください!」


 汐梨ちゃんも加勢してくれた結果、とうとう宇治先輩は頷いた。


「……分かった。僕の異能は『覚えた』ものを決して忘れないことだ。今見ているものも、聞いているものも、細部までしっかりと覚えているし、一言一句忘れはしない。触ったり匂ったり食べたりしたものも、だ。その代わり、情報処理のためか最低でも1日に8時間は眠る必要がある。あと、情報過多にはとてつもなく弱い。……これで、問題ないか?」


 問題ないどころか、その……想像以上です。想像以上に細部まで教えてもらえた。逆にいいのか心配になるレベル。でも、これを言ったら堂々巡りな気がする。


「全く問題なしです。ありがとうございます」

「いや……こちらこそ、ありがとう」


 宇治先輩はトレードマークのメガネをくいっと上げる。どう見ても照れ隠しにしか見えなかったのは、私だけじゃないはずだ。


 ふと視界の端に映った綾世先輩はいつも以上ににこにこと笑っていた。何かの感情を隠すように、笑顔で取り繕っているようだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る