第27話 文化祭③

 階段を降りて、講堂に続く屋根付き渡り廊下を進み、途中で裏に向かうために脇にそれていく。

 本日は九月二十九日の日曜日。

 文化祭の二日目だ。


 昨日の一日目はコーヨー先輩と二人でゆっくりと文化祭を存分に楽しんだ。

 大学受験を考慮して三年生はクラス単位の出し物を行わない。

 その代わりにクラスの垣根を越えた三年生有志で集まり文化祭の二日間講堂を借り切って、文化祭の目玉となる巨大コンテンツをやるのが白砂州高等学校の伝統となっている。

 文化祭前日はその準備のための泊まり込みのために教室も開放されていた。

 ロボ子さんも仕出し風の手作り弁当を差し入れに訪問していた。


 劇にバンドライブにコントといった舞台を利用するものから、お祭りの縁日の再現など毎年行われる内容は様々だ。

 今年の出し物は講堂の暗幕を閉め切ってのお化け屋敷と巨大迷路とクイズを組み合わせた脱出ゲームが行われている。

 コーヨー先輩は一日目の司先輩から吸血鬼役を引き継いで頑張っている。


 もうすぐお昼。

 三年生の巨大お化け屋敷脱出ゲームは早めに閉幕する。

 夕方からは講堂で『プロムナード』が行われるからだ。

 その準備のために他の出し物よりも撤収が早く、二日目の午前中で終わってしまうのも伝統の一部となっている。


 プロムナードとは、アメリカやカナダの学校で行われる学年末に行われる舞踏会のこと。

 プロムと短縮系で呼ばれることも多い。

 海外は日本と違って夏に年度が切り替わるため、五月末頃に行われる学校行事だ。

 社会への門出を祝う卒業パーティーの意味合いが近く、アメリカやカナダでは三年間の集大成として最大級の学内イベントとなっている。

 参加者は全員大人としてタキシードとドレスなど正装を用意して、事前にパートナーを組んで本格的な舞踏会デビューを果たすのだ。

 当然、衣装代だけでも相当費用がかかる。


 イベント好きの日本の高校だが、プロムはあまり普及していない。

 学年末は大学受験が優先されるし、大人への門出を祝うセレモニーならば各市町村の成人式が行われている。

 わざわざ学校で行う理由がないのだろう。

 けれど白砂州高等学校ではプロムを採用していた。

 文化祭終了後の後夜祭に講堂でプロムを行い、三年生を中心に踊るのが恒例行事となっている。

 これが白砂州高等学校文化祭のメインイベントだ。


 ただ海外のようにタキシードやドレスを事前に準備する習慣は日本にはない。

 本格的なプロムは費用面でも負担がかかるし、敷居も高くて敬遠されかねない。

 故に全員学校の制服着用が義務付けられている。

 大人として認められるセレモニーの意味合いは薄くなっているかもしれないが、多くの人が参加しやすいお祭りだ。

 先輩から誘われる形で下級生も多く会場入りする。


「ロボ子もプロム参加するんでしょ。虹陽と一緒に」


「そのつもりです」


「じゃあ私とも踊ってよ。無駄にクルクル回してあげるから」


「踊るのはいいですけど、クルクル回さないでください司先輩」


 ロボ子さんの答えと司先輩が笑った。


「どうかしましたか?」


「いや断られなかったなと思って」


「え……どうして断られると思ったんですか?」


 別に司先輩のことを嫌っているわけではない。

 むしろ仲良くしていただいている先輩だと思っていたが。


「いや断るわけじゃないか。保留ね。以前のロボ子なら絶対に答えを保留したと思う。『コーヨー先輩に聞いてきます』とか言ってね」


「それは……そうかもしれませんね」


「夏休み明けてから変わったよね雰囲気。なんか丸くなった。前は虹陽以外には壁を作っていて本当にロボ子って感じだったのに、今はロボ子さんって親しみやすい感じ」


 壁は意識的に作っていた。

 優先順位第一位をコーヨー先輩に定めて、それ以外全ての優先順位を下げる。

 そうしないと判断に迷うから。

 できるだけ多くの時間をコーヨー先輩と過ごすために心に制約をかけていたのだ。


「虹陽も新学期始まったら『真白』とか呼び捨てにしているし」


「そ、そうですね」


「その反応はそう呼ばれることにまだ慣れたわけじゃないんだ」


「ちょっとドキッとします」


「ふむ、単刀直入に聞きましょう」


 単刀直入。

 そう言ったのに司先輩は少し屈んで、ロボ子さんの耳元で囁いた。


「二人は一夏の経験しちゃったの?」


「ぴやっ!?」


「えっ!? その反応はまだなの!?」


「な、ななななななにをいきなり変なことを言っているんですか公衆の面前で!」


「いや……人気のない講堂裏だから聞いたんだけど。その反応は本当に大人の階段を登ってないんだ。あのヘタレ馬鹿は肝心なところで失敗したの? みんな絶対この夏なんかあったって話していたのに」


 コーヨー先輩がついにヘタレの称号を獲得してしまった。

 いやそれよりもみんなって誰!?

 そういうことをしたと思われているの。


「なに驚いてるのよ。あんたたちもう半年近く付き合っているし、あれだけ四六時中一緒にいるのよ。普通そう思われるでしょ」


「普通はそうかも知れませんが」


「しかも元から誰にも付け入る隙がないほどのべったりだったのに、夏休み明けから更に距離を縮めた。虹陽は急に呼び捨てだし、スキンシップ過多だし、独占欲丸出しだし、正直引く」


「やっぱりコーヨー先輩からのスキンシップが増えていますよね」


 夏休みに始まってすぐは手首を痛めていた影響もあって、部屋で二人引きこもって勉強していた。

 それまで今まで通りだった。

 変化のきっかけは花恋だ。

 花恋がうちに泊まりに来た日にコーヨー先輩とも会っていた。

 なにを話したか教えてくれなかったが、長い付き合いだから花恋がコーヨー先輩を焚きつけたのはわかった。


 花恋はロボ子さんにも恋愛事を意識させるつもりだったのか、色々と仕掛けてきていた。

 珍しくオススメのアニメや漫画が恋愛モノだったり、高校生になったからと恋バナをせがんできたり、コーヨー先輩との関係を掘り下げてきたり。

 そのくせ自分はボクシングにハマって恋愛事はからっきし。

 お泊まり会の途中で、実は恋愛漫画よりも格闘漫画にハマっていることが判明し「真白……私は修羅になりたい」「なるな」と会話したことは記憶に新しい。

 これは新たなる花恋語録として、ロボ子さんの脳内にインプットされた。


 そんな割と適当に生きている花恋になにを言われたのか、八月に入った頃の虹陽先輩は様子がおかしかった。

 恋愛漫画を貸したらすぐに読んだり、恋愛映画を観ては泣いたり、ロボ子さんに手を伸ばそうとして躊躇ったのか手が迷子になったり、真白と呼ぼうとして口が「あ」の形で固まってしまったり。

 割とバレバレな態度だった。

 それなのになにも起こらないからヤキモキしたし、ロボ子さんもコーヨー先輩をちょっとヘタレとは思った。

 でもコーヨー先輩はやればできる人なんですよ。


「一線は越えなかったとして、なにかはあったんだよね。ロボ子さんやお姉さんと恋バナしようぜ」


「司先輩……葵さんみたいになってますよ?」


「うわぁ! それはヤダ」


 篠宮姉妹は仲がいいし、似ているところが多い。

 でもそれを指摘すると二人とも嫌がるのはなぜだろうか。

 それを指摘されて嫌がる表情が実は一番似ている。


「でもやっぱり恋バナはしようよ。私からもしてあげるからさ」


「司先輩もなにかあったんですか?」


「『も』ってことはやっぱりなにかあったんだ」


「あっ!」


「それじゃあ誤魔化される前に私から。実はプロムで岡島のアホにパートナーとして誘われて告られた。二日前。準備の夜の話」


「えっ!?」


 先に言われてしまった。

 つまりロボ子さんも話さないといけないわけで。

 いやそんなことよりも司先輩の恋バナが気になる。

 コーヨー先輩と司先輩は中学時代からの付き合いで、二人とも憎からず思い合うつかず離れずの仲だった。

 そしてバスケ部元部長の岡島先輩といえば、コーヨー先輩の小学校時代からの幼なじみで親友だと聞いている。

 その岡島先輩が司先輩にパートナーの申し出と告白を行ったわけで。

 それはつまり秘めた想いの発露。

 コーヨー先輩は三角関係だったことが今明かされるという急展開を迎えたことになる。


「あ〜……そんなに青い目を爛々と輝かせて、拳をギュッと握りしめられると続きを言いにくいんだけど。というかロボ子も恋バナに食いつくんだね。なんか意外」


「女の子ですから。それで続きは?」


 まともな恋バナは初めてだ。

 花恋ともしたことがない。

 キャラ愛を熱く語る花恋はたぶん恋バナにカウントされないから。


「プロムでは岡島とも踊る。でもパートナーも、交際も断った」


「踊るのに断った?」


「岡島とも長い付き合いだからね。告られて振ったから疎遠になる感じでもないの。だから踊りはする。でも付き合えない。いい奴だと思うし、別に嫌っているわけじゃないんだけどね」


 嫌っていない。

 友達としては好き。

 でも異性として付き合うかは話が違う。


「たぶん今は誰とも付き合うことはないかな。岡島も私の答えをわかってた。わかっていたけど、ちゃんと自分の卒業をするために告白してきた感じ。振ったのに笑ってたんだよね……あのアホ」


 司先輩はスッキリした顔をしている。

 未練も後悔もなさそうだ。

 そういえばさっき一年二組の教室の前で女装姿だった岡島先輩の顔にも影はなかった。

 なにか思うところがないはずがない。

 それでも今まで通りに戻れる不思議な関係だ。

 そういえば六月のコーヨー先輩と司先輩も関係が大きく変わらなかった。

 それが積み重ねた時間なのかもしれない。


「私は高校時代の自分の恋にはもう満足しちゃっているんだよね。今は下級生の女の子にチヤホヤされるのが楽しい。あと純粋に虹陽とロボ子の関係を見守りたい。だからなにかあったら言いなよ。絶対に協力するからさ」


「司先輩」


「で、夏になにがあったの?」


「…………」


 交換条件のだしにされた岡島先輩がちょっと可哀想になった。

 よく考えれば告白してきて振った相手を、司先輩は賭け事の代価にして女装をさせたのだ。

 それも振った二日後に。

 本人達が楽しんでいるのであれば、ロボ子さんが気にしても仕方がない。

 それよりも興味を示してしまった以上、ロボ子さんも恋バナを返さなければいけない。

 たぶんそれが恋バナのルールのような気がする。


「お盆休みに私の帰省にコーヨー先輩も同行しましてですね」


「そういえば虹陽は夏休み前にロボ子の親と会ったらしいわね。それでそれで」


 司先輩も瞳を爛々と輝かせて、拳をギュッと握りしめている。

 これが恋バナ。

 なんか普通に恋バナしている気がする。


「コーヨー先輩はかなりうちのお父さんに気に入られていまして、二日目は午前中からオーダーメイドスーツの専門店に連行されて、身体を採寸されまくったらしいです」


「へぇ……虹陽のバカはロボ子のお父さんと仲いいんだ」


「それはもう。どっちが実の子かわからないぐらいに」


 結局、コーヨー先輩は半日以上お父さんに拘束されてしまったし。

 ロボ子さんも久しぶりに妹の夕衣と遊んだり、お母さんと一緒にお菓子作ったり、と充実した時間を過ごしていたのだが。

 コーヨー先輩の帰りを待つ時間でもあった。


「この日の夕方に埋め合わせとして、お父さんが車を出してくれて遠出したんです。星が綺麗に見えて天文台もある高原に」


「うわ〜ロマンチック」


 実はお父さんがお母さんにプロポーズした想い出の場所だったらしい。


「満天の星空の下。そこで初めて『真白』と呼ばれてキスされました」


「おぉ! それで?」


「おしまいです」


「嘘だ。絶対になにかあるって顔してる」


 本当はキスされる前に二人で交わした恋人契約の第七条の破棄が宣言された。

 ロボ子はこの契約を一方的に破棄して、いつでもコーヨー先輩の前から姿を消していい。

 そう記載していたのだが。


『今まで主導権を預けたままでごめん。身勝手だけど、俺はもう真白のことを諦めるの無理だから。姿を消そうとしても追うし、真白がいなくならないように俺も尽くすから。これからは俺に主導権を預けてくれないか』


 そう……虹陽さんに告白された。

 私が変わったのだとすれば、たぶん主導権を譲ったことで『私が頑張らないと』と張り詰めていた糸が切れたからだろう。

 もう私が迷って足を止めてしまっても虹陽さんが捕まえてくれるはずだから。


 さすがに司先輩相手でもそこまでは話せない。

 だからロボ子さんはコテンと首を傾げた。


「なにもありませんよ?」


「誤魔化しているよね。やっぱり一夏の経験をしたの?」


「お父さんが車で待っているのにそんなことしません」


「そっか車を出してもらっていたんだ。その状況でヘタレの虹陽がロボ子に手を出せるわけないよね」


 コクコクと頷いて応えようとしたら、急に目の前が真っ暗になった。

 バサっという布が翻る音。

 両肩に乗る腕の重み。

 安心できる背中の暖かさ。

 鼻をくすぐる甘いハイノキの匂い。

 そして演技がかった声。


「我が愛しき花嫁になにをしているのだ人間の小娘。真白は我のモノだ」


 その声に従って、ロボ子さんは目をつぶりながら体重を後ろに預けた。

 ここは愛しき吸血鬼伯爵様のマントの中だから仕方がない。


「……虹陽。あんた持ち場を離れていいの?」


「さっき最後の客が出たところだよ。もう体育館の中では撤収が始まってるぞ」


「もう!? ちょっと長話しすぎたかも」


「俺もこれから着替えようと思っていたら、外からツカサの声が聞こえてきてな。誰がヘタレだ」


「虹陽」


「即答すんな」


 ロボ子さんの頭の上で小気味よい言葉の応酬が繰り広げられている。

 こういうのを喧嘩するほど仲がいいと言うのだろうか。

 だから暗黙の了解で付き合っている判定されるのですよ。


「そんなことよりロボ子は大丈夫なの? さっきから動いてないけど」


「えっ? 別に腕で無理やり抑え込んだりしてないけど」


「普通、さっきみたいにいきなり視界を奪われたらパニックを起こすと思うんだけど」


 急に視界が明るくなる。

 どうやらマントが解かれたようだ。


「すやすや」


「寝てる!?」


「寝てるやつはすやすや言わねーよ。真白。いきなり捕まえて悪かったな」


「いえすぐにコーヨー先輩だとわかりましたから」


 ロボ子さん起動。

 目を開けると呆れた表情の司先輩がいた。


「見せつけてくれちゃって。ロボ子って本当に豪胆よね」


「そんなことはないですけどね」


 ただ臆病なだけですよ。

 とは言えなかった。

 それよりもこの講堂まで来た目的を果たさなければ。

 前に足を踏み出して、司先輩の横に並びくるりと反転する。

 目の前には拘束が強いのか弱いのかよくわからない優しい吸血鬼様がいた。


 髪の毛はくすんだ白。

 瞳も色素を失って赤みがかっている。

 吸血鬼のメイクをしているわけではない。

 ただ灰花病が進行しているだけだ。

 夏休みが明けて急速に。

 見た目の変化が一目でわかるぐらいに。


「カッコいいですよ。コーヨー先輩の吸血鬼」


「ありがと。ロボ子もその格好似合ってるぞ。男装と言うには可愛らしすぎるけどな」


「でもダメですよ。外に出るならちゃんとサングラスしないと。目が悪くなっちゃいます」


「さっきまで暗い体育館にいたから」


「言い訳禁止」


「わかったよ」


 褒め言葉とちょっとしたお小言。

 もうあまり時間はない。

 私もクラスの手伝いをしないといけない。


「プロムナード楽しみですね」


「おう!」


 私はまだ感情が追いついていない。

 色々な変化に置いてけぼりだ。

 








 

 




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