最終話 行ってきますのキスが、こんなに幸せだなんて
「本当に出られたんですね……樹海」
「ああ、俺も信じられないよ……」
目の前には道路。
無事、国道139号線へ出られたようだ。
アスファルトの舗装された道が続いており、車が走っている。
送電線や民家があちこちにある。
そんな文明を目の当たりにしただけで感動してしまう自分がいた。
夜明け、俺達はどうやって樹海から出るか考えた。
運の良い事に今日は晴天。
俺はテレビで聞きかじった知識から樹海を出る方法を試すことにした。
太陽を目印に、ひたすら西へ歩く。
そうすると麓に出られる、と。
俺はその話を信じて明夜と共に樹海を歩いた。
噴火の跡だという溶岩の道を踏みしめながら、俺たちは西へ進んだ。
太陽の方角を信じ、風を頼りに、ただ静かに前を向いて歩いた。
道中、俺が持ってきたペットボトル1本を、2人で分け合ったりもした。
そうして歩く事、数時間……。
なんとか2人で、樹海を脱出できた。
「運がないと、樹海から手ぶらでは出られないって聞きますけど、ここぞという時に運がまわってきたみたいですね」
「いや、俺と明夜の日頃の行いが良かったんだろ」
「かもしれませんね」
俺達は疲れながらも軽く笑い合った。
「あそこに定食屋が見えるな。
スマホは持ってきてないが、財布はある。
とりあえず、まずはあそこでメシでも食べるか?」
「そうですね。もう私お腹ぺこぺこですから」
彼女はお腹をさすってそう言った。
「あのさ、明夜……。
今更だけど、これからはよろしくな」
「ふふっ、本当に今更ですね。
これからもよろしくお願いしますね。
尚人さん……!」
明夜の笑みがこぼれる。
彼女の笑みを見ただけで、
俺はこれからも、この先も、ずっと生きていこうと思えた。
ずっと、2人で――これからを。
◇ ◇ ◇
――あれから半月後。
「ほんと、明夜の作る料理は美味しいな。
朝から活力が湧いてくるよ」
「……味噌汁も漬物も鮭も、全部、スーパーで買ったものですよ?
私が作ったの目玉焼きだけなのに、それを褒めるとか。
なんでそんなに甘やかすんですか……」
明夜は呆れた声を出す。
「明夜が作ってくれるものなら、何でも美味しく感じるんだよ。
きっと、俺が明夜のことを大事に思ってるからかな」
「い、いや、あの……!?
そんな返しをされると照れますよ……」
明夜は目玉焼きに手を付けながら、笑みを浮かべた。
「今日は私、アルバイトの初面接ですね……。
緊張するなぁ……」
彼女は少し不安げな表情になる。
「大丈夫だよ。
俺でも何度もバイトぐらい受かってるんだ。
明夜みたいな可愛くて性格も良い女の子なら絶対合格するさ」
「……以前の尚人さんなら、きっとそんなストレートなこと言えなかったですよね。
なんだか、変わりましたよね。
だけど、悪くないです。
わ、私は、そういうの、まだ少し苦手なんですけど……。
でも、嬉しいです」
明夜は緊張も少しほどけた様子で笑顔のまま箸を進める。
「……尚人さんには、通信高校へ行くことを勧めてくれて、入学金も出すって言ってくれて……。
それだけで、私、もう十分すぎるくらいですよ……」
そう言いながら、彼女の瞳がじわりと潤む。
こらえていたものが、ようやくほどけていくように。
「死ぬために来た場所で、こんなふうに、誰かに見つけてもらえるなんて……。
本当にあるんですね。こんな夢みたいな話」
「そうだな、俺も明夜も、お互いがそんな奇跡に出会えたな」
俺はそう笑った。
入学金は、もともと奨学金の一部を返そうと思っていた最後の貯金だ。
それを使ってしまう今、俺の貯金はほとんど残っていない。
正直、生活はカツカツだし、明夜の高校が始まれば学費もまた重くのしかかるだろう。
俺の再就職先だってまだ決まっていない。
でも――
それでも、今ここに明夜がいてくれるだけで、俺は不思議と満たされていた。
金がなくても、未来が不確かでも、それでも誰かと手を取り合って進む日々には、確かな意味がある。
明夜と出会って、ようやくそんな風に思えるようになった――それが何よりの変化だった。
「それじゃあ、行ってきます。
尚人さん、お仕事がんばってください」
「ああ、明夜も初面接、頑張ってくれ。
じゃあ、また夜にな」
玄関前で俺達は別れようとした、その時。
「あっ、ちょ、ちょっと待ってください」
「えっ、どうした…?」
振り返ると、明夜が小さく息を呑み、そっと一歩踏み出した。
その瞳には、不安と決意が入り混じっていた。
次の瞬間、彼女はゆるやかに背伸びをし、やさしく、やわらかな口づけをくれた。
短いはずなのに、胸の奥が静かに熱を帯びていく。
「……その、行ってきますのキスぐらい、しても……いいですよね?」
明夜は目線を反らした。顔がほんのり朱色に染まっている。
「そうだな……これからはそうしようか。
俺も嬉しいしさ」
俺も少し照れつつそう返した。
「それじゃあ、今度こそ行ってきますね、尚人さん」
「ああ、行ってきます。明夜」
そして、俺たちは歩き出した。
俺は一旦歩みを止めた。
振り返って、しばらくそのまま、明夜が歩いて行った方を眺めていた。
明夜の背を見つめながら想う。
特別なことなんて、何一つない朝。
でも、これがきっと、奇跡みたいな日常なんだ。
誰に誇れるわけでもない。
けれど確かに、俺たちは今日も生きている。
――それだけで十分だと思えた。
終
◆ ◆ ◆
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
尚人と明夜の物語が、少しでも心に残ってくれたなら、嬉しい限りです。
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また、作者フォローをしていただけたら、次回作の時にまたお会いできるかもしれません。
またいつか、別の物語でお会いできれば幸いです。
【完結】死ぬつもりで行った樹海で少女に「抱きしめてくれませんか?」と頼まれた。 どとうのごぼう @amane907
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