第23話










 ――秋。


 それは、一年を通して最も儚く、寂として音もなく過ぎ去る季節。


 夏の名残りに押し潰され、冬の到来に追い出される肩身の狭い不憫な季節でもある。が、残暑が過ぎればちょうどいい気温の高さや虫が少ないといった快適さから、密かに人気を集めていたりもする。


 そして、今は秋が真にその恵まれた環境を発揮する時期。


 紅葉が散り、景観は映え、まさにお散歩日和という言葉が相応しい。


 ……はずなのに。


「あらま。今日めっちゃ混んでるね」


 後から来た御堂さんが、周囲を見渡しながら困った声を出す。


 そう――室内であるはずの放課後の図書室が、なぜか生徒達で溢れ返り混雑しているのだ。


 普段と変わらず来るだろうと見越してたから、隣の椅子に荷物を置いて席を取っておいてよかった。退けて譲ると、御堂さんは軽く頭を下げてそこに座った。


 座った後も、慣れない光景にキョロキョロしている。


「なんでこんな人いるの?」

「さ、さぁ…?」


 マナーを気にしてか、耳打ちで聞かれたけど首を傾げて終わった。

 

 私に聞かれても……ただ、思い当たる節はある。


 和気あいあいと話すグループの会話に耳を傾ければ見事に脳内の憶測と実際の理由が一致して、私でも分かるということは御堂さんもあっさり気付いたんだろう。


「あー……もうすぐ、修学旅行だもんね」


 ほとんどの生徒が持ってるのは、沖縄関係の資料。あるいは、旅行向けパンフレット。それとは別に、スマホで調べる人もいた。


 私達の学年はもうすぐ修学旅行を控えている。そろそろ斑決めや部屋割りなんかも行われる頃だろう。


 そんな青春を謳歌するには外せないイベントを心待ちにしている生徒で、図書室は賑わっていた。


 意外にも御堂さんはそこまで興味がない、むしろあまり積極的ではないのか、表情にうっすらと嫌悪が表れていた。


「はぁ。泊まりか……やだな…」


 てっきり自分のテリトリーに人が泊まるのが嫌なんだと思ってたから、誰かと寝泊まりすること自体が嫌いなんだと知って驚く。


 訳まで聞くのはさすがに憚られて、深入りはしなかったけど、き、気になる。


「てか、こんなに人いっぱいいたら、いつもみたいに話せないね」

「え……あ、そう、だね」

「……ふたりきりになれる場所、行く?」


 テーブルの下。


 スカートの端をつままれて、内臓が浮つく。


 吐息が多く混じる掠れた声色が脳内で艶っぽい響きに変換されて、顔のすぐそばで視線を送ってくる瞳がやけに、潤んでる気がしてきてしまう。


 見られてるだけなのに、動揺する。


 そんなに見つめられても、困る。


 だって、ふたりきりに、なれる……って。 


 ち、違う。


 これは、やましいお誘いじゃない。誘惑とかじゃない。断じて無い。


 耳元で小さく囁くのは周りへの配慮であって、見えない位置で服を掴んでくるのも、そう。全部、他人への配慮、優しさ、思いやり。


 私は何を勘違いしてるんだ。


 隠しきれなかった心の乱れが体の表面にも現れて、ポタリと顎から汗が垂れ落ちた。


「ん……葉山」


 裾から太ももへと、指先の感触が上がってくる。


 指の腹が軽く皮膚を押して、僅かに食い込む。そのまま、ひと粒の水滴を掬い取った。今さっき落ちた、私の体液だ。


「汗かいてる」


 肌を離れた手が、今度は熱を纏う頬に触れた。


「顔も赤いね。…大丈夫?」


 伺う仕草で金色の髪が肩からハラハラと落ちて、窓からの光に反応し、キラキラと輝く。


 瞳孔の周りを囲う透き通った琥珀色の虹彩があまりに魅惑的で美しく、思わず息を呑んだ。


 癖みたいに、肌に当てられた指が撫で動く。


 あ。


 そうだ。


 この人――


「っ……!」


 レズなんだった。


 脳内で危険信号が鳴り響いて、ガタンと音を立てながら体を後ろに引いて立ち上がった。


 突然のことに視線が集まる。けど、構ってられる余裕もなく、荒ぶる心拍数を落ち着けるため胸元を押さえて何度も深く呼吸を繰り返した。


 あっぶない。


 危うく、またキスされるところだった。…かもしれない。


 もうこんなことがないように、今のうちに御堂さんには言っておかないと。諦めてもらわないと。


 気が動転していたせいで、咄嗟に。


「っあ、の!私は、レ――」


 レズじゃない、と。


 弁明しようとして、呆気に取られた御堂さんと目が合って、グッと言葉を飲み込んだ。


 こんな人が多いところで、注目を集めてるタイミングでそんなこと言ってしまったら……大々的に、暴露したことになってしまう。


 知られて困るのは御堂さんで、私にはダメージはない。でも、言えない。言えるわけない。


 ただでさえ強く否定したら傷付けるのは確定してるのに、さらに周囲にバレて噂の渦中に置いていくなんて仕打ち、ひどすぎる。血も涙もない人間になっちゃう。


「は、葉山…?どうしたの」

「ぅ……ぁ、あ、え、と」


 どう、誤魔化そう?


 喧嘩したとか、揉め事が起きてるとか思われない、なにか……なんでもいい。言い訳を見つけないと。


 注視され続けている他人の目を避けて、本棚に視線を映す。背表紙に連なっている文字を辿って、最適解になりそうな答えを探した。


 臨床心理――違う。栄養学――ちがう。今必要なのは専門的知識じゃなくて、新聞紙、自己啓発、ミステリー、絵本――あぁ、もう。どれも違う。


 思考を捨てて言葉を探した結果。


「う、うんち」


 一周回って、必死になんてならなくても降りてきた適当な理由を口に出した。


「おなか、痛くて、それで……っご、ごめんなさい!」


 即座に鞄を持って出入り口へ走る。


 端から見たら、相当限界を迎えた極限状態のやつに見えただろう。だが、もうそれで良い。明日から私のあだ名が「大便」とか「うんちうーまん」とか「絶叫駆け込み便所女」とかになっても、もういいよ。


 御堂さんが悲しまなければ、それで――。


  


 







  

 


 

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