第6話 学園一の嫌われ者2
「さてと、そろそろ俺は行くよ」
朝食を平らげると、彼はそう言って席を立った。
ロドリックは彼を見上げたが、引き止めようとする気配はなかった。
やはりロドリックも嫌われ者のナイアスと食事をするのが嫌だったのだろう。あいつはナイアスと仲良くしているぞと噂を立てられ、いじめの標的にされたらたまったものではない。そう思っているのがありありと伝わってきた。
しかしそれでロドリックが薄情だと思うのは間違いだろう。ナイアスがここまで嫌われているのはナイアス自身に責任がある。
「一緒に飯を食ってくれてありがとうな、ロドリック」
「う、うん……」
礼を言われて気まずそうな顔をするだけ、こいつは優しい奴なのだろうと彼は思った。そんなロドリックをこちらの都合に巻き込むのは不本意だ。
彼はロドリックをその場に残し、食器が乗ったトレーを手にカウンターの返却口へと向かった。彼とロドリックの様子をうかがっていた食堂内の生徒たちが、ナイアスと目を合わせないようささっと顔を反らした。そして彼は厨房内の髭面のシェフにはっきりした声で「ごちそうさまでした」と言ったが、シェフはその声を無視した。
――おおかたナイアスが、食事がまずいみたいな文句をつけたりしたのかな。
彼にとっては身に覚えのない件で冷たくされるのは辛いが、この身体でいる以上はしょうがない話だ。やはり早いところ元に戻る方法を探すのが良いだろう。それまでは波風を立てないよう辛抱一択だ。
――さて、このあとは講義が始まるはずだよな。でも……。
彼はカウンターに背を向けながら、はたして講義には真面目に出席する必要はあるのだろうかと思った。ナイアスにはこの学園で学ぶ理由があったかもしれないが、彼にはない。サボったとしても別に構わないのではないだろうか。――いや、そうすると最終的に学園にいられなくなるはずだから、それはそれで面倒を引き起こすだろうか。
「…………」
講義に出るか出ないかを悩んでいた彼の脳裏に、ふと食堂に来る前にナイアスの部屋で見た光景が思い出された。それは執拗なまでに書き込みされてページがボロボロになった参考書と、引き出しの中にあった大量のノートである。
それはナイアスの努力の証拠とも言える。ゲーム中では「僕は才能があるから努力なんてしないんだよ」と嫌味ったらしいことを言っていたはずのナイアスも、実は隠れて勉強していたということだろう。
――……はぁ。
しょうがないから出席するだけはしてやろう。彼は心の中で溜め息をついてからそう思った。そして食堂の出口に向かった。
意思とは無関係に、彼の足がぴたりと止まったのはその時である。
「なあレオ、昨日の夜も遅かったみたいだが、俺に内緒でどこに行ってたんだ? またラヴィニアさんか? それとも――……」
「おい、からかわないでくれよトーマス。俺は彼女たちとはなんでもないんだって」
「そう言ってる時点で怪しいのさ」
出口の向こうから誰かが歩いて来る気配がする。男子が二人、談笑しながら食堂に近付いてきているのだ。その声が聞こえた途端に彼の足は床に縫い付けられたようになった。いくら動けと念じても、半歩たりとも動かない。いま彼の身体を支配しているのは、彼の意思ではなかった。
――な、なんだこの感じ。
急に込み上げてきたのは、彼自身が恐ろしくなるほどの激しい感情だった。その声を聴くだけで頭痛と吐き気がし、そいつの大事なもの全てをぶち壊してやりたいという衝動で頭の中がいっぱいになる。不安定な動悸がめまいを引き起こし、歯を食いしばらなければ奥歯がガチガチと鳴り出しそうだ。
その赤毛の男子が食堂に姿を現した瞬間、彼はごくりと喉を動かし、みっともなく涙さえ零しそうになった。
間違いない。その赤毛の青年は、彼の夢の中にも登場したこの世界の主人公レオナルド・アーガイルだ。その隣にいる短髪の眼鏡の青年はレオナルドの親友のトーマスというキャラである。――しかし彼の視界に入っているのはレオナルド一人だった。
「――‼ おい、レオ。あいつだ」
「……ああ、わかってる」
レオナルドとトーマスも食堂にいるナイアスの姿に気付いた。途端に二人の表情は険悪になり、ナイアスのことを最大限に警戒しているのが伝わってきた。
レオナルドたちは自分からはナイアスに話しかけようとせず、真っ直ぐカウンターに向かった。両者の距離が最も近付いたとき、ナイアスに憑りついている彼の右手が、勝手に拳の形になってレオナルドの横っ面を殴りつけようとした。
「うっ――⁉」
――馬鹿、何をしようとしてんだ俺は! こいつは主人公だぞ⁉ 慎重に波風立てないようにするんじゃなかったのか⁉
咄嗟に右手を押さえ込んだ彼の横で、レオナルドが足を止めた。ナイアスが何もしてこなければスルーするつもりが、彼の態度を見て気が変わったらしい。不味いとは思ったが、とっくに手遅れだった。
「何か俺に言いたいことがあるみたいだな、ナイアス」
「おいレオ。こんな奴に構うな」
「いいのさトーマス。あとから逃げたって言われるのも癪だしな。――で?」
「…………う」
ナイアスが呻くと、主人公らしく特徴的な髪色をしたレオナルドが眉をひそめた。
しかし彼は必死にレオナルドのほうを見ないように、自分の口を開かないようにしていた。もし目があえば、レオナルドを罵る言葉が滔々と溢れてくるのは間違いなかったからだ。彼は硬く握り締めた拳を震わせ、呼吸すらほとんど止めて棒立ちしていた。
そこにレオナルドがうんざりした声で言った。
「……また試合でも申し込んでくるつもりか? 前学期の最後の摸擬戦でも、お前は俺に勝てなかったんだ。何度やっても勝てないっていうのはわかっただろう? もういい加減突っかかってくるのはよしてくれ」
「…………」
「俺だけじゃない。俺の仲間にも金輪際近付くな」
わかったと言ってさっさとここを立ち去るべきだと思ったが、「指図するな」と大声で叫びたい気持ちが込み上げてくる。「偉そうに僕に指示するなんてお前は何様だ」と。自分がこの身体になってナイアスの意識はどこに行ってしまったのか気になっていたが、そいつはしっかりこの身体の奥底に眠っていたようだ。
丸腰で良かった。もしもナイアスの部屋にあった剣をここに持って来ていたら、自分はそれを抜いてレオナルドに斬りつけていたかもしれない。
食堂内の生徒たちは、さっき彼と食事していたロドリックを含めて、レオナルドとナイアスのやり取りに視線を向けていることを隠そうともせず成り行きを見守っている。ここで争えば、またナイアスの悪評が学内で流れるのは間違いないだろう。
「レオ、それくらいにしておけ」
と言ってレオナルドの肩に手を掛けたのは眼鏡のトーマスだ。親友キャラらしくレオナルドを諫めようというのだろう。しかしトーマスもナイアスに良い感情を抱いていないのは明らかだった。
「……わかったよ、トーマス。こんな奴を相手にする価値なんてないもんな」
「…………」
「講義に遅れないように早く食べようぜ」
「…………」
「じゃあな、ナイアス」
ようやくレオナルドが遠ざかっていくと思って安堵したのが気の緩みに繋がったのか、足を止めたレオナルドに再び声をかけられたとき、彼はつい返事をしてしまった。
「そうだ、ナイアス。お前にもう一つ聞きたいことがあったんだ」
「……なんだよ」
「フィーネのことさ。昨日あいつの様子が変だったんだけど――……もしかして、お前が理由を知ってるんじゃないか?」
「うるさい。お前の幼馴染のことなんて知ったこっちゃない」
「…………」
「しつこいぞ。さっさと行けよ」
「……ふん」
彼とレオナルドは同時に反対方向へと歩き出した。食堂を出かかった彼の背後で、先ほどとは打って変わって溌溂とした声で定食を注文するレオナルドの声と、それに愛想良く応対するシェフの声が聞こえてきた。
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