「山に落ちる影」
人一
「山に落ちる影」
山は、黙して答へず。されど、声は返り来たりぬ。
いづれの時よりか、此の尾根にて名を呼ばば、応ふる者ありと、里人は言ひ伝ふ。
「呼ばれても、返してはならぬぞ」
それは戒めにして、祈りに似たり。
然るに、我れは応へたりき。風のごとくに響きたるその声に。
――その返事は、己が声にあらず。
声を返せし時、影は、音もなく、背に立てり。
「はぁ~休憩だ。いやしかし、今回の山はなかなか手強いな。」
俺は趣味で登山を楽しんでいる。
今回は昔ドラマの撮影に使われたっていう山に来ている。
「昔はドラマの人気もあって、けっこう登る人が多かったみたいだけど……もうすっかり忘れられて、草も生えたい放題だなぁ。」
ここまではかろうじて整備されている山道を登ってきたが、これからは山道は途切れ途切れになりより険しくなるみたいだ。
「ここまでも結構だったけど、もっと険しくなるのか……
でも!頂上からは、目を奪われる絶景を見れるって話だし行くぞ!」
そう言って俺は、リュックサックの紐を締め直し山道へと踏み出した。
辺りは眩しい昼の光と、名も知らない鳥たちの喧騒に包まれている。
木々の隙間から覗く陽光に癒されながら、足元の悪い道を進んでいく。
「本当に人が入ってないんだな。来る前にネットで登山記事を探しても、全然見つからなかったもんな~」
「それにしても、いい天気だし気持ちいいな。こんなことなら、ちゃんとカメラ持ってくるんだったな。」
肌を撫でる涼やかな風に、ついぼやきがこぼれる。
しばらく歩いていると、ボロボロの掲示板が道の脇に打ち捨てられていた。
「なんだこの掲示板?ドラマのセットの忘れ物かな。」
長い間忘れられ風雨に晒されていたのか、貼られている物の内容はほとんど読むことができなかった。
腰を下ろして掲示板の内容をしっかりと確認する。
『1 月27 公 館に まる うに。町 会お祭 実行委 会 会 開催』
「これは…ああ、ドラマの内容にこんなんあったな。いや~懐かしいなぁ。
それにしても読みにくいというか、文字が消えていて推測するしかないのがちょっともどかしいな。…じゃあ、こっちの貼り紙は…」
その貼り紙には途切れ途切れでありながら、やけに古風な文章があった。
「なんだこれ?『呼ばれても、返してはならぬぞ』って。」
「これは、ドラマにあったか思い出せないな。ま、これもセットの一部なんだろうな~」
他の貼り紙は風化が激しく、もう読めそうになかった。
俺は立ち上がり、再び山道へと戻っていく。
山はまだ、木々のざわめきと明るい日差しに満ちている。
「はぁ休憩だ、休憩だ。まったくこんな道が悪いんじゃ、全然進んでる気がしないな。」
お茶をがぶがぶと飲みながら火照った体を冷ます。
文句は言うがしっかりと進んでいたようで、すっかり山の深くにいるみたいだ。
まだまだ頂上は先だが、眼前には麓の街を一望する景色が広がっている。
「ここの景色もなかなかだな…」
さりとて頂上での景色への期待が高まる。
一息つくために腰を下ろしたしたが、すっかり見入ってしまっていたようだ。
「さて…そろそろ行くか。日が暮れたらまずいしな。」
『――――』
「ん?なんか聞こえた?いや、気のせいか。」
気にすることもなく立ち上がり歩き出す。
少しずつ傾き出している日の光が、夕暮れの足音を運びつつあった。
どのくらい歩いていたのだろうか。
辺りはすっかり夕暮れの橙色に包まれていた。
「日が沈む前に頂上に行きたいからって、休憩なしは流石にしんどいな。
でも、早くしないと本当に夜になっちゃうな…」
徐々に夜が降りてくるのを感じながら、俺は進む足を早める。
『―――…』
「…?誰かいるのか?」
思わず足を止めて周りを見渡すが、やはり誰もいない。
『――い…』
麓の声がやまびことなって響いているんだろう。そう、言い聞かせて歩き出す。
「ここまで歩いてきたけど、ちょっと本格的に急がないとヤバいな…」
俺は、危険は承知で荒れた山道を走り出す。
……しばらく走っていたおかげで、なんとか完全に日が落ちる前に頂上の展望台へたどり着くことができた。
目の前には夕暮れが過ぎ去り、夜の帳に包まれつつある景色が一面に広がっている。
「いや、もう夜になりそうだけど…この景色を見れたんだから、無理したかいがあったな~」
ゆっくりとベンチに腰を下ろし満足のいくまで、景色を眺めていた。
『―ーい…』
……気のせいだと思っていたが、やはりさっきから呼ばれているような気がする。
また聞こえることがあれば、このやまびこに返事してみようかな。
『おーい…』
まただ。今回ははっきり聞こえた!
思わず大きく吸い込み、叫ぶ。
「おーい!さっきから誰なんだーー?」
こちらから呼びかけた、その瞬間――
涼風がピタリと止み、代わりに生温い風が吹き抜ける。
『ふふふ…どうしたの? ――――』
何か、背筋が凍るような声で言われたが理解ができなかった。
――ふわり、と浮かんだような感覚がした。
信じがたいその感覚を疑うよりも早く、眼前に広がっている景色に言葉を失う。
さきほどまで、確かに穏やかな秋の夜だった。
それなのに、いつの間にか夏の激しい昼の光が山を照らしている。
信じられない、と瞬きをすると、
辺りの景色は降りしきる雪に沈み真っ白になっている。
目を疑い擦ると、
何も無かった。ただ灰色の茫漠たる世界が広がっていた。
もう一度瞬きをする。
今度は、紅葉と夕暮れで真っ赤に染まる景色が広がる。
……時間も季節もなく、目まぐるしく―――激しく――景色だけが流れていく。
俺は気が狂ったようにただただ叫び続けた。喉が裂けるほどに絶叫し続けた。
だがその叫びは響かず木霊することもなく、そして誰にも届くことはなかった。
無力感に潰され、もう涙さえ枯れてしまう。
「……どうして…なんで、こんな……」
背後から……いや、耳元で背中を這ずり上がるような声が聞こえた。
『ふふふ…どうしたの? なにか――困ったことでもあったの…?』
「山に落ちる影」 人一 @hitoHito93
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