アドリブはあんまり得意じゃないんだけど(1)


 興奮冷めやらぬ劇場を出て、わたしは帰路についた。


「限定グッズ買い損ねたな……」


 外に出て数分歩いたところで、ようやくその事実に気が付く。

 何ともわたしらしからぬ失態。

 ブロマイド、恭くん引き当てるまで買い続けようと思ってお金たくさん用意してたのに。

 幕が下りてから、何だか落ち着かない気持ちになって誰よりも先に出てきてしまった。


「やっぱりあの世界に未練があるのかな、わたし」


 そんな独り言を呟いてみる。

 ……まさか、ね。

 思い出してみなよわたし。あの世界は、ここから見えているような綺麗な場所じゃない。

 それに、台本を覚えることができない今のわたしは、絶対に舞台に立つなんて無理だ。

 わたしは静かに息をついて、前を向く。

 ──そのときだった。


「よかった、瑞紀ちゃん見つけた!」


 そんな声と共に、後ろから走って誰かに背中から抱きしめられた。

 それが誰かなんて声だけでわかりますとも。


「恭くん……」

「終わってすぐに劇場から出てった瑞紀ちゃんを見かけた……ってスタッフさんが教えてくれて」


 ずっと走ってわたしを探していたのか、ぜえぜえと息を切らす恭くん。

 わたしはそっと振り返って、ひゅっと息を飲んだ。


「恭くん!? この格好のままで出てきたの!?」


 ウィッグを外し衣装は着替えてはいるものの、メイクはそのまま、顔を隠そうという気配すらない状態。

 周囲には、わたしと同じように劇場から出てきたばかりと思われる人たちが何人もいる。


「あれ、あの人って……」

「さっきの俳優さん?」

「何でここに? それにあの抱きしめられてる女の子誰だろ」


 ほら。ほら!!!

 バレてるんだよ恭くん。自衛が甘いんですよ恭くん。

 恭くんも自分が注目されていることにようやく気が付いたようで、「あっ、やっちゃった」と苦笑いした。可愛い。

 そんな恭くんは、わたしを抱きしめていた手を緩めると、今度は手をとった。


「逃げよう、瑞紀ちゃん」


 「逃げるってどこに?」と聞く前に、恭くんは走り出す。

 いつだったかもあったな。こうやって恭くんに手を引っ張られて走ったこと。

 あの時と違うのは、恭くんが運動神経ゴミのわたしに合わせて、走るスピードが控えめなところだろうか。

 周りの人たちに見られている(気がする)中、恭くんは往来を走り続ける。

 そして、一つの建物の前で足を止めた。


「ん? ここは……」


 それは、真緒や数馬、その他の友人とも何度も来たことあるような場所。

 わたしたちが遊びに行く場所としては定番中の定番。


「か、カラオケ?」


 正式名称カラオケボックス。

 その前で、恭くんはなぜか立ち止まっていた。


「うん。実は俺、カラオケって入ったことないんだよね。ちょっとドキドキする」

「カラオケ来たことないの!? てか今から入るの? 舞台終わったばっかで疲れ切ってる中歌うんですか!? ……え、待って恭くん歌ってくれるんですか!?」


 驚いて変な声が出た。

 恭くんが歌っているところは見たことがない。

 これだけ綺麗な声してるんだから、上手かったらもう本当に涙出るぐらい感動しそうだ。逆に下手でもそれはそれで美味しい。

 だけどわたしの期待の眼差しを受けて、恭くんはちょっと申し訳なさそうに言葉を濁した。


「うん……まあ本来の使用用途はそうなんだろうけど。今日はそうじゃなくて……」

「ん?」

「えっと、とりあえず入ろう」


 不思議に思いながらも、わたしは恭くんと案内された部屋へ入る。

 そこまで広くもない個室。

 ところどころ傷があったりはするけれど、それなりに綺麗なソファー席。

 機材もまあよく見るもので、良くも悪くもごく普通のカラオケだ。

 だけど……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る