ここ掘れ燦々!

lelales

プロローグ 勉強会へようこそ!




「ない……ない……どこにもない……!」


 力なく呟いた青柳陽子の声は、広い第一食堂の空気の中に吸い込まれていく。青柳は何度も何度もタブレットの画面を指で撫で、ページの中に『三好教授』の文字を探した。高校二年生の夏、大学説明会で一目惚れした三好史寧の名前を――


「なんでゼミの一覧に三好教授がいないのおおお!?」


 突然声を張り上げた奇人に、近くに座っていた数人の学生たちはトレイを持ってそそくさと離れていく。悲しみに暮れて項垂れる青柳の近くを同じサークルの先輩が通りがかった。陽子うるさいよ、と笑いながらタブレットを覗き込む。


「ああ、三好教授?そういえば来年度からゼミなくなったらしいよ」

「え……?ぜみが、なくなった……?」


 ぎぎぎ、と音を立てそうなほど固い動きで顔を上げると、先輩の言葉を片言で繰り返す。


「人気あったのにね。何かいろいろあって同じ史学科の教授たちから睨まれてるんだって」

「卒業資格もらえなくなるかもしれないから、三好ゼミやめようって学生が一気に離れて、自然消滅」


 もうひとりの先輩が付け加える。その言葉に、衝撃で真っ白になった青柳の中に沸々と、怒りとも悲しみとも名付けられない感情がこみ上げてきた。

 三好が問題を起こすような人だとは、青柳にはとても思えなかった。大学説明会のとき、意気揚々と楽しそうに発掘について語っていたあの人が――

 青柳が心酔する三好史寧は、神話を読んだことをきっかけに中学生のとき遺跡発掘を志し、高校時代は国内外問わず様々な発掘に参加して腕を磨き、大学生になると海外の遺跡近くに長期滞在して活動。卒業後は現地のNGOで働きながら発掘についての本を出したり、動画配信を行ったりして、考古学界に新たな風を吹き込んでいる。その経歴を買われて、この光葉大学に教授として3年前に着任した人物だ。

 そんな実力のある人が、どんな問題を起こすというのだろう。きっと机上の空論ばかりのお年寄りの教授たちが三好の実績を妬んで、伝統だか慣習だかを振りかざして干したに決まっている。

 青柳は腹立たしい気持ちを、第一食堂名物のハヤシライスと一緒に飲み下した。


 発掘における三好の功績についてあれこれ思い巡らせていた青柳だが、三好のゼミに入りたかった理由はただひとつだ。

 三好史寧とお近づきになりたい――四十路を超えても偉そうな態度をとらない穏やかな性格に、意外と整った顔立ち。ふわふわとした癖っ毛。ふにゃりとあどけない笑顔を浮かべるとできる目尻の皺。可愛らしい印象を引き締める顎髭。ちょっとくたびれて気怠げな動作。僻地であってもひょいっと発掘に行ってしまう行動力。特技を聞かれて、どんなところでも熟睡できることを挙げる天然っぷり――年の差20歳以上なんて屁でもない。ありがたいことに三好は未婚だ。頑張ったら恋人に、いいや、妻になれるかもしれない。青柳は下心全開でゼミに入る気だったのだ。


「どうやって三好教授とお近づきになったらいいのよ……」


 大学に入学してすぐ、青柳は全学共通カリキュラムで三好の授業をとっていた。のだが、声をかけることはできなかった。全学共通カリキュラムゆえの大人数授業だった、というのも理由のひとつだが、それ以上に生の三好を目の前にして一言も発せられなかったのである。一生懸命してきたおしゃれも、それ以上に可愛い煌びやかな女学生が星の数ほどいる中で、特段目立つわけもなく――結局、最初の一年を無駄にしてしまった、というわけだった。


(漫画みたいに教授室に押しかけるとか、ゼミ生でもなきゃ現実世界じゃありえないし……)


 そんなことを考えながらとぼとぼと校内の中庭を歩く。青柳の学科はゼミに入ることが卒業資格の絶対条件ではないため、三好のゼミに入れないのであれば、他のゼミに入るつもりはない。ゼミの申し込みをする必要がなくなった、と意気消沈しながらサークル棟へ足を向けた、まさにそのとき――


 右手にキャリングケース、左手に大量の書類を抱えた三好が、青柳の目の前を小走りで通って行った。青柳にぶつかる寸前だったこともあり、三好が慌てた声を出す。


「危なかったね!ごめんね!」


 振り向きつつも足を止めないことから、どうやらとても急いでいるようだ。荷物を持っているにも関わらず、謝罪の意味で両手を合わせようとした三好の手から、書類とペンケースが零れ落ちる。落ちるとわかっていても咄嗟には動けないものだ。青柳はゆっくりと傾いていく書類の束を目で追うことしかできない。

 しかし、書類が地面に散らばることはなかった。

 青柳の目の前を何かが跳ねるように横切った。甘いような辛いような香りが鼻をくすぐる。するり、と手が伸びて、ばらばらになりかけていた書類をあっという間にすべて掴んだ。次いでもう片方の手が空中でペンケースも掴まえる。一瞬のできごとながら、その美しい動作に青柳は目を奪われてしまった。


「三好!おっちょこちょいしない!」


 健康的な褐色肌に、頬周りで段々に切り揃えられた樺茶色の長い髪。濃い睫毛に囲われた紫色の瞳が宝石のようにキラキラと輝いている。ぼんやりと眺めていた青柳は、異国情緒溢れる容姿から想像できないほど流暢な日本語に、ハッとして現実に引き戻された。


「わあ!シャムス……!ありがとう!」


 情けなく謝りながら足を止める三好に、シャムスと呼ばれた女性はその背を叩いて叫んだ。


「お礼なんかいいから、急ぐ!」


 三好とシャムスがばたばたと走っていく。完全に置いてけぼりを食らった青柳はぽかんとしたままふたりを見送っていた。ふっと、シャムスが走りながら振り返る。シャムスと青柳の瞳がばちりとかち合った。綺麗な顔に見つめられて、青柳は全身がブワッと総毛立つのを感じた。肩を竦める青柳に、シャムスは目を細めると三好を追い抜かさんばかりの勢いで走っていった。


「だ、誰なの、あの人……」


 美しい容姿。三好の親しげな様子に、教授という存在を叱咤できるような関係。極め付けに、三好は女性を呼び捨てしていた――


「もしかして、彼女……!?」


 せめてお近づきになれれば、と淡い下心で調べたゼミは消滅していた。それだけでも泣けてくるのに、そこにきて三好に彼女がいるかもしれない疑惑が浮上するとは――青柳はその場にへたり込みそうになるのを、なんとか踏ん張った。今日は厄日に違いない。これ以上の厄日があるものか。厄は酒で祓うもの。青柳は涙目になりながらスマホを操作して、今日の飲み会メンバーを探し始めた。




 ☼ ☼ ☼




 長い春休みを終えて始まった新学期――単位のためだけにとった、特に興味のない授業は昼休み明けすぐだ。青柳は早めに教室に入って席でパンを齧っていた。教室内には同じような思考の学生がちらほらいる。パーソナルスペースが広い日本人は、あえて隣に座ってくることをしない。先に座っておけば広々と机を使えるぞ、とほくそ笑んでいたところ、隣に誰かが座ってきた。


(はぁ!?せっかく両サイド誰もいないからこの席にしたのに!まだ空いてるんだから他の席座りなさいよ!)


 そう思っても言えないのが日本人の悲しいところだ。ぐぬぬ、と思いつつ、密かに視線を運ぶと、そこには見覚えのある褐色の手があった。目を見開いたまま顔を上げると、三好と一緒にいた美女が目を細めてこちらを見ていた。


「みっ、三好教授といっしょにいた……!」

「覚えててくれた。三好のこと知ってるの?」

「よ、呼び捨て……!」


 呼び捨てをきっかけにあの日のことが蘇る。飲み会に来てくれたサークルのメンバーみんなに慰められ、泣きながら浴びるように酒を飲み、記憶がないままいつの間にか家に帰っていたことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。


「三好はわたしの家族だから、敬称略、だよ」

「か、かぞく……?」


 古傷を抉られて萎んでいた青柳がむくむくと原型を取り戻す。家族とはどういうことだろうか。日本人よりも大人びて見えるが、よく見てみれば女性というよりはまだ少女のような雰囲気だ。授業のために机に出していた学生証をちらりと盗み見ると、カードの色的に今年の新一年生ということがわかる。

 青柳は脳みそをフル回転させた。18歳ならば、年齢的には娘に近いのだろうか。いや、大学なのだから18歳とは限らない。やはり妻という可能性も捨てきれない。青柳の脳みそはすぐにでも限界を迎えそうだった。

 ぶつぶつと呟きながら動きを止めてしまった青柳に、シャムスは少し困ったような顔をした。少し待ってみたものの、一向にこちら側に戻ってきてくれない。その間にも教室の中に学生が増えてきて、授業開始時刻が迫ってくる。もうちょっとだけ待ってみたものの、話の続きができそうにないと判断して、シャムスは口を開いた。


「わたしはシャムス・アシャクール。あなたは?」


 名乗ったのだから名乗り返してくれるはずだ、とわくわくして待つこと30秒。すでに思考の海からは戻ってきているようだが、青柳は答えない。


「……家族って何?」


 青柳は目は血走っていた。一口に家族といってもさまざまな関係性がある。娘なのか妻なのかをはっきりしてくれないことには名乗るつもりがなかった。答えによっては一生視界に入れたくないとまで思っている。


「家族は家族。三好は、わたしの保護者」

「ほ、保護者ってことは、娘さん……!?」

「あおやぎ、ようこ?青柳陽子……わたしの名前と似てる」


 ガタッと音を立てて食いついてきた青柳をスルーしながら、シャムスは机の上に出されていた青柳の学生証を勝手に覗き込んでいた。答えなさいよ、と凄もうとした青柳の目を、シャムスはキラッキラの瞳で見つめてくる。あまりにも嬉しそうなその表情に、青柳が耐えきれずに尋ねる。


「に、似てる?どこがよ」

「シャムスは太陽、アシャクールは青い一族、っていう意味なの。青と陽がおんなじ」


 こじつけじゃない、と思いつつ、表情は硬いながらも嬉しそうに目を細めるシャムスに、青柳は少し毒気を抜かれる思いがした。


「陽子、わたしと友達になって」


 派手な笑顔を浮かべているわけではない。むしろあまり表情筋が機能していないのに、なぜか後光のような眩しさがある。ストレートな物言いも合わさって、青柳は一瞬惚けてしまった。ハッと我に返る。


「なんであなたと友達なんかに!」

「三好のことが好きなら、勉強会、くる?」

「べ、勉強会……?」


 三好の名前を出されて、突っぱねようとしていた勢いが完全に消された。青柳が頭の上に疑問符をたくさん浮かべて押し黙っているのを見て、シャムスは心の中でガッツポーズをした。今までの反応から、青柳は三好のことが気になっているはず。もう一押しでいける気がする。シャムスはつらつらと説明を始めた。


「毎週金曜日、18時から三好の教授室で発掘の勉強会があるの。大学に許可をとってることじゃないから単位にはならないけど、わたしから三好に、陽子も入れてあげてって話す」


 一気に言ってしまってから、シャムスはじっと青柳の出方を待った。あともう一人くらいメンバーがほしい。春休み前に青柳を見かけてから、闇雲にメンバーを探すよりも青柳に声をかけた方がいい、とシャムスはずっと考えていた。祈るような気持ちでいたものの、名乗ってから待っていた時間よりもはるかに早く返事がきた。

 

「え!いいの!?」


 目を輝かせる青柳に、シャムスは心の中で本日二回目のガッツポーズをした。

 勝手にとはいえライバル視していた人物から、まさかチャンスをもらえるとは、夢にも思っていなかった。三好教授と接点が!と有頂天になる青柳に、シャムスが念押しするように言う。


「わたしと友達になってくれたら、だよ?」


 そう言ってスマホを掲げるシャムスに、青柳は何度も頷いた。


「なるなる!なりまーす!」


 青柳のあまりのハイテンションに、周りに座っていた学生がそろりそろりと離れていく。メッセージアプリを交換し終えた頃には授業が始まった。授業後に、今週の金曜日に、と約束をして青柳とシャムスは分かれた。




 ☼ ☼ ☼




金曜日、17時55分――

 青柳は、文学部教授棟にある三好の教授室の前に立っていた。中からは部屋の明かりと楽しそうな談笑が漏れている。他の教授たちは帰ってしまっているようで、静かな廊下とのコントラストがより一層青柳の鼓動を速くさせた。深呼吸してからコンコンコン、とノックをする。中から、どうぞ、と聞こえてきたのを合図に、思い切ってドアノブを回した。


「しっ、失礼します……!」


 扉を開けた瞬間、ふわっと紅茶の香りが漂ってきた。それを追い越すようにして土と古い本の香りが広がる。中央に置かれたテーブルには数人の男女が腰掛けているのに、青柳にはもう三好しか見えなかった。まるでスポットライトが当たっているようだ。暖色の明かりに包まれ、ふわふわの髪を揺らして三好が笑う。


「青柳さんだね!はじめまして、三好史寧です」


 シャムスが無理を言ったんじゃない?大丈夫?と続いた言葉は、もう青柳には届いていない。


「い、いいいいえ!あの、はじめましてじゃ、ない、です!」

「え、それは失礼しました。授業をとってくれていたのかな?」


 立ち上がって頭を下げつつ三好が席を勧めるも、推しとの接近でキャパオーバーになった青柳が後退っていく。シャムスはそれを眺めながら、おもしろい、と思っていた。

 

「は、はい……去年、西洋宗教学初級を、あと、3年前に、大学説明会でも……」

「ああ、着任前に少し喋らせてもらったときか!ほんの少しだったのに、よく覚えてたね〜」

「テト煉瓦を、はじめて、生で見せてもらって、印象深かったので」


 青柳の挙動にまったく気づいていないようで、三好は呑気にぐいぐい距離を縮めようとしている。それに比例して青柳が離れようとするものだからテーブル周りをゆっくりぐるぐる回っている状況だ。他のメンバーが全員、吹き出しそうになるのを必死に堪えていた。

 

「そっかぁ!じゃあ、遺跡とか発掘に興味があって来てくれたのかな?ありがとうね、単位にもならないのに」

「ちっ、ちがいます!」

「え」


 やっと三好の動きが止まった。青柳の動きも止まる。笑いを堪えてぷるぷるしていたメンバーも、青柳が勉強会に入った理由が気になったからか静かになった。

 

「わ、私!三好先生に一目惚れしたから来たんです!ずっと好きでした!いいえ!今も好きです!」


 しばしの沈黙のあと、教室はドッと笑い声で溢れた。

 

「は〜〜〜熱烈。若さだわ」

「三好、独身卒業できるね?」

「よかったですね、三好教授」

「お祝いしたほうがいい感じっすか!?」

「Nonsense……」


 今までは耐えていたメンバーが次々に口を開く中、当の三好と青柳はお互いに顔を真っ赤にしていた。茶化してくるメンバーを諌めてから、気を取り直した三好は青柳にもう一度席を勧める。

 

「と、とりあえずお席にどうぞ!まずは、えーっと!みんな、自己紹介しよう!」


 いまだに顔を赤くしたまま、三好は不自然に声を張り上げた。




 シャムスが青柳の分の紅茶を淹れて席に着くと早速自己紹介が始まった。


「では、僕から失礼します。史学科宗教史専攻の茂木渉(もぎ・わたる)です。院の2年で、この勉強会の会長をやらせてもらっています。発掘についてもっと勉強したくて三好教授にお願いして勉強会を開きました。よろしくお願いします」


 最初に話し始めた茂木は、さすが大学院生といった安定感があり、話し方からも落ち着いた雰囲気と真面目さが伝わってくる好青年だった。眼鏡の奥で細められた目が物腰の柔らかさを醸し出している。

 青柳といっしょに他のメンバーふたりも頭を下げている。自分だけが初対面だと思っていた青柳は少しほっとした。


「史学科日本史学専攻の院1年生、杉崎かなめ(すぎさき・かなめ)です。トロイの木馬の話がきっかけで発掘に興味がわいて勉強会にきました。大学院中退でもいいやって思ってるので、単位とかどうでもいいです。よろしくね」


 次に自己紹介をした杉崎は、長い黒髪とメリハリのある体つきが目を惹く美女だった。口調からサバサバしているのがわかる。それにしても、院を中退でいいとは、とメンバーの中から少し乾いた笑いが出た。


「政治経済学部国際政治学科2年、草壁明彦(くさかべ・あきひこ)です。よろしくお願いします」


 そう短く挨拶した草壁は、淡々と、しかしどこか落ち着かない様子だった。政治経済学部というだけでも優秀なのに国際政治学科とは、さぞ語学もできて優秀なんだろうとメンバーが揃ってため息を吐く。そんな優秀な草壁がなぜ勉強会に参加したのか、その理由を話すことなく草壁は自己紹介を終えてしまった。茂木と杉崎は少し気にしているようだったが、それを遮るように元気な声が響いた。


「じゃあ次、オレですね!オレは、社会学部社会学科2年の榎田想介(えのきだ・そうすけ)です!三好教授の授業がめっちゃ楽しくて、勉強会もおもしろいんだろうなーって思ってきました!よろしくお願いしまーっす!」


 その性格に負けないくらい明るい金色に染めた髪を揺らしながら、榎田は元気に笑った。ひとつ前が淡々とした草壁だったことも相まって、より一層明るいキャラクターが目立つ。ひとりひとりに頭を下げて挨拶している姿がに、メンバーからは笑いが漏れた。


「ええと、文学部日本文学科2年の青柳陽子(あおやぎ・ようこ)です。さっきはテンパっちゃってすみません……理由は、さっき言った通り、三好教授に一目惚れしたからです」

「完全に下心じゃん」


 青柳が口籠もりながら理由を話すと、杉崎がにやにやと笑う。そうですけど、と口を尖らせると杉崎は何にも言わずに口元に手を当てる。いっそ笑ってください、と青柳が根を上げると、かわいそうだからやめなさい、と茂木が止めに入った。


「文学部史学科の1年生、シャムス・アシャクールです。西アジアのベェル・エルという国から来ました。三好の夢を叶えることがわたしの夢です。よろしくお願いします」


 日本語の上手さに草壁と榎田は目を見開いている。おお、と感嘆を漏らしながら拍手をする榎田に、シャムスは薄い表情ながらもまんざらでもない顔で頭を掻いた。茂木と杉崎はシャムスと前からの知り合いのようで驚いていない。むしろ、どうだすごいだろ、とばかりに保護者のような誇らしげな顔をしている。

 メンバー全員の自己紹介が終わったところで、三好が手を叩いた。


「じゃあ最後に、僕のことも紹介させてもらうね。僕は三好史寧(みよし・ふみやす)といいます。ベェル・エルにあるNGOの職員をしながら、アンクレナイ遺跡の発掘をしていました。皆さん知っての通り、3年前から光葉大学でお世話になっています。ただ……」


 三好の声が沈む。あとに続く内容は、ここにいるメンバー皆が知っていることだ。皆、神妙な顔で聞いている。


「いろいろあって、今年度はゼミをもてなくなってしまったのですが……この大学に来たのは、考古学と発掘がいかにおもしろいかを伝えるためなので、勉強会がその目的を果たせたらなぁと思っています。これから週に一度、いっしょに勉強楽しみましょう!」


 考古学と発掘というワードを口にした途端、三好はパッと明るい顔になった。それだけでどれだけ考古学と発掘を愛しているかがわかる。ぱちぱちとメンバーの拍手に照れくさそうに笑ってから、早速、と考古学調査ハンドブックを取り出した。


「記念すべき第一回目は、発掘の基礎知識をハンドブックから学ぼう。発掘する場所、年代、方針によってやり方はいろいろあるんだけど、まずは共通する基礎知識を持つことから始めようね」


 メンバーたちは真剣な顔でノートや筆記用具を取り出してハンドブックを開く。しん、と静まり返った教授棟に、三好の元気な声が響き渡った。




 ☼ ☼ ☼




 土曜日は午前の授業だけと決まっているので、午後はキャンパス内の人通りがまばらになる。それを見計らって、シャムスはきょろきょろと辺りを見回してから、そっと掲示板のガラス板を外した。隅の隅に貼られていたポスターをゆっくりと剥がす。


「学生さん、勝手に何してるんですか?」


 ビクッと肩を震わせて固まるシャムスに、声の主はくすくすと笑った。


「渉、脅かさないで。怖かった」

「ごめんごめん。シャムスにも怖いものがあるんだね」

「ある。社会権力は怖い」


 その返答に茂木はもともと笑っている目を糸のように細くした。


「確かに、社会権力は怖いね。特に、大学内の権力は閉鎖的で恐ろしい。三好教授はかわいそうだ」


 音を立てないように静かにガラス板を戻すと、シャムスの手にあるポスターに視線を落とす。茂木の視線を追いかけて、シャムスもポスターをじっと見つめた。少し不恰好な真っ赤な太陽と砂漠のイラストを背景に「未発見を発見しに行こう。勉強会メンバー募集中!」の文字が書かれている。


「うん……でも、勉強会、できたね」

「そうだね。集まったね」


 顔を見合わせて頷き合ってから、茂木とシャムスはコツンと拳をぶつけ合った。

 このポスターは、シャムスと茂木がこっそり作ったものだった。会議でゼミ教授から外され、授業や講座のみを担当することが決まったとき、普段能天気でぽやぽやしている姿からは想像できないほど、三好は落ち込んでいた。そんな三好を少しでも励まそうと、茂木とシャムスが考え出したのが勉強会だった。

 有志の勉強会であれば、非公認のサークルのようなものだ。学生が教授に話を聞きにきて、勝手に活動する分には文句も言えまい。政治経済学部の草壁と社会学部の榎田を快く迎え入れたのも、別学部の学生がいれば文学部史学科だけのものではなく、自由な勉強会であるというイメージが作れるからだった。そんな屁理屈を捏ね回したような策を考え出した茂木をシャムスは心から尊敬した。


「わたしが落ち込んでたとき、三好が励ましてくれた。だから、これはただの恩返し」

「それは、僕もいっしょだな。三好教授の言葉があったから、僕は大学に通い続けられたし、院にも上がれた。だから、勉強会を実りのあるものにして、三好教授を元気づけよう」

 

 微笑んでそう言う茂木に、シャムスは真顔でこくんと頷く。


「うん。三好を笑顔にするんだ」


 視線を落とした先に、しゃがみ込んでこちらを見てくる若い頃の三好が見えた。


――――――


「シャムス、それもらったのか。よかったな〜」

「うん。嬉しい」


 NGOの職員にもらったお菓子を幼いシャムスが頬張っている。無表情のまま咀嚼しているシャムスに三好が困ったように笑った。


「ほらシャムス、嬉しいときはもっと笑っていいんだぞ〜?」

「別に、笑わなくても嬉しい気持ちはいっしょだもん……」


 そう返すも、三好はシャムスの頬を両手で包んでもにもにと揉む。ただでさえ口の中はお菓子でいっぱいで苦しい。やめてよ、と抵抗するシャムスをようやく解放して、三好は優しく微笑む。


「日本で太陽は燦々と輝くものなんだ」

「さんさん……?」

「えーっと……眩しいくらい光り輝くことを燦々って表現するんだよ」


 口元についたお菓子の欠片を払ってやってから、硬く固まったシャムスの両頬を人差し指でむにっとあげる。


「シャムスはアシャクールの言葉で太陽って意味だから、燦々とした笑顔でいてほしいな」


――――――


 シャムスは昔のことを思い出しながら、自分の両頬に人差し指を当ててむにっと押し上げた。




「三好には燦々、しててほしいからね」




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