02 食えない先生
「さっき散々言われただろうが、改めて入学おめでとう。オレはこの1年A組の担任、布目琥太郎だ」
座席の案内を消した後、チョークを取った布目先生は黒板に大きく名前を書いた。その字はマス目があったかのように整列している。教科書に載ってそうなくらいの綺麗さだ。
こんなこと考えるの失礼な気はするけど……、布目先生は意外とちゃんとしているのかもしれない。ほらだってネクタイ緩いし、大股で歩いてたし。……でも逆に、ネクタイをきちんと締めた布目先生は想像できないかも?
突然ぱん、と手を叩く音が聞こえた。思わずびくりと肩を揺らしてその犯人に視線をやる。私と似たような反応をしている人が何人かいるのは同じようなことを考えていたからかな。
「字を見つめるのはいいが、今はオレの話を聞けよ? 見惚れるのはあとでだ。まあ、話をちゃんと聞くならオレには見惚れてもいいけどな?」
布目先生、その笑顔はしてやったりという顔ですか。確かに話は聞いてなかったかもしれないけど。それに見惚れてませんから。
言いたいことはいくつかあるけど、この状況で文句を口に出して言うほど私は強くない。いくつかのじとっとした視線を気にもせず布目先生は続けようと口を開いた。
「——布目せんせー!」
遮るように勢いよく右手を上げたのは私の左隣に座っている女の子。緑色のリボンで薔薇色の髪を結んでいて、これまた緑色のリボンタイを付けている。首元のボタンを1つ外してラフな雰囲気で制服を着ているお隣さんは、ぷくっと頬を膨らませて不満を訴えていた。
「あざとさ」って扱いが難しいはずなのにばっちりと自分の物にしている。私には到底真似できないや。それに、きっとこの子はクラスの人気者になる。それも到底真似できない。
確か、お隣さんもさっきの驚かせ事件の被害者だ。ということは文句言うの? クラスで遠巻きにされる予定の人がひっそりと応援してるよ。
「おー? どうした、
そう呼ばれたお隣さんはあざとさを引っ込めて「なんで?」と呟く。驚くのも分かる。まだ自己紹介はしていない。ここにいるみんな、出身中学はばらばらだし、この学校で先生やってる人となんて面識はないはずだ。
会ったばかりの生徒の名前を覚える暇なんて、果たしていつあったのか。生徒証の写真で覚えた可能性はあるけど、写真と実物とではかなり印象が違うはず。
「なんでってそりゃあ、さっき一致させたからな、顔と名前。お前たちが今座っている席、誰が指定したと思う?」
布目先生はいたずらが成功したかのように笑って、中身が見えないように掲げた書類をひらひらとさせた。さっきえらく時間がかかってたのはそういうことね。
あちこちから「すげぇ」とか「まじか」とか、驚き8割、称賛2割の声が聞こえてくる。色んな意味でクセ者が多い異能者の学校で先生をやっているだけあって、なかなかに侮れない相手みたいだ。
「それで、十川は何用だったんだ?」
呆気に取られていた十川さんは、思い出したかのように不満気な表情に戻る。……戻るというより表情を作るって感じがしたのは気のせい? やっぱり十川さんもクセ者の一人なんだろうね。
「もー、せんせーのせいで言うタイミング逃したじゃん! まあ、言うけどね。残念ながら布目先生には見惚れませーん」
他のクラスメイトからも同調の声が飛び出す。私は、もっと言ってやれー、存分に言ってやれー、……と思うだけで口には出さない。
次に呆気に取られたのは布目先生の方だった。でもそれは一瞬で終わって、すぐにははっと笑う。やっぱり食えない人だ。
「おいおい、ひどいじゃないか。ブーイングは受け付けないぞー」
さて、ともう一度手を叩いた布目先生は話し出す。さっきと違ってそれに驚く人は誰もいなかった。
「一応説明しておくことがある。各々ネクタイとリボンタイの色が違うのはもう気づいてるな?」
自分で選べるわけではなく、学校側から指定されるネクタイとリボンタイの色。実際に確認したわけじゃないけど、7色に分けられているのは確実だ。
私はカチューシャ代わりのスカーフと同じ黒。お隣の十川さんは髪を束ねているリボンと同じ緑色。生徒ではないし制服を着ているわけでもないけど、布目先生は目隠しと同じ紫色のネクタイを付けている。
「異能者のお前たちならもう分かっているとは思うが、このネクタイとリボンタイは異能の強さによって分けられている。いわゆる強い順に、黒、紫、青、緑、黄、橙、赤だな」
中学の頃ほどではないけど、やっぱりここでも遠巻きにされるかなぁ。クラス中の視線が刺さっているのがいい証拠。一応は慣れてるつもりだけど、全然嬉しくなんてない。気づけば机の木目を眺めていた。
この学校の黒の異能者は私以外にもう一人いるらしい。……その人も色々と大変なのかな。仲良くまではなれなくとも、せめて、嫌われるような関係にはなりたくない。初めて身近に現れた同じ境遇の人なんだから。
「まあ、あれだ。異能保護法と一緒の理由だ」
布目先生の声で一気に現実へと引き戻された。木目を眺めるのはやめてぱっと顔を上げる。何の感情も映してない布目先生に対して、教室は今にも嵐がやってきそうな雰囲気だった。
異能保護法——異能と異能者を保護するための法律と銘打ってはいるが、実際のところはそれを管理するための法律。その中で、異能の強さによって、常にその色のものを身につけなければならないと決められている。
……どうして自分が異能者だって晒して外を歩かなくちゃダメなの?
……ただでさえ目立つ髪色なのに、さらに、黒いスカーフで目立たせてどうするの?
……なんで異能者ってだけで指を差されて物を投げられないといけないの?
私だって思うところはいくつもある。でも何を言ったところで変わるわけでもなければ、「異能者を見る目」で見られるだけ。私たちは静かに耐えるしかない。
机の木目は何も言ってくれなかった。
「……思うところはたくさんあるだろうが、話を進めるぞ」
その声は明るくも暗くもなく、いつも通りな風に聞こえた。私たちの思いを認めるように、かつ、この現実を認めるように。変に気を遣い過ぎず、変に誤魔化さない。簡単そうで案外難しいことを、教壇の上の先生は当たり前のようにやって述べた。
食えない。でも、信頼できる。そんな先生だと思った。
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