Chapter 2
05 誰が為の痛み
だんだんと大きくなるアラームを止め、開かない瞼を気合いで開く。スマホの画面は午前6時4分を示していた。
寝る前に何か考え事してた気がするけど……何だっけ。そんな大事なことじゃないだろうし、そのうち思い出すでいい、かな。
むくりと体を起こすと、なんともいえないだるさに気づく。心臓が血を巡らせるたびにずきんずきんと頭が痛む。2日目から休むなんてことは遠慮したい。せっかくできた友達と先輩がいるんだし。
棚の引き出しから体温計を出して、脇に挟む。耳に刺さる甲高い音を合図に見てみると、36.4度と表示されていた。どう見ても平熱だ。
喉が痛かったり鼻水が出たりはないから、行っても問題はないはず。念の為マスクをして、なるべく安静にしていれば大丈夫だ。
重い体に活を入れて、朝の準備を始めた。
***
昼休み直前、私は高を括って登校したことを後悔していた。
異能者と異能の歴史を学ぶ
だるい、きつい、頭痛い。あと10分でやってくる昼休みが待ち遠しいだなんて最悪だ。
社会科担当の布目先生の解説は、片方の耳から入ったと思ったら、頭の中を突き抜けて、もう片方の耳から抜けていく。授業の第1回目、内容を全く覚えていないとあっては、今後続いていくものを楽しめなくなってしまう。それは絶対阻止しなければ。
解説が抜けていく前に、せめてもの足掻きとしてがりがりとノートを取る。ぼやけそうになる視界を叱咤して、ひたすらに手を動かした。
「じゃ、最後にまとめるぞー。かつて異能者はなんでもできる神のような存在、つまりは崇拝の対象だったんだ。だがそれは、異能者が万能ではないと知られるにわたって変わっていく。……そもそも万能な力なんてないんだよなぁ」
コンコンとチョークで黒板を突っつきながら、布目先生は話を続ける。
「とある、ものを宙に浮かべる異能者だったら、その異能を使うに比例して自身の体重が減っていくし。とある、他人の能力を数値化して見れる異能者だったら、異能を使うたび、その時見た能力値に自分の能力が引っ張られるし。異能にはそれに見合った対価が必要だ。薬でいうところの副作用が必ずあるってことだな」
ちらりと教壇の方から感じた心配の視線に無視をして、「異能には副作用が存在する」とシャーペンを走らせた。
「今あげた例はどちらも一時的なもので終わるが、異能者によっては一生残る副作用もあるんだ。……少し話が逸れた、異能者が万能ではないと知られるにつれ、現在の社会の形に、言ってしまえば異能者が差別されるような形になったっていうことだ。……オレがこんなこと言ったのは秘密で頼むな。さすがに怒られそうだから」
その言葉に教室中からどっと笑いが溢れる。「なんで言っちゃったんですかー?」「それでいいのか教師」「やっぱ先生面白い!」……、布目先生への心配が半分、からかいが半分含まれた声は、耳から入ってぐさぐさと頭の中を貫通していく。
いっそのこと耳を塞いでしまおうか。……いや、そんなことしたら確実に体調不良がバレる。
ぐっと我慢すること数十秒、先生は「注目!」とみんなの声を止めた。
「まあ、今から言うことだけは押さえておいてくれ。『異能者は神のように崇拝されていた過去があり、その力が万能ではないと知られてから、現在の社会の形になった』ってな。いいか? お前らも異能の副作用には気をつけろよー」
ノートに書き込み終わったちょうどその時、救いのチャイムが鳴り響く。挨拶をして、ノートと教科書の片付けもそのままに、教室の外へと歩き出した。がたっと音を立ててしまったけど今は気にしてられる余裕はない。視界は端の方が黒く塗りつぶされていて、歩くたびにふらふらと揺れる。
汐梨ちゃんが何か言っている気がするけど、ばくばくと鳴っている心臓の音に遮られて何も聞こえない。ごめんね汐梨ちゃん、また後で聞かせて?
こうなっては昼ご飯どころか授業も受けられない。目指すは保健室一択だ。保健室がある白い校舎——職員棟に行くには、3年生か2年生の校舎を通らなきゃだったはず。昨日行ったし、3年生の校舎の方が安心かも……。
倒れそうになりながらも、1年生の校舎とつながっている渡り廊下までは来れた。……たぶんこれ保健室まで辿り着けないやつだ。視界の端どころか見えるもの全てが黒くなって、上手く息が吸えない。立っているのももう無理。足から力が抜けて、へなへなと座り込む。ふっと周囲の音が全て聞こえなくなった。
——あれ、私何してたんだっけ。
突然視界が晴れた。ここは……私の部屋? ダークグリーンのカーテンに同じ色のベッド、勉強机の上には中学1年生の数学の教科書とノート、筆記用具が置かれている。ここは方波見家の私の部屋だ。
……どうして、どうしてどうしてどうして。ここはあの二人と一緒に縁を切ったはず。3年前まで暮らしていた悪夢みたいな家に、私の部屋はもうないはずだ。心臓がおかしいほどに暴れて、がたがたと体が震えて、気持ち悪い冷や汗が止まらない。
ノックもなく、音を立てて開けられた扉。そこにはあの二人が——お父さんとお母さんがいた。喉の奥で引き攣るような音が鳴る。眉を顰めたお父さんとお母さんは足音を立てて近づいてきた。
「陽翠? なんだその表情は?」
「何が怖いの? まさか、わたしたちが怖いなんて言わないわよね?」
なんて答えれば良かったっけ。なんて答えれば正解だっけ。なんて答えれば叩かれなかったっけ。しまい込んでいた記憶を引っ張り出して答えを探す。いつかの私は、……無理やり笑って「お父さんとお母さんが怖いわけないですよ」って言っていた。
……そんなの無理だ。
表情も声も、体の全部、恐怖に支配されている。酸素を取り込むように口を少しだけ動かすのが精一杯。視線を逸らすことは許されず、苛立ちを隠すことのない二人をじっと見上げる体勢になる。すると、お母さんがどこからかカッターナイフを取り出した。
「はい、今日は3つお願いね」
受け取らなければいけない。でも、体が動かない。指先まで冷たくなって、震えることしかできない。でも、それでも受け取らなければ……。呼吸が加速していく。息が上手く吸えない。息が上手く吐けない。
「貸しなさい」
お父さんはそう言って受け取ったカッターナイフを持って私の方へ手を伸ばす。遠慮も配慮も何もなく掴まれた腕に、カチカチカチと出されたカッターナイフの刃が滑る。
「……っぃ、や」
一拍遅れて溢れ出た血。動けないほどに強く掴まれた腕。また襲ってくるカッターナイフ。「最初からこうすればよかった」と冷たく呟くお父さん。異能という奇跡を待つ笑顔のお母さん。何もかもが——痛い。
もう、嫌だ。私の中で何かがぷつんと切れる音がした。
息をするように、息を止めるように。痛みを代償に奇跡を願うと瞳が熱くなっていく。
お父さんとお母さんが幸せなら私は幸せじゃなくていいの? そのために私が痛い思いするのは当然なの? 異能者だから? それとも黒の異能者だから? 私だって痛い思いはしたくない。私だって幸せになりたい。
……
「……こないで」
腕を掴む力が弱くなった隙にお父さんを突き飛ばす。異能を使ったから呆気ないほど簡単に飛んでいって、部屋の端で小さなうめき声が聞こえた。
——今、私は誰に向けて異能を使った?
再び視界が黒く塗りつぶされ、晴れる。ざわざわとした周囲の音が聞こえてくる。
あの人だと思って突き飛ばした相手は、柘榴色の髪をしていた。あの人の髪は、黒かったはずだ。
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