第40話
彼氏がいたことあるか聞いた瞬間、分かりやすく瞳から光が消えた。
表情もみるみる曇って、読書する気も失せたのかパタリと閉じられた本の動きを視界の端に捉えた時、失言したかもという焦りよりも、意外なことに対する驚きが勝った。
え。その感じ……いたことあるじゃん。
男関係で何か嫌なことあったじゃんってあからさますぎる反応をされて、呼吸を止める。
嘘でしょ?
葉山が、男と――
「っ……ど、どんなやつ」
興味というよりは悔しさにも似た感情が支配して、頭よりも先に口が動いていた。
前のめりになったあたしに対して後ろへ体を反らした葉山は、相当答えづらいことなのか明後日の方向へ視線を逃がす。
嫌なら話さなくていいよ。と言いたいところだけど、今はそんな余裕も優しさも持てない。
「い、言いたく、ない…」
「なんで」
「や……は、恥ずかしい、よ」
真っ白な頬が赤らんで、完全に女の顔へ変わった葉山を見て確信した。
絶対、過去に男いたじゃん。
付き合ったことあるやつだ、これ。
恥ずかしいって、何をどうしたらそんなにも恥ずかしがることがあるのか教えてほしいんだけど。うわ、最悪。想像しちゃった。
脳が締め付けられるような不快感を覚えて、痛むこめかみの辺りを押さえながら立ち上がった。
精神への衝撃でダメージを食らった体を引きずって、念のため心配だけはかけないように「トイレ」とだけ言い残して図書室を出た。向かう先はもちろん、トイレ一択。
個室に入って下着も脱がず便座に座る。足しに来たのは用じゃない、心の準備だ。
「え。しんど…」
改めて葉山の元カレについて思考を巡らせると、それだけで心臓を握り潰すような痛みが襲った。
とにかく、ショックだった。
男の影を感知したことに対する驚きのあまりっていうのもあるけど、何より自分が葉山を馬鹿にしてたかもって事実に気が付いてしまったのが一番大きい。
内心どこかで「どうせいないでしょ」とか思ってた。思っちゃってた。
葉山のかわいさを誰よりも知ってる自負があったのに、その実、心の裏では葉山のことを見下してたんだ。あたしってば、なんて最低な女なの。
でなければ元カレがいるってだけで、こんなにも傷付かない。無自覚のうちに葉山がモテない女だって決めつけてたからこそ、自分より先を越された的な意味合いで屈辱的に感じたのかも。だとしたら性格悪すぎ。
これがよく聞く“女の嫉妬”ってやつなら、あまりにも醜すぎて吐きそう。
「うわー……まじかー…」
あたしって、自分で思うよりもプライド高かったんだ。
女子のマウントとかどうでもいい〜、まじくだらないって遠巻きに呆れてたけど、あたしも所詮は女。浅はかな自尊心を守るために、葉山を下に置くなんて。
にしても、葉山の元カレ。
どんな人か、めっちゃ気になる。
聞いたら聞いたで耳を塞ぎたくなるのは百も承知で、どうしても解消したい疑問を満たすためまた図書室へ戻った。
「ごめんごめん、話の途中で」
「いえいえ…」
「で?葉山の元カレってどんな人だったの?」
躊躇うと怖気づく自分の性格をよく分かった上で、着席と同時に勢いに身を任せて口を開いた。
動揺して目を泳がせ、瞬きを何度も繰り返す葉山は答えにくそうに唇をモゴモゴとさせる。
「葉山」
あたしの質問によって、今この瞬間もそいつのことを思い浮かべてるんだと思ったら途端に腹が立ってきて、熱い頬を両手で包んだ。
寄せるようにして、唇を奪う。
シチュエーションも静けさも、胸を打つ激情も。初めてキスをした時と同じだった。
ただひとつ違うのは、愛らしさから来る感情の波じゃなくて、憎らしさから来る波が体を動かした結果で、重ねただけじゃ足りなくて下唇を軽く歯で噛んだ。
ピクン、と跳ねた肩の振動が心音に直結して、全身に熱を持った血が走る。
顔を離す前に薄く瞼を持ち上げるとぎゅっと固く閉じた瞼が見えて、制服の裾が、しっかりと震えた手に握られていた。
――かわいい。
こんなにかわいいんだから、彼氏のひとりふたりいても不思議じゃないか。
やけに冷静さを取り戻した頭で、妙に納得してしまう。きっと、あたしが男でも放っておかない。
「ごめん。かわいくて、つい」
未だほわほわしてる葉山相手に、適当に思いついた言い訳を並べた。
ハッと我に返ってからは、細目で睨まれた上に無言で腕を弱く叩かれた。こればっかりは怒られても仕方ない。あたしが悪い。
「元カレの話、したくなったらいつでもしてね」
「……ない」
最後の最後、念押しで伝えたら、
「つ、付き合って、ない…」
唇を尖らせて葉山はそう教えてくれた。
「そっか!」
よかった。
何が“良い”のか自分でもよく分かってないまま、正直な言葉に安堵していた。
「そ、その、あの……興味ない、かもしれないけど」
葉山は葉山で、そこまで言ったらもう事情を話そうと心に決めたんだろう。意を決して、といった感じで話を始めた。
「前に、恋愛してみたくて、仲良くしてた男の人がいて――」
もっと知りたい好奇心と、知りたくない拒否反応の間で苦しみつつも、あたしは一生懸命に語り出した葉山の声に耳を傾けることにした。
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