私達、「万が一のときの新居」を見てきました。

 日曜日の午後、空は優しく薄い雲に覆われていた。わたし達三人は都心ダウンタウンの北、約六キロ。郊外の静かな住宅地を抜けた先にある、小高い丘の上に位置する霊廟マゾリアムへと向かっていた。まだナタリーの体調がまだ比較的安定していた頃で、車の中はいつものように、他愛もない話で賑やかだった。


「ここ、本当に『霊廟』っていうの? なんか名前だけ聞くとすごく古めかしい感じするね」と、ヘイリーが言った。

「最近は『メモリアルマンション』って呼ぶ人もいるらしいわよ」とわたしはハンドルを握りながら言った。

「ママ、変な単語作らないでよ」

ナタリーは少しすねた。

「でもね、『集団霊廟』じゃ情緒がないじゃない」

わたしがこう言うとナタリーは後部座席から、小さな笑い声を漏らした。

「なんか、モデルルームでも見に行くみたいだね」

「でもナタリー、本当に無理しないでね。もし疲れたらすぐに言って」

わたしはミラー越しに娘を見つめた。

「大丈夫だよ。こういうのも、ひとつの人生の準備でしょ。まだピンとこないけどね」

ナタリーはこう言ってくれたけど、わたしの心中は落ち着かなかった。


 霊廟に到着すると、管理スタッフが丁寧に出迎えてくれた。外観はモダンで清潔感があり、大理石のような白い外壁に覆われている。何より敷地全体が光に包まれていて、暗さや怖さとは無縁だった。案内されたのは、南側区画の二階。壁一面に整然と並ぶ「部屋」の数々。

「わぁ……想像してたより、ずっと明るいね」

ナタリーがぽつりとつぶやいた。

「ここなら寂しくない気がする」

ヘイリーが妹らしい声でそっと続ける。


 わたしは黙って、ナタリーの手を包み込むように握った。

「ここの『部屋』なら、安心できると思ったの。何かあったときにすぐ来られる距離だし、ここのスタッフさん、すごく親切だったから」

ナタリーはその言葉に小さくうなずきながら、少しだけ照れくさそうに笑った。

「ママ、ありがとう。なんとなくお別れの場所、っていうより“つづきの暮らし”が始まる場所みたい」

「うん、私もそう思った」

とヘイリー。

「ここならお姉ちゃんに話しかけやすいかも」

「ところどころ、小さい透明なロッカーの中に写真とビンが置いてあるところもあるね」

ヘイリーが指をさして言った。

「でもね、わたしは焼いて縮めるのには耐えられないわ」

わたしはそれを見て返した。


 下見の最後、三人はガラス張りの天窓があるホールの中央に立ち、しばし空を見上げた。うっすら陽が差し込み、静かに風が通る。

「こういうのも、悪くないね……」

ナタリーが複雑な、少し思い詰めたような表情でぽつりと、でも確かに言った。


 そしてわたしは娘たちを交互に見つめながら、少し気を抜いて息を吐いた。そして言った。

「でもね、ナタリー。まだまだ先の話だから。今日は、ただの『見学』よ」

誰も口にはしなかったけれど、心のどこかでそれぞれ、それが何を意味するのかがわかっていた。未来の中に、避けては通れない選択の瞬間があることを。


 だけどこの日、三人が過ごしたひとときは、決して「万が一の時」の話だけではなかった。未来に向かって、家族としての想いを確認し合う、静かで温かな記憶だった。霊廟を後にした車の中は、行きとは違う種類の静けさに包まれていた。どこか満たされたような、でもほんの少しだけ胸の奥がじんわりと痛む、そんな静けさだった。


 わたしはハンドルを握る手に力を入れすぎないよう注意しながら、ゆっくりと慎重に車を走らせていた。赤信号で止まったとき、ふとバックミラーを見ると、後部座席のナタリーが窓の外をじっと見ていた。光に包まれた霊廟の姿とそれを取り囲む公園墓地の芝生が、視界の隅で小さく遠ざかっていく。


「ねえ……」

ナタリーがぽつりと言った。

「ママ、本当はあの場所、もう決めてたんじゃない?」

わたしは苦笑いした。

「やっぱり、気づいてたのね」

「うん、なんとなく。でも、ありがとう。ママらしいなって思った」

助手席のヘイリーがその会話を聞きながら、眉をひそめる。

「お姉ちゃん、やめてよ……まだそういう話、早すぎるよ」

ナタリーはふわりと微笑んだ。

「ごめんごめん。でもね、ヘイリー。ママが『ここなら』って思える場所を見つけてくれたって、それだけでちょっと安心したの」

ヘイリーは、言葉が見つからずにうつむいた。ずっと「未来のこと」から目を背けていた自分に気づき、少しだけ悔しくて、少しだけ怖かった。


 車内にまた、穏やかな沈黙が戻ってきた。ナタリーは窓に額を軽く寄せて、車窓に流れる風景を眺めていた。そしてぼそっとつぶやいた。

「私、まだ死にたくなんてないよ。でも、そのために、準備をしておくことは、きっと悪いことじゃないんだろうな」

わたしは心の奥に、微かな痛みを感じた。涙が出そうになるのをこらえていた。


「お姉ちゃんが、もしあそこに『引っ越す』日が来たとしても、私、ちゃんと通える気がする。あんなに明るくて、あんなにおだやかな場所なら」

助手席のヘイリーは、窓にもたれかかりながら目を閉じて言った。そして、

「でもそんな日がずっと来なければいいな」

と続けた。


 わたしは、そんな二人の話を聞きながら、静かにハンドルを握りしめた。娘たちの話を聞いて、胸の奥が少しきゅっと締めつけられていた。霊廟の静かな空気、並んだ「部屋」の数々が思い出す。


「どんなに備えていても、母親っていうのはね、覚悟なんて、最後の最後までできない、そういうものなのよ」

わたしはつぶやいた。それでも、振り返ってよかったと思った。家族三人で、あの場所を一緒に見たという記憶。それはきっと、これからの日々において、かけがえのない心の灯りになるはずだから。


 その日は夕食を外食にすることにして、三人は近所のファミリーレストランへ寄った。特別なことは話さなかった。ただ、いつもより少し丁寧に言葉を交わし、互いの顔をゆっくり見て笑った。

「未来がどうなっても、この日のことはずっと覚えているからね」

わたしがこう言った時、娘たちは静かにうなずいていた。


 そして後日、わたしはあの「大型マンション」の四部屋を契約した。合わせて八万ドル。新車二台分の買い物でした。埋めるための場所代は一つ五千ドルなんだけどね。



@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@



ナタリーの日記より


〈〇月△日 晴れ〉


 今日は、ママとヘイリーと三人で、「ワンルームマンション」の下見に行った。本当は、こういう場所に行くこと自体、なんとなく気が重かった。自分にはまだ早い気がしていた。でも今は行ってみてよかった、って思ってる。


 そこは、静かで、光が柔らかくて、思ったよりも「死んだ後の住まい」って感じがしなかった。むしろ、少しだけ「帰ってくる場所」っていう雰囲気もあった。


 ママはきっと、私達に言う前から、あそこに決めてたんだと思う。見学のふりして、「ここがいいわね」って、優しく私の背中を押すように言った。何気ない風を装っていたけど、その声の奥にたくさんの想いがつまってるの、ちゃんとわかった。


 ヘイリーはずっと黙ってた。たぶん、ああいう場所に来ること自体、気持ちの整理がつかなかったんだと思う。でも帰りの車の中で、ふと私の手を握ってきた。その小さなぬくもりに、こっちが泣きそうになった。


「まだその日は来ないと思うよ、そんなすぐには」って、口では軽く言ったけど、本当は、いつ何が起きてもおかしくないのは、私が一番よくわかってる。でも、だからこそ、今日あそこを見られて、よかったって思う。自分が最後にずっと過ごす居場所を、好きな人たちと一緒に決められたこと。それは、ちょっとだけ未来への怖さを、やわらげてくれた。


 今日見た光の入り方、あの静かな空気、そして私の隣にいたママとヘイリーの温かさ。全部、覚えておきたい。まだまだ、毎日をちゃんと生きたいし、そのつもりだけど。その先の先のことも、ほんの少しだけ、穏やかに想像できる夜が過ぎていった。



〈□月◇日 曇り時々晴れ〉


 あの下見から、もう何週間経ったかな。時間は変わらず過ぎていくけど、私の中の何かが静かに、確かに変わった気がする。


 「終わり」をほんの少しのぞいたから、なんとなく「今」がより鮮やかに感じられるようになった。


 部屋のカーテンの揺れや、紅茶を飲んだときの香り。ヘイリーがリビングで鼻歌をうたっている音。ママがベーコンや野菜を焼いたときの匂いが廊下に漂ってきたときの、何とも言えない懐かしさ。全部が、胸にすっと染み込んでくる。


 私が小さいときに見つかった、私の脳の中にあるこの不発弾。それはいつどうなるかわからない。わからないからこそ、今日こうして目を覚ませたこと、穏やかに笑えたこと、それだけで感謝している自分がいる。


 ママは、私の前ではあまり泣かない。笑って、「大丈夫よ」「あなたの人生はまだまだよ」って言ってくれる。でも夜中、台所でコップに水をくみに行ったとき、黙ってテーブルに突っ伏していた後ろ姿を見てしまった。


 私は、黙って戻った。あの背中を見てから、もっとちゃんと生きようと思った。どんなに短くても、どんなに不安定でも、私は私の時間を、私の手で愛おしく包んでいきたい。


 ヘイリーとは、時々何も言わずに並んで座ってスマホを眺めてるだけの時間がある。その沈黙が、いまはすごく落ち着く。子どもの頃みたいに、妹ちゃんが私の手を握ってくることもある。あの小さな手のぬくもりを、私はずっと忘れたくない。


 「死」を見つめたことで、「生」が色づいて輝く。それを、ようやく私は理解し始めた気がする。


 私にはまだまだやりたいことがたくさんある。でも、それができなかったとしても、私の人生は、もう十分に、愛されているって言える気がする。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

待っていたよ、チェルシー。 数金都夢(Hugo)Kirara3500 @kirara3500

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画