午前0時に解けない魔法
さなこばと
午前0時に解けない魔法
真っ先に感じたのは、頬をなめられたかのようなしっとり感だった。
次いで、お腹にのしかかるずっしりとした重み。
ベッドに仰向けに寝ていたぼくは、目を開けるのも面倒なままに手を動かして出所を探った。
ふにふに。
「ふにゃぁぁんっ!」
柔らかくて温かな部分に触れたと思ったら、いたいけな感じの可愛い声が聞こえた。
なんだ?
家族に存在しないはずの、女の子の声だ。
ぼくはゆっくりと目を開ける。
目線の先にはふんわりした三角の耳が、ぴくぴくと小刻みに動いていた。
「ん、あ! ご主人さま起きたにゃ!」
勢いよくぼくの顔を覗き込んでくるのは、大きなきらきらの瞳。
……知らない子だ。
毛先の少し跳ねた白くて長い髪と、頭には猫耳のようなものが生えている。
白毛でもふもふの体は、可愛らしくちんまりしていた。
ご主人さまというのは、ぼくのことだろうか。
「だ、誰……?」
ぼくはおそるおそる問いかけた。
「あたしはシロコにゃ! 会ったばかりの子のお胸をいきなり揉むなんて、ご主人さまも大胆だにゃー」
見知らぬ謎の少女、シロコはお腹にまたがって、澄んだまなざしでぼくを見つめてきた。
ぼくはいつもの癖で両手を伸ばし、抱えて持ち上げようとした。けれど、シロコは小学生くらいの体格で、力を込めてもびくともしなかった。
中学生男子としては成長の遅いぼくの非力ではどうにもできない。
「シ、シロコさん。とりあえずそこをどいてもらえると……」
「わかったにゃ! ご主人さまよわよわでかわいいにゃー、ふふ」
いたずらっ子な笑顔を浮かべながら、シロコはのそのそと下りてくれた。
ぼくは体を起こし、時計を見る。
夜の十一時三十分。
ああ、ぼくはまたふて寝していたのか。
ベッドのへりに腰かけて、部屋の真ん中にぺたんと座ってしっぽをゆらゆらさせるシロコを見やる。
「で、君はどうしてぼくの部屋にいるの? 近所に住む子かな」
シロコはくふふっと含み笑いして、
「あたしは、ご主人さまのペットだにゃ」
空気が固まった、気がした。
「何かの間違いでは……? ぼくは小さな女の子をペット扱いする趣味はないかな……」
「でもご主人さまはあたしのことスキだにゃ?」
「初対面だし、なんとも言えないよ」
「むぅー! せっかく会いに来てあげたのにひどいにゃ!」
シロコはぱっと立ち上がった。怒ったような様子とは裏腹に、軽い足取りでぼくに近づいてくる。
「ご主人さま、なんか最近元気ないから、すごく心配してたんだにゃ」
目の前まで歩いてきたシロコから、ぼくはつい目をそらした。
まるで心を見透かされているような、居心地の悪い気持ちになったからだ。
「元気は、普通にあるよ」
「嘘にゃ!」
「嘘じゃないって」
「でも、ご主人さま、声が暗いにゃ」
「っ!」
思わずぼくは、シロコを突き飛ばした。
床に尻もちをついたシロコは、ぽかんと口を開けてこちらを見ていた。
けれど、
「大丈夫にゃ、ご主人さま。あたしに話してみるのにゃ。話すと少しは楽になれるかもしれないにゃ、ね」
すぐにシロコは幼い顔に慈愛を浮かべて、ぼくを優しく見つめてくるのだった。
「ぼくは昔から歌を歌うのが好きだったんだ。とくに高音をきれいに出すのが気持ちよくて、大好きだった。ぼくの唯一の個性だと思っていた。でも、中学生になって変わってしまった――声変わりによって」
ベッドに座ってぼくはうつむく。
「もう、前みたいに声が出ないんだ。無理に出そうとすると喉がかれているときのようなかすれ声になってしまう。昔には戻れない、それがひどく苦しい。耐えがたいほどに」
なんで知らない女の子に、親にも言えない悩みを打ち明けているのか、めぐりあわせというのは不思議だと思う。
ふいにぼくの頭が温かく抱かれた。
シロコだ。
なぜか慣れ親しんだ大好きなにおいがした。
「すごくつらいにゃね、もう二度と高い声が出せなくて、幸せだったあの頃は返ってこなくて。わかってあげたいにゃ。あたし、うまいことは言えないけど、ご主人さまの中で折り合いがつけられたらいいにゃね……」
シロコの胸の中で、ぼくは涙がこぼれるのを感じた。
少ししてさすがに恥ずかしくなったぼくは、シロコから離れた。知り合いでもない女の子に、なんて醜態をさらしてしまったんだと思う。
「ごめん」
「いいにゃ! ご主人さま、少し元気になったにゃ?」
「う、うん」
「よかったにゃ!」
シロコはとても満足そうににっこり笑って、しっぽをふりふりさせた。
ふと時計を見れば、十二時になろうとしている。
ぼくは少なからずの元気を心に灯していて、眠気も感じていなかった。
でも、シロコはそう思っていなかったみたいで、
「ほら、ご主人さま、もう夜中なのにゃ。寝るのにゃ」
「まだ眠くないから大丈夫だよ」
「で、でも、もう遅いにゃ、とりあえず横になるにゃ」
強引に眠らせようと説得してくるシロコに、ぼくは首をかしげるばかりだ。
しぶったら押し倒してでもしてきそうな剣幕に負けた。
シロコが去っていくまで寝たふりでもすればいい。そのあと起き出して水でも飲みに行こうかなと思った。
ぼくはベッドに仰向けになって、すっと目を閉じてみた。
すると、唇に人生初の感触があった。
なめられた?
慌てて目を開けようとする、けれど。
まどろみが強烈に襲いかかってきて、如何ともしがたくなった。
「……元気が続く、おまじないにゃ……また明日、にゃ……」
シロコの声がかすかに聞こえてきて、でもその内容もすぐにおぼつかなくなった。
ぼくはそのまま眠りに落ちた。
次に目を開けたとき、時計は六時を指していた。
横腹の辺りがとても温かくて、ぼくはそろりと布団を持ち上げる。
我が家の飼い猫、白猫のシロコットが丸まって眠っていた。
午前0時に解けない魔法 さなこばと @kobato37
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