「なぁ、何もしてくれへんの?」って年上同期に言われる百合【完結】

しきもと ホノ🌟

プロローグ:なぁ、なんもせえへんの?ふたりで寝てるのに。

「なぁ、って、なしな人?」

 布団の隙間から伸びてきた彼女の手が、私のシャツの袖をくすぐる。

 その指先は、やけに丁寧で、やけに甘ったるい。


 ──だめだ。

 頭がぼうっと、まるで濃い霧の中にいるようで。

 さっきまで公園のベンチで話してたはずなのに、

 気づけば今、彼女の隣で横たわって、息をひそめている。


 知らない天井。ラグの色、枕の匂い、エアコンの風の向きまで、ぜんぶ違う。

 自分の部屋じゃない──ここは、梨羽りうさんの部屋。


 右に視線を向けると、頭にかかっていた濃い霧が晴れていく。

 横にいる彼女、梨羽さんが薄暗い明かりのなかで笑っていた。

 酔ってるはずなのに、その目だけはぜんぶわかってるみたいで。

 じんわりと肌が熱くなる。

 肩のラインが近すぎて、石鹸と柔軟剤、そして彼女の匂いが鼻腔で混ざり合う。

 思わず息を呑んで、胸の奥がきゅっとなる。

 そのまま、下腹部のあたりに、かすかな熱が溜まっていくのがわかった。


「なぁ、みおちゃん。なんもせえへんの?」

 冗談みたいな声色。けど、言葉はまっすぐで。

 ごくり、と喉が鳴る。

 身体のどこかが、じんわり痺れている。

 こんなの、初めてだった。

 視線を逸らした先、部屋の隅で空気清浄機がごうっと音を立てている。


 私はというと、アルコールが入ってるはずなのに酔った感じがしない。

 顔が火照ってるのは、お酒のせい?

 いや、違う。

 この空気のせいだ。

 脳の奥はまだぼんやりしてるのに、皮膚だけが、やけに敏感で。

 布団がこすれる音、梨羽さんの呼吸、空調の風。

 どれもやけに鮮明で、ひとつひとつが、胸の奥を撫でていくみたいだった。


 ──この人、職場ではこんなこと言わないのに。

 いつも明るくておしゃべりで、でもちゃんと仕事はできる。

 その“ふつうじゃない感じ”が、ずっと引っかかっていた。


「……そういうのじゃ、ないですよ」

 自分でも、何に対する否定か分からないまま口が動いた。

 この状況に? 彼女に? それとも……自分に?


「ふーん」

 その返事だけで、梨羽さんは追ってこなかった。

 でも、触れてる体温はそのままだった。

 毛布越しにかすかに伝わるぬくもりが、やけに重たい。


 ──どうして、私は帰らなかったんだろう。

 終電を逃しただけ?

 家まで送ってって言われたから?

 ほんとうに、それだけだったっけ。

 わからない。

 正直、わかりたくもない。


「なぁ……」

 声がまた聞こえて、でも今度は何も続かなかった。

 ふいに、彼女の手がふわっと袖から離れる。

 布団がそっとこすれる音。

 静まり返った空間のなか、時計の針の音だけが、やけに響いた。


 ──なんで私、ここにいるんだっけ。

 思い出せない。

 ただひとつだけ、今は確かに思う。

 今、私は人生で、にいちばん近い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る