吹雪のあとの桜
鳥位名久礼@歴史愛好会(主)
一、舞鶴海軍女学校
今年の桜は遅かった。
先日は三月だというのに、冬がひとつ忘れ物をしたかのように吹雪が降って、膨らんだ桜のつぼみを風邪引かせたのだ。
まだ二分咲きくらいの桜のなか、わたしは、まぶしいくらいに白い襟の、真新しくてモダンなセーラー服を着て、通い慣れたけれど様変わりした校門を入った。
二年間通った母校が、別の学校になってしまうなんて――入学した時には露ほども思わなかった。
「わが東舞鶴
寝耳に水な知らせを担任の馬場崎先生から聞いたのは、十二月、二学期終業式の朝だった。
「予科一年生の募集要項は、今年度で満十四歳・高等小学校卒業または高等女学校二年修了――とのことですから、いま高女二年生の皆さんは、ちょうど一期生として“入学”できますね――もちろん、全国からの並みいる文武両道優等生との入試大合戦に見事打ち勝てば、の話ですが」
なにそれ、実質無理っていうことじゃない……。
「実はわたくしも一般科目教諭として試験に志願してみるつもりなのですが……望みは薄いでしょう」
先生はくすっと笑って、続けた。
「晴れて――いえ、桜と雪がいっぺんに降りでもしたら、お互いまたこの学び舎でご一緒しましょうね」
追い出された
でも、貧乏庶民の我が家にとっては、一駅分の定期汽車賃も負担が重い。父に何て話せばいいかしら……。それ以前に、通学が徒歩五分から一時間以上になんてなったら、朝早く起きられないし、休み時間に忘れ物も取りに帰れない……と、考えるだに気が重い。
「そうか、それなら駄目で元々と思いきって受けてみたらええが」
父の反応は意外だった。
「無理!」
反射的にちゃぶ台を叩いてそう叫んでから、冗談を真に受けてしまった……と赤面した。
けれど、父は意外や意外、いつもみたいに、ほ~れかかったと大笑いするでもなく、
「かなはこないだも国語の満点を取るくらい優等生やし、トランペットも吹けるけえ、立派な喇叭手になろうで」
少し微笑んで煙管を吹かしながら目を逸らした。真面目な話をする時の照れ隠しの仕草だ。
「無理無理!!」
こちらも少し真面目に答えた。正気じゃない。いくら総合点は良くても、理数系は苦手、運動は水泳以外はからっきり駄目……第一、「神武此方前代未聞、東洋随一のとんま級長」という名誉称号を頂戴したわたしだ。
「まあまあ、度胸試しだと思って……」
「無理ったら無理~!」
もう一度ちゃぶ台を叩き、募集のチラシを取り上げて、自分の勉強机に駆け込んだ。
息を整えつつ、ふとチラシを見ると……
――学費無料 尚低所得家庭ハ入試費・寮費・給食費・制服費等減免有リ――
という字面が目に止まった。
父め、一人娘を身売りするつもりか……お父ちゃんのあほ!
とはいっても、確かにこのご時世で下層庶民が高等女学校に通わせてもらえているのはありがたい。本の虫で、勉強しろと云われなくても好きなものは勝手に覚え、成績も気まぐれにいい点を取ったり取らなかったり……そんなわたしのことを、父も母も評価してくれていた。
戦況が悪化してから、家業の本屋はあがったり。古書買い取りはあっても売れはしない。今年度はいよよめでたく免税だ、と先日父も算盤を弾きながら溜め息をついていた。仕方なしに、父は海軍鎮守府の書記雑務、母は同じく厨房に、交代で勤めるようになった。
鰻の寝床式町家の二階の窓辺に頬杖ついて夕暮れの町を眺めながら、わたしも溜め息をついた。
結局……受けに来てしまった。
どうしてこうなった。
海軍女学校を受験して落ちたなんてことが知れたら、学級のみんなからひやかされること請け合い。周りを気にしつつ身を縮こめて校門をくぐるも、浮く……。
この雪深い港町が、水兵さん以外でこんなにセーラー服のひしめくのはいつぶりだろう。わたしが東舞高女に入学した年の暮れには真珠湾攻撃、世界大戦が始まって、世の中はだんだんカーキー色になっていった。学生服も私服可になり、うちはただでさえ貧乏なので、セーラー服一式は二年生にあがる時に売り払って、よれた着物と少しばかりのお米に換えてしまった。
それに比べて案の定、周りはいかにも良家かつ優等生、しかも男勝りで
〽受~かるも落ちるも く~らや~みの~
身~のほど知らずの し~けん~なり~
うん。気合入れに腕を振り振り行進してみても、不安しかない。
筆記試験はまずまずできた。苦手な数学も、難しい数式は少なく、わりとできる幾何や証明の問題がほとんどだった。しかも、店番で手慣れた算盤まで使用可だった。
小論文の課題は「軍ト平和ニ就テ」。トルストイの『戦争と平和』を思い返しつつ、適当にさらさらと放言を書いた。
(要約)――筆頭極めて僭越ながら、私は戦争が嫌いです。軍というものも、極論では無くて済むのならば無くなってしまうのが善いと思っています。しかし現実から目を逸らさぬならば、少なくともこの現状、郷土を護り平和を維持するために軍事力は不可欠、いわば必要悪です。『戦争と平和』のピエール伯爵のように、私はこの目・この身を以て、戦争というものの現実につぶさに向き合いたいと志願する者です。「戦争はお愛想ぢやなくて、人生に於ける最大な醜悪事だ。吾々は此の点をよく理解して、戦争を弄ばないやうにしなきやならん。」軍人また為政者たるものはあまねく、この至言を心に留め、何よりも先に平和を真摯に希求すべきであろう、さすれば戦争の惨禍も最小限となり、ひいては完全ならざるとも大局においては、世界平和が実現し得るであろう、と愚考する次第であります。――
面接はさらに緊張したけれど、お愛想で乗り切った。
「まいど……やなくて、失礼いたします!」
店番で大人と話すのは慣れているけれど、つい商売人じみてしまう。
面接官の先生は意外にも、若くて優しそうな女の先生だった。
「ご機嫌よう。……出身校とお名前を仰ってください?」
「はわっ……失敬いたしました! 『東舞鶴高等女学校二年一組、
「あら、この学校の方ですね。このたびはお借りすることとなって、申し訳ありませんねぇ」
「いえいえ! めっそうございません」
いけない、気を引き締めなきゃ……先生のおっとりしたペースに乗せられて、調子が狂ってしまう。
「さて……あなたが卒業される頃には、この戦争も終わっているかも知れません。そこで、あなたの夢・戦後の展望は何ですか?」
「んと……世界中を巡って、国際大観艦式をすることです。ドイツもイタリアも、アメリカもイギリスも、みんな一緒に……世界平和のために、です!」
七年前に神戸に観に行った特別大演習観艦式を思い出して、思わず前のめり気味で言った。
「素晴らしい夢です。ぜひ実現されたいですね」
ちょっとでしゃばりすぎたかな……と心配したけれど、先生は微笑んでそう仰ってくださった。
さて、最後はきっと、いよいよ苦手な体育実技だ……と覚悟したところ、
「はい、お疲れ様でした。これにて入試は終わりです。お気をつけてお帰りになってください」
と、またまた意外な。
「あれ……体育実技は無いのですか?」
「この雪の中で、雪合戦でもしますか?」
「あっ……」
先生にくすりと笑われてしまった。確かにそのとおりだ。冬の間は体育館も冷凍マグロ倉庫みたいになっている。
「内申資料はきちんと拝見しますから、大丈夫ですよ」
やっぱり運動音痴はごまかせないようだ。所見欄にはきっと神武此方云々って書いてある……。
万事この調子で、つくづくとんまなわたしである。
この土日、舞鶴の旅館・民宿は親子連れの女学生で満員となった。
二日後の月曜、合格発表のため東舞高女は午前休だった。
朝九時。わたしは憂鬱で、こたつにこもって猫と戯れていると、
「かな~! ほれ、かな! 見てきい!」
父が雪まみれの長靴のままで茶の間に駆け込んできた。
「え! うそ!?」
わたしも雪のなか裸足に草履一丁で駆け出した。
角で盛大にずっこけて雪まみれになり、校門をくぐり、壁に張り出された合格者名簿を見ると…
――前田 かなで――
あった……!
まかり間違って受かってしまった。えらいことになった。どうしよう……。
それが正直な感想だった。
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